本誌のキーマン2人が大いに語る Uマシン創刊からの歩みそして未来

Uマシンは、今月号で創刊200号を迎えることができました。2004年1月の創刊から現在まで存続することできたのは、ひとえに広告主の皆さま、読者の皆さまのおかげです。本当にありがとうございます。今回はお礼の意味も込めて、Uマシンのキーマン2人のインタビューを掲載させていただきます。Uマシン創設者にして当社マネージングディレクターの乾陽一にはUマシンのこれまでの歩みを、ジェネラルマネージャーの小暮信嗣には今後の展望を語ってもらいました。(聞き手・編集部)

――創刊の経緯を教えてください。

乾 私はもともと独立志向が高く、35歳までには独立したいと思っていました。当時はバンコク週報という新聞社に勤務していて、新聞以外にもいくつかの雑誌の制作に携わっていました。そんな中、私に出資してくれるという方が現れ、バンコク週報社に籍を置きながら2003年2月にSNIインターナショナルという会社を創業し、責任者を雇い、最初は貿易関連のビジネスをすることにしました。ところがそのビジネスはなかなか芽が出ませんでした。そんな中、責任者が中古機械に精通している方と知り合い、意気投合して、中古機械のカタログ的な本を出そうということになり、Uマシンの前身となるカタログ誌「マシンツール」を発行しました。

――出来栄えはどうでしたか。

乾 責任者が出版未経験者だったこともあり、内容はひどいものでした。数多くの大手製造業関連企業さまから広告を出稿していただいたのですが、発行後に掲載企業のほとんどから叱咤されました。ただ、マシンツールを出したおかげで、製造業の方たちが広告出稿に前向きであることが分かりました。当時のタイには、製造業関連の企業が広告を出せるような日本語メディアがなかったんです。そこで、製造業に特化した月刊誌の需要があるのではと思い、バンコク週報を退社して、月刊日本語工業誌という位置付けで、2004年1月にUマシンを創刊しました。

――どんな体制でスタートしましたか。

乾 シーロム地区のオフィスビルに小さな事務所を借りて、日本人2人、タイ人5人でスタートしました。創刊号は20ページ、部数は5000部でした。私は新聞社にいたこともあり、最初は持ちやすいサイズの「小さい新聞」を作るという感覚でした。表紙に記事があって、その下に広告が入っているのはそのためです。

――ルーツは新聞だったのですね。

乾 そうです。今も続くこのスタイルは「小さい新聞」のイメージから始まったんです。だから、最初は中綴じじゃなかったんですよ。

――バラバラということ?

乾 そう、バラバラ。20ページと少なかったし、ホチキスで閉じてなかった。けど、これが大不評で(笑)。手にとった人たちのほぼ全員から、「これ間違ってんじゃない?」「ホチキスし忘れてるよ」と突っ込まれて。あまりに不評なので、4号目から中綴じにしました。

――出だしは順調でしたか。

乾 最初は厳しかったですよ。営業活動は前述のマシンツールの謝罪から始まったので、どこに行ってもけんもほろろでした。そんな中、ある営業先の方から言われたのが「Sodickさんやオムロンさんが広告を出したら考えてもいいよ」と。その日のうちにSodick Engineering※の稲山MDに電話し、翌日にはお会いできました。私が「今はまだ無名で誰も知らない雑誌ですが、将来必ず日系製造業の役に立つ雑誌にしますので、今ご協力していただけませんか」とお願いしたところ、稲山MDはその場で契約書に署名してくれました。その時は涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。Sodickさまには創刊号から今号まで200回、一度も途切れることなく広告をご掲載していただいております。

――資金は大丈夫でしたか。

乾 Uマシン創刊前の貿易事業で資金を使い果たしていたので、最初から借金スタートでした。銀行は貸してくれないので、とにかく多くの方にお借りしました。毎月の資金繰りをするのが大変でしたが、その一方で必ず在タイ日系製造業の役に立ち必要とされる雑誌になると信じて営業と制作に励み、3年目を過ぎた頃からようやく自分の給料を貰えるようになりました。当時、こんな私を信じて融資してくれた皆さまには本当に感謝しております。

