タイ企業動向
第40回「成長の有望株タイのハラル産業」
イスラム教の戒律で許された食品や化粧品などのハラル製品の生産が、タイを中心にインドシナ一帯で急拡大している。背後には世界規模で爆発的な増加を見せるムスリム(イスラム教徒)人口と、それに伴う消費市場の拡大があるが、タイに限っては深南部に多数のムスリムの住民を抱えるという特殊事情も覗く。タイの軍政は何を考え、どのようにハラル産業を育成しようとしているのか。また、政府の方針を受けて民間企業はどのようにビジネスチャンスを掴もうとしているのか。直近の動きを追った。(在バンコク・ジャーナリスト 小堀 晋一)
バンコクのフアランポーン駅(バンコク中央駅)から列車で南に約1000キロ余り。マレーシア国境に近いナラティワート、パッタニー、ヤラーの3県は、タイでは異質の地域として知られる。人口の80%以上はムスリムの人たち。女性はそろってヒジャブを纏い、男性の多くはイスラム帽姿を着用する。モスクでは毎日5回、神への祈りが捧げられ、住民は戒律に従って豚肉や豚由来の調味料は一切口にせず、アルコールも飲まない。女性の化粧品にまでイスラムの教えは浸透している。
かつてあったスルターンの国「パッタニー王国」の一部がタイに編入されたのは、タイ近代化の父チュラーロンコーン大王(ラーマ5世)治世下の20世紀初頭。王国はタイとマレーシア領に分断され、タイでは同化が進められた。以来、この地域では、仏教徒との差別問題などもあってイスラム過激派による激しい分離独立運動が展開されてきた。
最も緊張が高まったのは、2001年にスタートしたタクシン政権による深南部の掃討作戦だった。貧しい深南部のムスリムたちが麻薬の密売に絡んでいるなどとして同政権が武力で制圧しようとし、多数の死者が出た。過激派勢力はこれに対抗。これまでに5000人以上がテロなどの爆弾や兇弾に倒れている。二度のタクシン派政権を挟んだ時期に権力を掌握した民主党も、南部に地盤を持ちながら何ら有効策を打ち出せずにいた。
皮肉にも、深南部での融和政策を推し進め、一定の成果を出しているのがクーデターで実権を握った現軍事政権である。軍政は15年、ハラル事業運用法を制定すると、その翌年にはハラル産業を国の基幹産業の一つに成長させるとして「ハラル振興5カ年計画」を策定。21年までにハラル食品のタイからの輸出を、世界トップ5入りさせるという目標を打ち出した。巨額の予算が投じられ、ハラル食品や化粧品などの開発が公的機関や民間企業などで精力的に進められている。
このうち、ハラル認定の基準を策定する機関「タイ・ハラルスタンダード研究所」では、海外のハラル振興組織などと連携して、外国企業のタイ誘致を進めている。中でも食品加工や生産性で高い技術力を持つ日本の企業に対しては関心が高く、日本ハラル開発推進機構と覚書を交わすなどして日系企業のタイ進出を後押ししている。
タイ国内で唯一のハラル認証団体である「タイ・イスラム委員会」も日系企業のタイ進出に期待を寄せる。軍政が掲げる振興策の実現のためには、タイの地場企業が持つ能力だけでは足りないとして、外国企業の技術や製法を取り入れた一体となったハラル産業の育成が不可欠とする。その指導役となって欲しいとするのが日系企業だと説く。ハラル認証マーク「ダイヤモンド・ハラル」の日本での活用を推奨するのも、こうした理由からだ。
このような取り組みが功を制し、タイのハラル認証の申請件数はこのところ対前年比20%増という驚異的なペースで増え続けている。現時点でハラル認証を受けた商品も、間もなく15万点にも上ろうという勢いだ。一方、海外への総輸出額も年間2000億バーツを超え、伸び率も年8~10%と高水準を保って推移する。現時点で世界10位のハラル輸出国が5年以内に5位に上る詰めるという計画も、あながち絵空事とは言えなくなっている。これが昨今の、タイにおけるハラル事情なのである。
