タイ企業動向

第2回 R&D機能強化への試み

自動車や家電など製造業を中心に産業の集積するタイ。長らく世界の「組み立て工場」として存在感を示してきたが、ここに来て国内における研究開発(R&D)機能を高め、経済をけん引しようという動きが急速に広がっている。政府は高付加価値産業の育成を図るためには技術力の向上が不可欠だとして、外国の優れた技術の導入を積極的に進めていく考えだ。そのためには高度な技術力を持つ外国人研究者を国内に招聘する必要があるとして、これら研究者に対する個人所得税の課税税率を引き下げるなどの検討も進めている。産業構造の転換と経済成長、さらには治安の維持をも同時に進めようというタイ暫定政府の試み。経済回復の起爆剤となるのか。日系ほか多くの企業も軸足をR&Dに移しながら行方を見守っている。(在バンコク・ジャーナリスト 小堀 晋一)

世界第2位の製薬メーカーであるノバルティス(スイス)の事業化可能性調査(F/S)チームがタイの地に降り立ったのは2010年代初めのこと。東南アジア(アセアン)経済共同体(AEC)の発足が間近に迫った時期だった。人口6億人の巨大市場が誕生し、経済的な成長が続けば薬の需要も伸びる。医療ビジネスが盛んなタイにその研究開発拠点を作ろうと考えたのはごく自然な流れだった。だが、調査は間もなく壁にぶち当たる。ネックは高額なタイの個人所属税の仕組みにあった。

タイにおける個人所得税は、課税対象額15万バーツ未満の非課税帯から5%ごとに段階的に引き上げられ、最高税率は課税対象額400万バーツ以上の35%。シンガポールの17%の実に2倍以上だ。製薬には高度な知見と高い技術力が求められ、畢竟、必要とされる人材は博士号を持つような研究者が多い。タイ国内だけで十分な人材を集めることは不可能で、海外から調達する必要があった。だが、個人所得税がこれほどに高額であると、人材そのものが集まらない。こうして同社では最終的にR&D分野でのタイ進出を断念せざるを得なかった。

 

昨年11月にタイ投資委員会から新たな投資優遇策「クラスター制度」の詳しい内容が明らかにされると、かつての轍は踏まないとの議論が政府内ほか産業界からも次々と持ち上がった。海外から高付価値産業を誘致するには、法人所得税や関税など税制面での優遇策に加え、赴任者が暮らしやすい環境作りや技術者育成の仕組みをしっかりと作り上げる必要がある。これまでのような法人向け投資恩典策だけでは企業誘致は進まないというのだった。

将来の自動車産業の在り方などを研究するタイ自動車研究所からは、研究開発のための自動車部品の輸入や海外からの試作車両の調達にあたっては輸入関税を減免するよう暫定政府に要望書が提出された。タイにおける自動車部品の市場規模は約2,500億バーツ。R&D機能が高まりタイの企業が自動車メーカーの一次サプライヤーに就くことができれば、タイの経済力は高まり税収も伸びる。そのためには、まず日系自動車メーカーなどが中心となって研究開発拠点をタイに移転してもらう必要があった。現行で20~30%の部品関税、80%の試作車両関税はその大きな障壁だった。

政府も側面支援を模索している。タイ工業省は昨年末、日本の自動車研究所との間で1通の覚書を締結させた。環境車開発や交通情報処理技術の向上など現場レベルでの技術者の交流を加速させ、人材の養成を共同で行っていこうというものだった。タイにおけるR&D機能が高まれば日系自動車関連企業も進出しやすくなり、ひいてはタイ経済の底上げになるという読みがあった。

 

こうした政府や産業界レベルでの研究開発強化の流れを受けて、日本やタイの民間各社も投資を加速させている。日系では、三菱、トヨタ、ホンダの大手自動車メーカーが相次いで走行テストコースを新設するなどR&D拠点化を鮮明に。タイは自動車の一大輸出基地でもあり、ここで走行テストを繰り返し新たに開発された技術や車両が、海を越えてアジアや欧米の市場に供給される日もそう遠くはないと受け止められている。この流れはタイヤや自動車部品を製造するメーカーにも色濃く反映され始めている。

タイの地場資本も黙ってはいない。タイ有数の工業団地開発運営で知られるアマタ・コーポレーションは昨年2月、東部にあるアマタナコン工業団地内にR&D支援のための区画「アマタ・サイエンスシティー」の建設計画をまとめ話題を集めた。優秀な研究者が開発研究に没頭できるよう、区画内には家族向けの住居や教育・娯楽施設なども兼ね備えている。まずは海外を中心に200社ほどの入居を見込んでいる。王室財産管理局が出資するタイ有数の企業財閥サイアム・セメントもR&D分野への投資を強化する。新素材など高付加価値商品の開発に今年と来年の2年間で計150億バーツを計上する計画だ。

昨年末のAEC発足に加え、確実視されている環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加、新たなクラスター政策の導入。そして始まった企業のR&D機能強化の動き。さまざまなリスクや不安を抱えながらも、タイ経済は静かに着実に歩みを進めているように見える。(つづく)

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