――タイの景気は当時どうでしたか。

乾 景気は良かったですね。タイ政府が2003年に「アジアのデトロイト構想」を掲げ、自動車生産が急速に拡大している時期でした。だから創業したタイミングは良かったんですよ。

――製造業は上向きだったのですね。

乾 2004年当時の自動車生産台数は約90万台でしたが、政府は自動車生産能力を180万台にするという目標を掲げました。そこから右肩上がりに伸びて、2012年に念願だった180万台を達成しました。この年に達成した背景には、前年にタイを襲った大洪水があります。タイは2011年に大洪水に見舞われましたが、翌2012年には洪水後の買い替え需要や政府による景気刺激策が奏功して購買力が増加し、自動車生産が一気に伸びたんです。結局、2012年通年の生産台数は過去最高の245万台に達しました。

――2010年には反政府デモもありました。

乾 あの時も大変でした。当時はスリウォン通りに事務所があったのですが、軍によりシーロム、スリウォンは広範囲にわたって鉄条網が張られ、事務所に入れなくなりました。さすがに次号の発行は無理かなと諦めかけていたところ、私が指示を出していないのにタイ人スタッフが危険を顧みず、事務所からパソコンやプリンターなどを運び出してきて、私の自宅に持ってきてくれたんです。おかげで作業を続けることができ、遅れることもなく無事に発行できました。この時のスタッフの行動には感動しましたね。

――いいスタッフに恵まれましたね。

乾 そうですね。2010年の反政府デモと、2011年のメタレックス騒動のときに助けてくれたタイ人スタッフのうち2人は今も弊社で働いてくれています。窮地のとき、彼らにはいつも助けられました。

――Uマシンにも洪水の影響は?

乾 大いにありました。あのときは広告主の3分の1ぐらいが被災しましたから。被災したお客さまには、半年から1年ほど無料で広告を提供するなど、できる限りのサポートをさせていただきました。逆に広告主さまの中にはUマシンも大変だろうと、工場が被災しているのにもかかわらず、広告を掲載し続け広告料をお支払いいただいたお客様もおりました。

――洪水で展示会も延期なりましたね。

乾 洪水のとき、ちょうど11月号を制作していました。11月号は毎年メタレックス特集を掲載していて、年間で一番広告出稿が多い月です。ところが、よりによって11月号が納品になった当日、メタレックスの延期が発表されて……。さいわい発送前だったので、急きょ「メタレックスが12月に延期になりました」と書いたレターを1万部ぐらい作って、手作業でUマシンの封筒に入れました。スタッフ総出で夜中まで懸命に作業しました。

――創刊以来、松田健さんが巻頭記事を執筆されていますね。

乾 松田さんはバンコク週報に旅行記を書いていたんです。フリーライターとしてバンコク週報の編集部によく来ていて、最初はアジアを旅する風変わりなライターさんくらいにしか思っていませんでした。話してみたら気さくな方で、だんだん仲良くさせてもらうようになって、そのうち日刊工業新聞の記者をしていたという話をちらっと聞いたんです。当時は自分が工業系の雑誌を作るとは思っていなかったので、特に気にとめることもなかったんですが、いざUマシンの創刊を決めたとき、真っ先に松田さんの顔が頭に浮かびました。

――それで執筆をお願いしたんですね。

乾 創刊前に、松田さんが定宿にしていたスクンビットのホテルに会いに行きました。あまり高いギャラは払えなかったので、ダメ元でお願いしたのですが、松田さんはその場で快く引き受けてくれました。それからというもの、製造業に関することをたくさん勉強させてもらったり、通常では会えないような人物を紹介していただいたり、今に至るまで松田さんにはお世話になりっぱなし。本当に感謝しています。

