タイ鉄道新時代へ

【第19回(第2部/第1回)】安全保障から始まったタイ最古の駅フアランポーン

またの名を「バンコク中央駅」ともされるタイ国有鉄道の起点駅フアランポーン。北部、東北部、東部、南部と放射状に伸びる鉄道網は、この駅がこの国の中心であり、これからもそうあり続けることをまざまざと見せつけている。安全保障上の要請からこの地に建ち、100年以上もの時を刻み続けたタイ最古の駅。そこには、どんな変遷やドラマがあったのか。連載「タイ 鉄道新時代へ」第2部は、駅、路線、車両などタイの鉄道をめぐる話題の中から一話完結読み切りで物語を展開していく。(文・小堀晋一)

正式名称を「クルンテープ駅」とするフアランポーン。その駅名がタイの鉄道史に登場するのは、今から122年もの昔、1893年のことだった。現在のラーマ4世通り(当時はトゥロン通り)にほぼ並行する形で開業したパークナーム鉄道(バンコク~パークナーム間21.3km)の起点駅。バンコク~アユタヤ間でタイ国鉄が初めて運行を開始した4年も前のことであった。今では面影を知るすべはほとんどないが、ラーマ4世通りがクルンカセム運河と交差する現在のあたりに駅舎があったものと推測されている。

当時の国王は名君で知られるラーマ5世(チュラーロンコーン大王)。インドシナ半島の周辺国が次々と欧州帝国主義国の傘下に収められていく時であった。西方からイギリスが、東方からフランスが侵攻を伺っていたタイ。北方からは山岳地帯を超え、漢民族の血を引くチン・ホー族が国土に攻め入ろうとしていた。国境の最前線まで迅速に兵士と食糧、武器を送り届けなければならない。こうした必要からタイの鉄道網は整備が進められるようになった。

とはいえ、当時、鉄道を敷設できる技術とノウハウはタイ政府お抱えの外国人技師らしか持ち合わせていなかった。このためタイ政府は、比較的影響の少ないと判断した南方沿岸部のパークナーム鉄道とメークロン鉄道の2路線について外資に免許を与え、その技術を採り入れようとした。一方で、国境に向けて放射状に伸びる幹線については、国策の轡を緩めることは決してしなかった。国土防衛の観点から外資導入には抑制的で、1906年には民営鉄道を全面禁止する「鉄道10カ年建設計画」をまとめるほどだった。

バンコクのターミナル駅をどこに置くかは、首都防衛上、重要なテーマだった。1782年から始まったチャックリー王朝誕生に伴う遷都で、王宮など国の中枢部はチャオプラヤー川東岸沿岸、現在の旧市街地域(王宮周辺)に集中していた。その周囲には、取り囲むかのように3本の運河が弧を描いて南北に伸びていた。チャオプラヤー川と運河で囲まれた当該地域一帯は、いわば天然の要塞を形成していた。この内側に駅を置こうものなら、鉄道を奪われた場合に容易に敵兵士の入城を許しかねない。こうした経過から、タイ初となる鉄道拠点駅は3番目の運河クルンカセム運河の外側に置かれることとなった。

1897年に開業した当初の国鉄「バンコク駅」の駅舎は、現在のフアランポーン駅から北方約1kmの、現在はタイ国鉄本社があるあたりに置かれていた。レールそのものは南側のパークナーム鉄道フアランポーン駅近くまで伸びていたが、この区間の運河沿いには貨物の取扱事務所や車両の整備場が点在し、区画整理が必要だった。現在の地に移設が始まったのは1910年になってからのこと。旅行者に馴染みの深いドーム状のかまぼこ型の駅舎が完成し、全体の整備が終わったのはさらに後の16年6月のことだった。この時、駅名はまだ「バンコク駅」が一般的だった。

大河チャオプラヤー川を挟んで西側には、マレーシアからシンガポールまでの延伸が見込まれた南部本線の始発駅トンブリー駅(バンコクノーイ駅、旧駅)が1903年に開業していた。鉄道橋はこのころまだ存在しなかった。このため、当時は川の東西で鉄道の仕様が異なっていた。ドイツ人の技師ベートゲを鉄道局長に招聘して進めた初の官営鉄道東北部本線バンコク~コラート間(1900年12月全線開通)は、将来の需要増を予想して欧州やアメリカで広く使われていた標準軌(1435mm)を採用していた。一方、南部へのコメ輸送で需要があった南部本線や民営鉄道のパークナーム鉄道などでは、建設費の安さや国際連結を意識して周辺諸国と同様のメートル軌(1000mm)が採り入れられていた。

ラーマ5世の後を継いだラーマ6世は自らの異母弟であるカムペーンペット親王を鉄道局総裁に充て、これらの仕様の違いを是正、国土統一を急がせた。親王は一部の反対を押し切ってメートル軌の採用を決めた。輸送力よりも早期の国内整備を優先した。軌道の変更工事は20年から約10年をかけて実施され、フアランポーン駅への主要全線の乗り入れを実現させるために、新たにチャオプラヤー川に鉄道橋を架ける工事も始まった。橋は27年に完成、その2年前に死去したラーマ6世の名が贈られた。

こうして名実ともにターミナル駅としてのフアランポーン駅が誕生した。この地を始発駅として、各地の国境地域に向け放射状に鉄道が伸びる体制が出来上がった。民営鉄道として運行していたパークナーム鉄道とメークローン鉄道も間もなく免許更新を迎え、タイ国鉄網の一つに組み入れられることが決まっていた。パークナーム鉄道で使われていた「フアランポーン駅」の駅名も、本来なら後発に過ぎない国鉄駅の「愛称」として、いつしか人々の意識に定着するようになった。

現在のドーム型フアランポーン駅舎は、イタリア人の建築家マリオ・タマーニョと同アニバレ・リゴッティーの二人が設計したとされる。イタリア・ルネッサンス時代の建築様式が採り入れられ、ドイツのフランクフルト中央駅がモデルとされている。高い空間、ドーム上方に組み込まれたステンドグラス、南国特有の造りが旅情を引き立ててくれる。外観は完成当時からほとんど変わっていない。

ホーム形式は行き止まりの櫛形。12番線まであり、1番と2番は内装工事などのための一時留置に使用されている。12番線の外側運河側には大型荷物の受け入れ窓口があり、ここから荷物が各貨車に運ばれていく。バイクや電化製品などをバンコクで買い求め、鉄道で地方に持ち帰る構図は今なお残っている。

駅構内の中央待合室正面には、ターミナル駅としての整備に深く関わったラーマ6世の肖像画が掲げられ、歴史の重みを感じ取ることができる。その右手奥にはモダンな洋風建築の建物。1969年まで営業していた「ラチャタニーホテル」の跡地だ。27年開業の同ホテル。まだ駅周辺に一流ホテルの少なかった当時、ステーションホテルとして多くの来賓を受け入れ、長旅を労った。現在、1階に位置する有料のシャワールームとトイレに、その名残を見ることができる。

構内は2004年からエアコンが完備された。レストランやベーカリー、コンビニエンスストアまでが整備され、どこか現代風に姿を変えつつもある。だが、このターミナル駅が120年余りをかけて築き上げた威厳と風貌だけは、いつまでも変わらないでいるような気がしてならない。(つづく)

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