タイ鉄道新時代へ

【第1部/第18回】タイ鉄道網の復権と国家百年の大計

吾輩は猫である。

今から150年以上も昔の19世紀半ば。場所はイギリス・ロンドンの目抜き通り。ここに、タイ人として初めて蒸気機関車(鉄道)に乗車する機会に恵まれた一群がいた。ラマ4世が視察のためタイから派遣した使節団十数人。西洋の進んだ技術に度肝を抜かされたメンバーらは、鉄道が国土の近代化には欠かせないことを知り、驚愕のまま帰国する。それから30数余年。タイで一番列車となるパークナーム鉄道の列車がバンコク駅を発車したのは、20世紀を間もなく迎えようかという1897年のことであった。以降、王国は鉄路を中心に栄え、欧米列強の時代にあっても発展を続けていった。戦中、戦後の復興期においてもそれは変わらず、鉄道は国土の繁栄を足元から支えた。長期連載でお伝えしてきた「タイ 鉄道新時代へ」第1部はいよいよ最終回。タイ鉄道網の復権と国家百年の大計について。(文・小堀晋一)

国土発展の原動力として位置づけられたタイの鉄道だったが、戦後間もなく始まったモータリゼーションの波の前にはあまりにも無策だった。1950年代半ばまでにはバンコクから放射状に国道が整備され、旅客も貨物輸送も自動車に次々と奪われていった。サリット・タノーム両政権の開発政策がこれを加速させた。「フレンドシップ・ハイウェイ」をはじめとした高規格道路が遍く建設され、国家予算は軒並み道路建設に充てられた。70年代初めには主要道の舗装率は60%に達し、舗装道路の総延長は1万3000kmにも及んだ。

この間、タイの国鉄は常に冷遇をされた。予算措置が講じられないことから新型車両の購入にも余裕がなく、修理を施したり部品を交換しては窮状を凌ぐしかなかった。夜行列車や快速列車の運行など自助努力にも励んだが、一度、奪われた顧客を奪い返すまでには至らなかった。何よりも故障がちで、単線運行や荷の積み下ろしのために待ち時間が多く、到着時間が読めない鉄道に、大量輸送手段としての期待は集まるはずもなかった。

復活へのきっかけは、20世紀も終盤になってようやく訪れた。都市の過密化とともに深刻化するようなった自動車による渋滞が、皮肉にも鉄道の役割を再認識させてくれた。大量輸送手段としての都市鉄道である。すでにバンコクでは68年末までに市内の全軌道網が全廃され、国際的な大都市であるにも関わらず輸送手段が乗用車かバスしかないという歪な都市構造を顕にしていた。事態は待ったなしの状態だった。こうして誕生したのが、1999年12月に運行を開始した高架鉄道BTSであった。

渋滞問題は世界共通の都市問題である。自動車のみに依拠した都市交通政策はありえず、自動車ではない専用の進行路を持った公共交通機関が必要とされた。バンコクではその後、地下鉄(MRT)が建設され、今では合わせて100万人近い利用者で賑わっている。だが、2004年7月のMRT開業以降、BTSの一部延伸と空港鉄道を除いてはバンコクの都市鉄道政策は遅々として進んでいない。総延長500kmに及ぶマスタープランがあるというのに、達成率は20%にも達していない。それはなぜなのか。

連載第15回で見たように、大きくは都市鉄道の政治利用という問題があった。初めて「都市鉄道マスタープラン」が策定されたのは20年以上も前の1994年。ところが、タイの鉄道政策は都市部選出の国会議員や監督官庁の有力者によって政争の具とされ、すっかり機能不全に陥ってしまっていた。アジア通貨危機を経て、タクシン政権が誕生してからは特に顕著で、算出根拠の不明な一律乗車賃15バーツ、20バーツといった大衆迎合策が選挙の度に闊歩する有り様だった。政府をタクシン派が、バンコク都を反タクシン派が支配するという〝ねじれ〟も助長させた。