――すごい長期連載になりました。

乾 まさかこんなに長い間、Uマシンを支えてくれることになるとは。これまでの200回、一度も途切れることなく、ずっと巻頭記事を書いてくれています。途中、何度も「そろそろ違うライターを探せ」と言われましたが、松田さんのようにアジア全土を周って、僻地の工場にまで入り込んで取材できる人を私は他に知りません。私は松田さんが、「もう体が動かなくて取材できないよ」「もう腰が痛くて歩けないよ」っていうくらいまでUマシンで書き続けてほしいと思っています。

――2018年にはFNAタイランドと事業統合しました。

乾 Uマシンはそれまで紙媒体しかやってこなくて、ネットに弱かったんです。紙媒体だけでは厳しい時代なので、どこかネットに強いところと組まなければいけないと常々思っていました。そんなとき、NCネットワークの取締役でFNAの創業者である井上氏と会う機会があって、打診したところ、トントン拍子に話が進みました。それまでFNAが発行していた「FNAマガジン」と統合して、2019年5月号より「FNA月刊U-MACHINE」になりました。

――相乗効果はありましたか。

小暮 Uマシンは過去の広告掲載企業を含めると相当数の顧客がいるので、FNA側からするとリーチが広がった。Uマシン側からすると、雑誌広告以外のサービスの提案ができるようになり選択肢が増えました。お互いの営業強化にもつながりました。

――今後の展望、目標は。

小暮 今後はデータベース、デジタル化、ソリューションの3つをテーマとします。まずはデータベースに関して、FNAやNCネットワークはデータベースを事業の根幹としているので、この部分の強化は必須です。具体的には、ローカル企業の情報をもっと充実させたい。現状、タイローカルの工場情報を網羅したデータベースはどこにもありませんから、そういった情報をしっかりと弊社の「工場検索サイト エミダス」に登録できたら、これはもうローカル企業でも成しえていない偉業だと思います。FNAにとっても財産になるし、お客さまにとっても重要なデータベースになるでしょう。

――どのような情報を重視しますか。

小暮 単なる電話帳では意味がありません。その工場が有する生産設備、計測機器の情報をしっかり入力することが重要だと考えています。逆にそれがないと、見た人はその企業に発注できるのか、できないのか判断がつきません。今後は弊社のこれまでの実績と人脈を生かして、地元の業界団体や各種協会とも連携してローカル企業の情報収集を進めていきたい。これは先方にとってもいい話だと思います。データベースが充実すればするほど、私たちはビジネスの幅を広げることができるので、まずはそこに注力していきたい。数と質を上げていくことが重要だと考えています。

――デジタルの強化については。

小暮 新たにメディアサイトを立ち上げる準備をしています。現在も弊誌の記事をWEBにアップしていますが、それをもっと見やすいかたちにして、タイ語ページも充実させていきます。タイ語ページはキュレーションサイトにして、製造業に関わるタイ語の情報を集約し、その中に弊誌の記事やお客さまの記事広告も入れていきます。新サイトは年末にリリース予定です。

――メディア以外にもありますか。

小暮 WEB上での商談会の開催です。コロナウィルスによる悪影響がある一方で、リモートワーク、各種オンライン化、WEBミーティングの浸透という好影響もありました。営業において、工場見学や実際にモノを見る必要はあるが、WEBミーティングで対応できることの多さを皆さまが実感したと思います。このことはWEB商談会への参加ハードルを下げることにつながったと感じています。  皆さまもご存じの通り、米中貿易問題により、生産拠点の移転の検討や、調達品を中国からASEANへ切り替えていく動きがあります。ボーダレス化が加速する中でWEB商談会は、とても大きな可能性を秘めていると考えています。

――まだ慣れない人も多いのでは。

小暮 確かに、いきなりWEB商談会と言われても、お客さま側もまだ戸惑いがあると思います。なので今年に関しては、WEBでの参加だけでなく、リアルの会場も準備してFace to Faceでも商談ができるようにします。当面は「リアル×WEB」というかたちでやっていきますが、将来的にはWEBだけになると予想しています。まだ手探りの部分もありますが、お客さまの様子を見ながら柔軟に対応していきます。

――具体的な参加方法は?

