泰日工業大学 ものづくりの教育現場から
第84回『タイと日本の王室・皇室交流』
タイでものづくり教育を進める泰日工業大学(TNI)の例をもとに、中核産業人材の採用・育成について検討します。ご承知のように明治維新とチャクリー改革はほぼ同時期です。近代から現代までの王室・皇室交流を、プッサディー・ナワウィチット前OJSAT(タイ王国元日本留学生協会)会長にご自身の通訳経験を踏まえて話してもらいます。プッサディ氏は、お茶の水女子大学卒業の元留学生で、「窓際のトットちゃん」などの翻訳家の他、色々な肩書をお持ちです。また2014年に旭日小綬賞を叙勲されました。なお本号は、標記のテーマで、2019年6月19日にTNIで実施したJセミナーでの同氏の講演を要約したものです(Jセミナーは年2回:6・11月に開催します。ご参加をお待ちしています)。
写真はラーマ6世が皇太子時代、英国からの帰途に日本に寄られた時の着物姿の写真(前列左から3人目)。また次の写真は、1911年に伏見宮様が、明治天皇の名代でラーマ6世即位式のためタイを訪問された時のもの。本日は、特に近代から現代まで即位年が同じことを含め、近代からの緊密な交流を、主として写真でご紹介したい。
1.タイ・日600年の交流 (アユタヤ時代:1350~1767年)
14世紀半ばから18世紀半ばの417年間、タイの都であったアユタヤ王朝のナラヤ王がフランスのルイ4世に使節団を年2回往復させた時代で、その帰途1381年に韓国に滞在、それから1388年にアユタヤの使節団が韓国からの帰国の途中、日本に1年間滞在した。 そして、1425年にアユタヤが琉球王国との交易を始めた(~1570)。今でもバンコクのワットポー寺院に琉球人の彫刻がある。また写真は泡盛だが、原料はタイ米。
➡そして江戸時代の出来事は次の通り。
1604年朱印船がアユタヤ訪問 (ナレースワン王時代)、1605年徳川家康公がエカトサロツ王に親書、1612年山田長政がアユタヤ在、1620年山田長政が日本人町の頭領になる(ソンタム王時代)、1623年アユタヤから2代将軍秀忠公への親書を携えた特使が江戸に到着。
2.明治時代以降の交流
明治天皇とラーマ5世(チュラーロンコーン大王、上の写真)が同じ1868年に即位された。 そして1887年、タイの最初の外務大臣テーワウォンワローパガーン殿下(ラーマ5世の弟)が日本の青木周蔵外務次官と「日タイ修好宣言」に調印された。
3.王室と皇室の交流
- 1902年ラーマ6世が皇太子のころ、イギリス留学の帰りに訪日(上述)。
- 1911年、ラーマ6世の即位式に天皇のご名代、伏見宮博恭王が訪タイ(上述)。
- 1924年、ラーマ7世が王妃と訪日(即位前)。
- 同年ラーマ7世が、ラーマ6世が植樹された黒松を鑑賞(鎌倉大仏殿高徳院)。
➡なお、1926年(昭和元年)は、ラーマ7世と昭和天皇が即位された年。
・1931年、ラーマ7世が王妃と訪日(このランパイパニー王妃は、1932年絶対王政から立憲君主制になり、ラーマ7世が1934年に退位されたあと、戦後54年、70年、72年に訪日されている)。
- 1963年、プミポン国王とシリキット王妃が訪日。
- 1964年、当時の皇太子ご夫妻が訪タイ。
- 1965年、上皇陛下(当時の皇太子殿下)がタイにティラピアを贈呈(プミポン国王が事前相談。その後、チットラダパレスで養殖し、タイ国民の栄養改善に貢献)。
- 1980年、徳仁親王殿下(今上天皇陛下)が訪タイ (1987年も)。
- 1981年、シリキット王妃とチュラポン王女が訪日。日本でのサポート基金展主催。
- 1983年、シリントン王女が訪日。
(次号に続く)
(2019年9月号掲載)