タイ鉄道新時代へ

【第33回(第2部/第15回)】フランス侵攻止めたコーラート線

タイの大地を初めて走った官営鉄道が1897年開通のバンコク~アユタヤ間。登記上区分される北部本線の一部区間としてではなく、当時は共用する東北部本線のそれとして運行を開始した。時は19世紀末から20世紀の初め。インドシナ半島の大半は帝国主義国フランスが手中に収め、タイ進出を虎視眈々と狙っていた。タイで初めての幹線鉄道となったコーラート線(東北部本線の一部)は何を目的にどのような経緯をたどって完成したのか。また、その後の経緯は。東北部シリーズ第2弾はイサンの玄関口コーラートがテーマ。(文・小堀晋一)

 

東北部ナコーンラーチャシーマー県ムアンナコーンラーチャシーマー郡にあるタイ国鉄東北部本線コーラート(正式名称ナコーンラーチャシーマー)駅。付属する機関区には国鉄車専用のナコーンラーチャシーマー工場が配置されているほか、タイで最大の15線分の広さがある扇形庫や転車台もあって、今なおディーゼル機関車などの保守メンテナンスが当地で行われている。ゆっくりと流れるような時間。ここに立ち尽くしていると、あまりの懐かしさで日が暮れるのを忘れてしまうほどだ。

ラーマ5世の治世下(在位1868年~1910年)、タイは近代化を急いでいた。東から南東にかけてのインドシナ半島はフランスが、西のビルマ、インドはイギリスがすでに勢力下に置いていた。東西両陣営からの干渉は次第に激しくなり、民間資本を装った鉄道建設申請がタイ政府に寄せられるようにもなった。イギリスはビルマ・モールメインからの接続を狙ってバンコク~チェンマイ間の建設を打診。フランスもメコン川左岸一帯とカンボジアを支配下として機会を伺っていた。

このような中でラーマ5世が最優先に選んだのが、バンコク~コーラート間263.65kmの鉄道建設だった。750kmを越すチェンマイ・ルートは難所も多く、距離も長くて時間を要する。列強が支配する国境沿いに向けてはリスクが大きい。採算が取れるかといった経済的な理由を措いて、国際情勢や安全保障情勢がまずをもって優先された。事業失敗による被植民地化への懸念が常にあった。

敷設調査は1888年から始まった。イギリスやドイツの技師を招き鉄道事業の初歩から学び取ろうとした。だが、入札後、工事が始まろうかという段階になって落札先のイギリス企業との間でトラブルが発生。祖国イギリス政府をも巻き込んだスキャンダルとなって、タイが賠償金を支払う羽目に。これに懲りたラーマ5世の異母弟ダムロン親王は、以後の鉄道建設は国家主体の事業とし、少なくとも幹線は官営鉄道に限定。支線や軽便鉄道に限って民間資本を採り入れる仕組みに改めた。東方に向けての建設も当面、認めないとした。

東北部(イサン)地方の玄関口コラートに鉄道を通すことは、地政学上もタイにとって大きな変革をもたらすことを意味した。元来、同地方はメコン川流域と地理的に密接な関係にあった。イサンに降った雨水はメコン川に流れることはあっても、チャオプラヤー川には届かない。乾期であってもバンコクまで15日以上もかかる土地に交易地としての魅力は乏しかった。

ところが、コーラートまで鉄路が延伸されるようになると、それまでの所要時間15日間はわずか1日に短縮。首都圏にはほとんど流通していなかったイサン産の米も輸送費の大幅削減からタイ中部に広く供給できるようになった。3大出荷品目うち残る豚肉や木材などの取引も盛んに行われ、一時はバンコクで消費される豚肉の7割がイサン産とされたこともあった。

コーラート線の開通を受けて、真っ先に方針の変更を迫られたのが仏印だった。仏印は当初、イサンとメコン川中流域とを鉄道で結ぶなどして経済的な利益を享受しようと目論んでいたが、タイがコーラート線を先に完成、イサン地方を自らの経済圏に取り込んだことで、その必要性を大きく後退させた。今後も、バンコクよりも優位に立つことは難しく、経済的な意味でのイサン進出のきっかけは大きく失われてしまっていた。コーラート線の誕生が、帝国主義国家フランスの侵攻を止めたと言って過言ではなかった。

一方、鉄道の誕生を契機に、イサン地方の開発は急ピッチで進められていった。交通手段がそれまでの牛車しかなかった東部ウボンラーチャターニーや北部ノーンカーイに向けて、コーラートから鉄道の延伸が実現。1966年にはサラブリーとコーラートを結ぶフレンドシップ・ハイウェイも開通した。隘路として輸送上の最大の阻害要因となっていたドンパヤーイェン峠も、迂回するバイパス鉄道の建設も決まったことで難所から外れた。このころ、車両と車両をつなぐ自動連結器の導入もスタートした。

コーラート駅のあるナコーンラーチャシーマー県の人口は現在約260万人。今ではチェンマイをも上回るタイ第2の中枢県に成長した。イサン地方の玄関口として駅前の広場には蒸気機関車261号が静態保存されている。中国が進める高速鉄道の中継地の一つともなっているコーラート。今後もイサン地方の玄関口として存在感を示していくだろう。(つづく)

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