タカハシ社長の南国奮闘録
第113話 ものづくりの未来
タイに渡って早くも15年が過ぎた。タイでの経営は山あり谷あり、リーマンショックやアユタヤの大洪水などいろいろあったが、東南アジアの経済成長のおかげでタイは日本ほど影響を受けることなく、経済の立ち上がりは比較的速かった。 しかし、今回のコロナショックはまだ尾をひきそうだ。コロナ禍でタイに渡れなくなって1年半が過ぎた。SARSやMERSなどウイルスの危機は過去にもあったが、経済への悪影響はコロナほどではなかった。コロナショックは歴史に残る大きな出来事ではないだろうか。これから先、タイ、日本はどうなっていくのか。そして製造業の未来はどうなるのだろう。 今の状況を踏まえた上で、10年後の日本の中小企業を想像してみる。まずは多品種小ロットを得意とする中小企業、町工場の職人という視点で考えてみた。町工場の数は1983年をピークに、その後は円高などの経済環境の変化や後継者不足など様々な要因で減少を続け、2016年にはピーク時の3分の1になった。特に2006年から2016年までの10年間で15%も減っている。これはリーマンショックの影響が大きいだろう。このまま減り続けると、2030年にはピーク時の5分の1以下になると予測できる。 そんな中、この10年で町工場にも外国人研修生が圧倒的に増えた。働く総労働者数はあまり変わらないのに、外国人の割合が増えている。これは日本の工場で働く日本人が減少したことを示している。外国人の下支えによってどうにか生産を保っているのだ。 日本の若者が製造業離れをしていることは大きな社会問題である。このままでは製造業を引継ぎ、支えていく後継者がいなくなり持続可能は難しい。日本の技能者が激減すると中小企業で人材の奪い合いが起き、人ひとり採用するコストは上がる。小さな町工場はどんどん人手不足に陥り、悪循環から抜け出せなくなる。 いま日本の製造業を支えている外国人技能者はいずれ祖国に帰る。そして町工場の技能者の平均年齢は上がり、彼らが定年を迎えるまでなんとか工場を保ち続けていたとしても、退職と同時に廃業という流れが容易に想像できる。 これは日本だけの問題ではない。製造業で働き、腕を磨きたいというタイ人も減ってきている。タイでは現在、単純作業においては隣国から出稼ぎに来ている人材の派遣が目立つ。日本と似た構造である。このままではタイの製造業も危機的状況に陥るだろう。 だからこそ、ものづくり職人の未来に向けてテクニアできることを考えてみた。我が社ができることは、多くの優秀な技能者を育てて町工場に送り出すことだ。 テクニアは今期からテクニアカレッジでの活動を本格化させる。今までと同じカリキュラムを3分の1の授業料で受けられ、より多くの人に受けてもらえるよう受講しやすさを一番に考えている。そして、ものづくりの楽しさをいち早く伝え、感じてもらえるように工夫した授業を行う。ここ最近、ものづくりの醍醐味に触れる前にやめてしまう若者が多いからだ。また、Eラーニングでも受けられるように改良し、国内外問わず学びの場を幅広く提供したい。いま働けない若者にも門戸を開き、施設、機構、親とも連携し、より多くの人にものづくりの楽しさに触れてもらい、製造業を就職先として視野に入れてもらいたい。 私は今年から、ものづくりの未来を変える努力をしていくと決めた。持続可能な社会の実現のために、ものづくりを通じて命懸けで職人たちの未来を明るくすると決めた。それが私の使命であり、志でもあるからだ。 社長業を20年してきて50代になった今、自分が一生をかけてなすべきことが見えてきた。30年後の2050年、日本の中小企業は今以上に日本親会社と協力しあい、互いに支えあいながら、世界を驚かすほどの新たな商品開発をし、平和な世の中に貢献している社会を私は目指したい。
2021年7月1日掲載
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