タイ鉄道新時代へ
【第25回(第2部/第7回)】現存する最古の旧民営鉄道「メークローン鉄道」(上)
総延長4,000kmを超すタイの国鉄線の中で、どの路 線とも接続しない「飛び地路線」となっているのがバ ンコク西部を起点とする「メークローン線」だ。しか も、鉄路は途中、サムットサーコーン県でタイ中部を水 源とするターチン川に分断され、東線(通称:マハー チャイ線)と西線(同:メークローン線)の2路線は互 いに連絡することもなく、独自のダイヤで運行を続け ている。東線の西端マハーチャイ駅と西線の東端バー ンレーム駅を結ぶのはターチン川を往復する渡し船。 住民らの貴重な足でもある。長閑な農村と水産の街を 越えて進む旅情たっぷりの「メークローン鉄道」を上下 2回に渡ってお伝えする。 文と写真・小堀晋一
メークローン線は1905年1月、現在のチャ オプラヤー川西岸にある市場「クローンサーン・プラザ」あたりを起点に開業した。水産 の街マハーチャイまでの31.22km。2年半後にはターチン川の対岸バーンレームと、カンチャナブリー県を水源(クウェー川)とするメークローン川河口の街メークローンを結ぶ 西線も開業。運営は統合され、一体として 「メークローン鉄道」と呼ばれた。沿岸に漁 港が点在するものの、この地方に幹線道路 がないことに目を付けた外国からの商業資本が需要を見込んでタイ政府に認可申請。国 境を臨む路線でなかったことから例外的に建設が認められた。
20年代になると、チャオプラヤー川西岸地 域の人口が増加。運行頻度が高く大量輸送 に適した都市鉄道の必要性が生じた。このため、東線の一部で電化が進められ、小型の1両編成の車両がクローンサーンからバーン ボーンまでを走行。バンコク郊外に住む人々の通勤通学の足として利用された。電化のノウハウは、すでにバンコク市内で路面電車(市内軌道)を運行していたサイアム電気という外国資本が提供した。
電化はバーンボーンから先についても検討が進められた。ところが29年に米ウォール 街の株式市場で株価が大暴落。世界恐慌が発生すると資本は一斉に引き上げられ、電化計画は凍結された。さらに32年にタイ国内で立憲革命が発生。各地でナショナリズムが台頭し、外国からの投資は抑制的となった。安全保障上の見地から官営鉄道を原則とす るとしていた鉄道政策にも影響が及び、政府は民営鉄道の国有化を次々と画策。36年に国鉄に編入された旧パークナーム鉄道(フアランポーン~パークナーム間21.3km。59年末廃止)に続き、メークローン鉄道も42年の戦時接収をきっかけに、その4年後に国有化された。買取価額は会社側が提示した金額の2分の1という廉価だった。
戦争からの復興と国土の開発に傾斜していたタイ政府は、モータリゼーションを 優先させ、戦後一貫して鉄道政策には冷淡だった。55年には電気設備の故障を理由にメークローン線の電化を廃止。ディーゼ ルカーの導入に切り替えた。成長する首都にあって、都市鉄道が電化を取りやめると いうのは極めて異例の事態である。
それだけに止まらなかった。58年のクー デターにより実権を掌握したサリット元帥(陸軍大将)はバンコク市街の「美化政策」を実施。サムローの市街地からの追放(59年までに)、クローンサーン~ウォンウェンヤイ間の廃止(60年末)、路面電車の廃 止( 68年までに)などを強硬した。「渋滞の原因」が理由とされた。メークローン線については一時、タラートプルーまでの廃止とされたが、反対運動から難を逃れた。
その一方で、51年に政府の鉄道局から 改組していた国鉄内部では、鉄道の近代化 についての模索も行われていた。国家の近 代化に鉄道が果たす役割を踏まえた上で の判断だった。そのうちの一つがメークローン線の「改良計画」で、チャオプラ ヤー、ターチンメークローンの3つの川に 鉄道橋を架け、フアランポーン駅への乗り入れが真剣に検討された。終点メークローンから先も新線として延伸させ、南部本線パークトーで接続。同本線のバイパス線とする位置づけだった。
現在、パークナーム線は、東線(マハーチャイ線)が1日17往復。朝夕は最短で30分毎の運行を行っている。変わらぬ気動車による運行だが、かろうじて都市鉄道の役割を果 たしていると言えなくもない。2000年代になって策定されるようになった政府の「首都圏都市鉄道マスタープラン」でも、北部本線沿いに新設される鉄道新線(ダークレッドラ イン)をフアランポーンから先メークローン線に乗り入れさせる計画も検討されている。
一方、西線(メークローン線)は1日わずか3往復。古くなったディーゼルカーが折り返 し運転を行うローカル線だ。メークローン駅のあるサムットソンクラーム県の県都ムアンサムットソンクラーム郡は人口わずか10万人ほどの漁港の街。利便性に乏しいことから、乗 客はむしろ観光客のほうが多い。かつて計画された南部本線への延伸もいつの間にか 凍結された。昨年5月からは老朽化した保線の修理が行われているが、11月末だった予定は遅れ、16年4月のソンクラーン(タイ正月)に間に合うかどうかも不透明なままだ。
メークローン鉄道は、現在の始発駅ウォンウェンヤイ駅までのアクセスの不便さや沿線に目立った名勝史跡がないことなどから、一 部のマニアを除いて訪れる観光客で賑わうことは少ない。だが、それがかえって、このローカル線の魅力ともなっている。東線の終着駅マハーチャイでは豊富な水産物、西線の同メークローンでは線路にまたがる名物