タイで鉄道の復権が進まない背景には、都市鉄道以外に抜本的な他の鉄道対策が容易には取りにくいといったタイ独自の事情もあった。インラック前政権は2013年、バンコクから北部ピサヌローク、東北部ナコーンラーチャシーマー、東部パタヤ、南部フアヒンにそれぞれ高速鉄道を敷設する鉄道計画を発表。日本の新幹線を連想させる「夢の超特急」論議が一時、タイ政財界だけでなく国際的にも話題となった。こうした都市と都市を結ぶ「都市間鉄道」は均衡ある国土発展には欠かすことができず、戦後、高度経済成長を果たした日本では新幹線が主にそれを果たした。

ところが、人口800万人超のバンコク首都圏に次ぐ規模を誇る東北部ナコーンラーチャシーマー県(コラート)でさえ中心部の居住者は43万人余り(2013年現在。以下同じ)。北部チェンマイ中心部でも26万人を数える程度に過ぎない。企業が本社を置く都市もバンコクが圧倒的で、都市間鉄道を建設したところで果たして採算ベースに合うのかといった根源的な問題が常に付いて回った。タイではバンコクが世界有数の巨大都市に成長したものの、それに代わり得る都市がなく、一極集中の極めて不安定な都市構造をしている。結局、こうしたことが原因となって有効な鉄道政策が打ち出せなくなっていたのである。

現在、軍事政権では今後のタイの経済成長に果たす鉄道の役割を評価し、従来の鉄道政策からの転換を進めている。その柱の一つに、新たな高速鉄道建設計画を置く。時速200kmを超える高速鉄道を新設することで、これまでになかった需要や消費を喚起しようという考えだ。敷設区間も過去の計画に囚われず、将来の市場を考慮しながら新たに検討するとしている。

新線構想は大きく3つに分かれる。一つは東北部ノーンカーイからナコーンラーチャシーマーを経て、バンコク、ラヨーン県に至る南北縦貫のルート(地図の赤線)だ。プラユット暫定首相は建設を中国に委ね、開業後3年間は自由な運営を認める方向で検討を進めている。中国にしてみればラオスからタイを経由し、ミャンマーからインド洋へ進出する足がかりを確保でき思惑とも一致する。若干のリスクを冒してでも確実に建設を進めたいというプラユット首相の強い意志と見ることができる。

一方、日本政府に対してもタイ政府は、地図の緑線に相当する3区間の新線建設を要請している。このうち日本側は、南部経済回廊と重なるカンチャナブリー県プーナムローンからバンコクを経てレムチャバン港を結ぶルートと、バンコクとチェンマイを結ぶ2つのルートについて関心を示し、参入の可否を検討している。タイ側は東西回廊に相当するターク県メーソート~東北部ムクダハーン県のルートも呼びかけているが、不調の場合はドイツないし韓国に打診する計画でいる。

3つ目が日本の新幹線をモデルとした超高速鉄道計画だ(地図橙色)。いずれもバンコクを起点に西部フアヒンと東部パタヤを結ぶルートで、プラチン運輸相は「タイを訪れる観光客を主な利用者として考えている」と明言。今年2月に日本を訪問したプラユット暫定首相肝入りの計画らしい。

ただ、計画を立てては構想段階で行き詰まるというのがタイの鉄道政策の歴史でもあった。今回も南北縦貫計画でルートの見直しが早々と行われ、関係者を慌てさせた。建設資金の調達についても不明な点が多く、これらを諸外国や国際機関がどう判断するのか流動的な要素も少なくない。新線の軌道を標準軌(1435mm)とすれば、設備全体の見直しも必要となる。財源問題が大きなカギとなるだろう。

他方、長距離鉄道となる新線網を物流(ロジスティクス)の観点から歓迎する向きもある。理論上ではコスト効率が最も高いのが鉄道による輸送。近年はタイ市場でもコストや環境といった取り組みが活発となっており、ここにビジネスチャンスを見出そうとする資本の動向があってもおかしくない。タイの鉄道は明らかに新時代に向かっている。皮肉にも軍事政権がそれを後押しするが、まさしく国家百年の大計となることは、もはや疑いない。(第1部おわり。第2部につづく)

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