小暮 登録企業は、WEB商談会サイトを通じて商談申込をすると、WEB会議システムを通じて商談をすることができます。これを通年にわたり利用できますが、最初は積極的な利用者は少ないと思います。そこで、年に1-2回はリアルな場の商談会を開催することで、ある意味「強制的に」サイトを使ってもらえる状態を作ります。これを繰り返していくことでWEB商談の活用が促進されると考えています。また、弊社の拠点がある日本・中国・ベトナムと、その他のASEAN地域からの参加も増やすことで更なる活性化を目指していきます。

――実際にニーズを感じますか。

小暮 日々、肌で感じています。製造業に関わる皆さまから、「こういう状況だからこそ、営業したい」という声が続々と届いています。また、「海外の企業との取引を拡大したい」という声も多い。そういう方々に営業の機会を創出するのが我々の役目だと考えています。それを実現するには、やはりWEBをからめていくしかありません。WEB商談会は必然の帰結なのです。

――ソリューション事業については。

小暮 これは新規事業にちかい形になるかもしれませんが、お客さまに様々なソリューションを提供していきたいと考えています。UマシンとFNAがこれまでに関わりを持った企業の数は、軽く1千社を超えています。これだけのポテンシャルを持ちながら、それをまだまだ生かし切れてないという現状があります。弊社が提供しているサービスは、商談会、メディア、デジタルマーケティング広告、リサーチなど、主に販路拡大を主軸としています。しかし、企業が抱える課題は販路拡大だけではありません。そこに対して、様々なソリューションを提供していきたいと考えています。

――もう少し具体的に。

小暮 ソリューション事業を見据えて、弊社は昨年5月、コンサルティング会社「アルベリーアジア」と資本業務提携をしました。同社は、20人の会計士を抱える会計事務所という側面と、「経営クリニック」を標榜した経営コンサルティング会社という側面を持っています。タイ現地社長の相談役となり、企業法務・労務問題など幅広く対応しています。今後は同社のこうしたノウハウを生かして、お客さまに各種ソリューションを提供していきたい。同時に、たとえばクラウド系のシステム等を絡めて、お客さまに課題解決のツールを提供していくことも考えています。

――他社とも組んでいくのですね。

小暮 この事業は弊社だけで出来ることではないので、優れたサービスを持つ会社と協力して進めていきたい。相互で条件があえばジョイントベンチャーの形式も良いと思います。ソリューションツールを増やし、お客さまから「FNAに相談すれば何でも解決するね」と言っていただける存在を目指します。そして、FNAとしても事業領域の拡大を図りたいと考えています。こうした事業を推進する上で、結局なにが大切なのかと言うと、やはりデータベースなのです。優れたデータベースを持っているからこそ、優れたサービスを持っている会社から、「FNAさん、一緒にやろうよ」と声をかけていただける。データベースを拡充させつつ、デジタルとソリューションを強化していくことが、弊社の明るい未来につながると思っています。

乾陽一(いぬいよういち)

Factory Network Asia (Thailand) Co., Ltd. Managing Director

バンコク週報社広告営業部勤務後に独立し、U-MACHINEインターナショナル社を創業。月刊U-MACHINE誌を立ち上げ、FNAとの事業統合を経て昨年8月、FNAタイのマネージングディレクターに就任。在タイ25年。

 

小暮信嗣(こぐれしんじ)

Factory Network Asia (Thailand) Co., Ltd. General Manager

早稲田大学法学部を卒業後、東証一部上場の経営コンサルティング会社に勤務。FNAタイの創業期から参画。現在、新たにデジタルマーケティングのサービスを立上げ中。在タイ6年。

2020年8月1日掲載

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