タイ鉄道新時代へ

【第77回(第3部37回)】 中国「一帯一路」の野望その9

中国雲南省昆明とラオスの首都ビエンチャンを結び、来年12月の完成に向け着々と工事の進む高速鉄道「中老鉄路」。新型コロナウイルスの感染拡大でラオス国内でも感染者が出るなど進捗が気になるところだが、工事を主導する中国政府の威信にかけて遅れは認めない方針だ。ラオス国内だけでも414キロ、中国区間も含めた全長は1千キロを優に超す巨大鉄道計画。完成の背後には、単なる二国間鉄道に止まらない雄大な鉄道網構想がある。終着駅ビエンチャンからその先メコン川を渡り、建設中のタイ中高速鉄道へと接続させる計画だ。ノーンカーイとバンコクを結ぶそれは全長606キロ。さらに先にマレーシアやシンガポールを見据える。念頭にあるのはもちろん中国の国家政策「一帯一路」だ。
(文と写真・小堀晋一/デザイン・松本巖)

中老鉄路の終着駅ビエンチャン予定地があるのは中心部から北東に約13キロ。周囲に一面の田畑と荒れ地が広がるこの場所で、整地や高架橋の建設工事が急ピッチで続けられている。開業に合わせ、国土を縦貫する国道13号線への取付道路も複数本が整備される見通しだ。ラオス全土に向け長距離バスが発着する市街地のバスターミナルまでシャトルバスが運行する計画もある。  駅予定地のその先も痩せた土地が見渡す限りに続き、民家や人影はまばら。商業施設や工場などの建物群もほとんどない。このままゆっくりと右に90度カーブしてほぼ真南に向かって進めば、メコン川に架かる1994年完成のタイ・ラオス友好橋に出る。そんな辺鄙な郊外の場所にビエンチャン新駅は造られる。

友好橋に至る手前約2.5キロの位置にポツンとたたずむのが、タイ国鉄が受託管理するラオス国内唯一の鉄道駅ターナーレーン駅(ビエンチャン都ドンポーサイ地区)だ。2009年3月の開業以来、1日に上下各2便。メコン対岸のタイ国鉄ノーンカーイ駅まで2両編成の客車が5.5キロの距離を走行する。ところが、ここから接続する公共交通手段はバスを含め一切ない。売店などもなく、完全な陸の孤島となっている。好んで利用する地元住民はまずなく、多くは物珍しさから訪れる観光客だ。  メコン川を渡河するターナーレーン線は、はるかベトナム戦争時の50年代にアメリカ軍によって考案がされた。戦時物資や兵士をビエンチャンからベトナム戦線に送り届けるためだった。ところが、ラオスの共産化やタイ国内の事情から計画は頓挫。しばらくは棚上げの状態が続いた。  再び大きく動き出したのが90年代半ばのことだった。豪州の支援を元に鉄道併設橋として設計がされた友好橋の建設がきっかけだった。これによりタイでは国際列車運行の機運が高まり、2000年にはノーンカーイから国境まで先行してレールが敷設された。ラオス側でも07年に工事がようやく始まり、ターナーレーン駅とを結ぶ鉄道はその2年後に開通を見た。

そんなラオスの鉄道事情に、三たび大きな転機が訪れたのが17年3月のことだった。交通量の増加するトラックと貨物車両との間で荷の積み替えが行えるよう、ターナーレーン駅北側2キロの地点に倉庫機能を持たした新貨物ターミナル「ドンポーサイ・コンテナヤード」が誕生したのだ。新たな物流の動きが加速されると歓迎され、現地では盛大なセレモニーも開催されたほどだった。  ところが、この動きにタイの輸送業界が待ったをかけた。撤回を求めるロビー活動が展開され、結果、貨物ターミナルはほとんど使用されることもなく、十分な機能を果たせずにいた。タイ国内で陸上輸送を束ねるトラック業界と通関手続きで利益をむさぼる既得権益層からの圧力だった。ラオス側からは恨み節も聞こえてきたが、自己資金に乏しい小国にあって夢の実現までにはもう少し時を待たねばならなかった。

ターナーレーン駅の貨物ターミナルからノーンカーイに向け、念願の国際貨物列車が運行を始めたのは19年8月1日のこと。ラオス政府による執念がついに実を結んだ。この日の一番列車が運んだ初荷の中身は国産ビール会社が製造した「ビア・ラオ」。ラオスの荷が初めて鉄路でメコン川を渡った瞬間だった。  ラオスからタイへの貨物列車の運行は毎日4本。ノーンカーイに到着した荷はそのままタイ国鉄の貨物列車に連結され、タイ東部チョンブリー県のレムチャバン港まで一貫輸送される。これにより途中の検問や交通渋滞のないスムーズな運行が実現することとなった。港を持たない内陸国ラオスにとって、これは大きな変革を意味した。中老鉄路の建設を進める中国政府も、こうしたワンストップ輸送の行方に大きな関心を向けている。

(つづく)

20年5月01日掲載

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