タイ鉄道新時代へ
【第101回(第4部17回)】インドシナ・マレー半島縦断鉄道構想/タイ中高速鉄道6 パークチョン
「タイ中高速鉄道」のサラブリー~パークチョン区間は、東北地方の山麓部イサーン方面への玄関口。在来線の分岐駅ゲンコーイ・ジャンクション駅を通過し、セメント工場への引き込み線が伸びるマーブガバウ駅を超えるあたりから勾配は20パーミル超と厳しさを増し、機関車もうなりを上げる。カオヤイ山麓が広がるドンパヤーイェン山脈は標高1000メートルを超える複雑な地形で、広さは62万ヘクタールもある。古くから多くの旅人の足を苦しめてきた難所は、高速鉄道の時代にあっても難工事を強いてきた。サラブリー県から県境を越え、その峠の先に広がるのがコラート台地。ここからは川の流れも東寄りに変わる。いよいよ、ナコーンラーチャシーマー県だ。とはいえ、県庁所在地のあるムアン・ナコーンラーチャシーマーまでは優にまだ100キロもある。その前に停車するのが、同県パークチョン郡のパークチョン駅だ。(文と写真・小堀晋一)
パークチョン駅があるのはバンコクから約180キロのナコーンラーチャシーマー県最西端。人口20万人にも満たない典型的な田舎町だ。周囲に客を呼び込むような観光地も集客施設もなく、発展につながるようなものは何もなかった。それが、タイ中高速鉄道の建設が閣議決定され、鉄路がこの街を通過することが分かると、街は息を吹きかけたように沸き上がる。駅周辺一帯の開発計画が持ち上がり、不動産会社が住宅の分譲構想をぶち上げるなど、静かな街はかつてない勢いに包まれている。
高速鉄道の新駅は、現在の在来線駅を拡張する形で建設される公算が高い。国道2号線からはわずか200メートル。駅の北西部には一定の面積を持つ森が広がっており、ここが整備されるという見通しだ。運輸省が作成した計画案によれば、駅舎は木造をイメージさせる3階建て。最上階が高速鉄道、2階部が在来線とみられている。サラブリー駅などと同様に、全体としてタイの伝統建築様式を模した造りとなっている。
新型コロナウイルスの感染拡大もあって工事全体が遅延を繰り返す中で、この駅周辺だけが特に注目を集めているのは、タイ初の標準軌1435ミリが敷設できるだけの基礎工事をすでに終えている区間があるからだ。サラブリー県との県境に近いクランドーン駅からパンアソーク駅にかけての3.5キロ。一面の荒野の中に不自然なまでに整然とした区間がポツンと広がっている。
いずれもナコーンラーチャシーマー県パークチョン郡に属するこの区間だけが先行して完工された理由はよく分からない。タイ中高速鉄道の建設が始まったのは、軍政の流れを汲む現プラユット政権となってから。首相の郷里がナコーンラーチャシーマー県だからというのが最もよく聞かれる説明だが、それだけでは理解は不十分だ。土地収用にからむ利権話もたびたび浮上するが、ただでさえ解明が困難なこの手の問題に外国人記者が挑む術はない。
コラート台地に至る鉄道路線で、もう一つ特筆しておきたいことがある。在来線のバンコク~ナコーンラーチャシーマー間約246キロ。タイ国鉄初となったこの区間の鉄道建設は、サラブリー県ゲンコーイ駅とナコーンラーチャシーマー県パークチョン駅を結ぶ約55キロが最大の難工事とされた。完成したのは1899年5月。まだ19世紀のことであった。その建設工事に、日本からタイ(当時はシャム)に移り住んだ日本人団が参加し、犠牲を出していたというのだ。
慰霊碑があるのは、ゲンコーイ分岐駅北北東500メートルにある寺ワット・ゲンコーイ。ここに1966年3月にタイ国日本人会のメンバーによって建立された「日本人第一回移民ノ碑」がある。それによれば、日本からシャムに向けて最初の移民が渡ったのは1894年(明治27年)のこと。当初はバンコク近郊で稲作に従事するのが目的だったという。
ところが、事態は思わぬ方向に進んでいく。時の国王はかの名君チュラーロンコーン大王(ラーマ5世)。英仏列強が東西からの侵略を試みる中で、求められたのが自前での鉄道建設だった。民間資本の形式を装う英仏に先に鉄道敷設を許してしまえば、兵士の輸送に転じられるなど国内の安全保障は地に落ちる。そう考えた大王は敵対するドイツの鉄道技師ベートゲを鉄道局局長に起用し、官営鉄道の建設を急がせたのだった。こうした時に白羽の矢が立ったのがタイに移り住んでいた日本人移民だった。
ドイツ国内では、すでに鉄血宰相ビスマルクは引退していた。だが、日本人の勤勉さと手先の器用さは本国からベートゲには伝わっていた。こうして日本人移民が急きょタイ国鉄の建設に従事されることになった。ただ、工事はかつてないほどの難工事。石碑には「稀有ノ難工事に加エ未開瘴癘遂二マラリヤニ冒サレ十八名ガ異郷ニ永眠ス」とあるように多大な犠牲を強いたようだ。この地の鉄道建設に、少なくない日本人の魂が眠っていることはあまり知られていない。(つづく)
2023年5月1日掲載