ハラル産業を有望な成長産業と位置づける軍政は、深南部にハラル製品に特化した工業団地の建設も念頭に置く。すでにチャカモン工業相(当時)が日本側に非公式打診。新設する工業団地内で、ハラル認証を得た日本食の製造ライン稼働を当面の目標とする。高度な技術を持った日系企業が進出すれば、タイ企業の底上げにもなり、原料などの現地調達、さらには深南部での従業員の雇用も促進され、治安の安定にもつながるという目論みだ。
対する日系企業側も、中小企業を中心にまんざらでもないというのが大方の見方だ。日本国内では後継者難や市場の縮小から事業の継続が難しくなった伝統的な日本食産業。こうした中小企業がチャンスを狙ってタイ進出を検討し始めている。
軍政という強力な後ろ盾から進められているタイのハラル産業育成策。その最終的な市場は、世界に広がる17億人を超えるというムスリムの人たちだ。国連の試算で2050年には28億人にも達しようというこれらの人々。その影響力は計り知れない。
タイのハラル市場をめぐる最近の主な動き | ||
企業名 | ジャンル | 概要 |
タイ工業省 | ハラル食の工業団地建設 | ムスリムの人口が80%を超えるタイ南部で、住民の雇用も想定したハラル食の一貫生産を行う工業団地の建設計画を策定。18年9月には工業省の担当幹部が同省傘下のタイ工業団地公社(IEAT)の幹部らと現地を視察。現地での需要や輸出ルートなどの検討検証も行った。軍政の看板政策の一つ。 |
タイ国際航空 | ハラル食のケータリングサービス | 自社航空便やムスリムの多い中東の航空会社にハラル機内食を提供してきた実績を活かし、各種イベントや行事向けにハラル食のケータリングサービスを近く開始すると表明。自社アプリを開発して需要を取り込むほか、ハラル食のデリバリーアプリ「ハラライズ・デリバリー」との提携も念頭に置く。 |
チュラーロンコーン大学ハラル・サイエンスセンター | ハラル研究ラボの開設 | 設立15周年を機に、新たな研究施設「タンシー・ドクタースリン・ピッスワン・ハラルラボラトリー」を開設。400㎡の施設面積にバイオケミカルやナノテクノロジーなどの専門研究室を配置。50人を超える研究者がハラル関連の研究に従事する。ラボの名称は前ASEAN事務総長の名にちなんだ。 |
PFPグループ | ハラル水産加工食品の輸出拡大 | 魚肉ソーセージやシーフード食品などを製造するタイ水産加工大手。輸出が堅調であることから、現在は40%強の海外向け製品の拡充を進める。特に力を入れるのが、インドネシアやマレーシア、中東、中国内陸部で暮らすイスラム教徒向けハラル食品の製造・輸出。ラインを増強や新たな輸送路の確保を目指す。 |
ハナマルキ | ハラル認証の工場建設 | 日本の大手味噌メーカーのハナマルキ(長野県伊那市)が中部サラブリー県内に液体塩麹(こうじ)を製造する新工場を建設すると表明。20年1月からの出荷開始を計画する。独自の非加熱方法により酵素の力を強めたのが特徴。化学調味料不使用のノウハウを使って、ハラル認証の取得も目指す。 |
住商グローバル・ロジスティクス | ハラル認証倉庫 | バンコク北郊パトゥムターニー県ナワナコン工業団地内にある同社倉庫の一部エリアがハラルの認証を取得。ハラル関連商品の取り扱いを可能とした。日系では郵政ロジスティクスが東部チョンブリ県に置く倉庫で認証を受けて以来。タイやカンボジアなどに住むムスリム向けの需要獲得を進める。 |
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