タイ鉄道新時代へ

【第46回(第3部第6回)】インドシナ縦貫鉄道構想その6

タイの首都バンコクを発したインドシナ縦貫鉄道(構想)はカンボジアを経由してベトナム入りした後は、インドシナ半島の海岸線を走行し、やがて中部の中核都市ダナンに到着する。サイゴン(ホーチミン)からダナンまでは鉄路で791キロもあり、東海道山陽新幹線の東京~岡山間を凌ぎ、タイ国鉄南部本線のバンコク~ナコーンシータマラート間とほぼ同じ、18時間の長旅である。仏領インドシナ時代にはトウレン(トゥーランとも)と呼ばれた風光明媚で美食の街。フォーやバインミーなど食べ歩きも楽しめるリゾート地を途中下車するのもいいだろう。(文と写真・小堀晋一/デザイン・松本巖)

サイゴン発ハノイ行きの南北統一鉄道SE6便は、始発駅を午前9時に出発した後しばらくは、市街地を通過するためゆっくりとした速度で進行する。ぐんと加速するのは都市部を離れ、見渡す限りの田園地帯を走るようになる頃だ。訪ねたのは日本で言えば実りの秋。だが、ここは三期作も可能な南国の地。おそらく二回目の収穫期を迎えた中を列車は快調にスピードを増していった。

サイゴン駅で長蛇の列に並び購入した切符はソフトベッド車両、定員4人の個室、2段ベッドの上段席だった。下段のほうが何かと都合が良いというのが一般的な印象だろうが、ここはベトナム。太陽が頭上にあるうちは上段の者が階下に降り、下段の客と一緒にベッドの端に座っておしゃべりや車窓を楽しむというのが通常の見慣れた光景だった。プライバシーはほとんどない。仕事もはかどらない。あらかじめ上段ベッドを押さえるという戦略的奇策は見事なまでに的中した。

ほぼ1日も乗車していれば当然、腹も減る。正午前、ようやくワゴン車に乗せた食事販売の乗務員がやって来た。平皿にインディカ米を盛り、好きなおかずを数点選んで添えるという、まさに屋台スタイルそのものだった。おかずは既にいくつかが売り切れとなっており、記者(筆者)は野菜を炒めたものと煮卵のようなものを注文した。〆て4万ドン(約190円)。車内販売のためか若干割高な感じがした。好き嫌いもなく何でも食べる記者。ペロリと平らげたが、美味しいかと言われればそのような感じがしないでもなかった。

午後4時半すぎ、列車は南部カインホア省にある人口35万人の都市ニャチャンに到着した。ここまで411キロ。ダナンまでのほぼ中間地点。街はインドシナ半島のちょうど中腹に位置し、他の地より雨期が短く10月と11月に集中して雨が降るのが特徴だ。7キロも続くという美しい砂浜はこの地を観光地として発展させた。建ち並ぶリゾートホテル。ベトナム政府も外貨獲得を目的に観光業を後押ししている。

第一次大戦前に既に部分開通していた南北鉄道にあって、ニャチャンから先ダナン(当時はトウレン)までは長らくミッシングリンクの状態が続いていた。構想はあったものの、この地を支配していたフランスが港湾施設の整備を優先。財源難もあって、住民が長らく求めていた鉄道の延伸・連結は先送りが続いていた。南北鉄道が1対のレールで結ばれ全線で開通したのは第二次大戦直前の1936年のこと。ここに来てようやく国土の長いベトナムの幹線鉄道は完成した。

ニャチャンも時代に翻弄され続けた都市だった。チャム人がつくったチャンパ王国時代(2~19世紀)は良質な漁港だった当地。フランス領インドシナとなると、フランス系の政府要人用の保養地として開発された。戦時下には日本軍が進駐。この頃はナトランと呼ばれていた。ベトナム戦争期を迎えると、今度はアメリカ軍が軍港を建設。激戦地の一つにもなった。社会主義国家建設後は政府の高級官僚用のリゾート地として再生。政府のドイモイ政策によって現在は外貨獲得の高級リゾート地として発展するに至っている。

列車は夕日を進行方向左側から浴びながら進路を北部に取り、快調に走行を続けている。太陽を浴びた稲穂は黄金の輝きを見せ、いつまでも旅する者を楽しませてくれる。やがて陽は落ち、夕暮れは暗闇へと彩りを徐々に換えていった。クワンガイ、タムキーの両駅に停車した後、列車はボンソン駅に到着。既に日付は翌日を迎えていた。ダナンまではあと3時間。寝台車はもとより一般席でも乗客のほとんどは深い眠りに就いていた。

午前2時50分すぎ、車内のアナウンスが流れた。あと10分ほどでダナンに到着するという。定刻から遅れること10分程度。1時間や2時間の遅れが日常茶飯事のタイ国鉄に慣れきった記者としては、意外にも正確なベトナム国鉄の印象は新鮮だった。

滑り込むようにホームに入線するSE06便。停車後、大きな荷物を抱えた多くの乗客が降車する。時刻は午前3時を回ろうというのに大変な賑わいだ。列車を降り、待合室を見てみるとさらに仰天した。乗車を今か今かと待ちわび、集うたくさんの人々。ハノイ~サイゴンの直通運行は1日4往復。住民の貴重な足となっていることを痛感せざるには得なかった。

この後、SE06便は進行方向を変え、最後尾が先頭車両となる。そう、ダナン駅は海辺に突き出たように位置するため、ここでスイッチバックを余儀なくされるのだ。機関車を付け替えるため、列車はここで数十分の停車となる。運行時間の調整も当駅で行われるようだ。

外に出てライトアップされた駅舎を眺めてみた。「GA DA NANG」。駅を意味する「GA」は、「ガッ!」と吐き出すように言えと、サイゴン駅の切符売り場で言われたっけ。朝になったら少しだけダナンの街を散策して、ハノイを目指してみよう。(つづく)

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