タイ鉄道新時代へ
【第40回(第3部第1回)】インドシナ縦貫鉄道構想その1
タイの首都バンコクを帰着点にインドシナ半島を海岸沿いに北上するインドシナ縦貫鉄道構想。度重なる内戦や政情不安から、消えては浮かび浮かんでは消えて来たのが、タイから東にカンボジアへと進み、反時計回りにベトナム、中国へと北上、一方でタイから南にマレー鉄道に接続する国際鉄道計画である。その幻の鉄道が早ければ年内にも部分開業をしようと、一部区間でレールの連結工事が行われている。バンコクと西隣カンボジアの首都プノンペンを結ぶ約750キロの区間だ。連載「タイ鉄道新時代へ」第3部は、現在進行中あるいは計画中の内外の鉄道プロジェクトを中心に話を掘り起こしていく。(文と写真・小堀晋一)
毎朝午前5時半を過ぎると、タイ国鉄フアランポーン駅(バンコク中央駅)構内は降車する多くの人々で賑わう。北部や東北部、南部といった各地方を発車した夜行列車から大きな荷を抱えて降りる乗客たちだ。中には年端のいかないあどけない子供の姿も。眠い目をこすりながら親に甘える様は、かつて日本で見かけた光景を思い起こさせる。タイの鉄道には旅情と日々の暮らしの二面性が今なお共存し、見る者の心を豊かにさせてくれる。
カンボジア国境の街アランヤプラテート行きの列車275号は8番線からの出発だった。定刻の5時55分に発車した後、チャチューンサオ、プラーチーンブリー、サケーオの各県を通過。5時間40分後の11時35分に終着する全長254.5キロの一般鉄道路線である。
毎日二桁数のバンコク発着便が往復運行されてはいるものの、終着駅とを結ぶ長距離運行はわずか2本だけ。アランヤプラテートを訪ね仮に日帰りしようとしたとしても、折り返し列車が発車するまで2時間余りしかなく事実上利用は困難だ。こうしたアクセスの不便さが、長らくこの地を実質的な盲腸線の寂れた終着駅とさせてきた。
彼の地に、カンボジア行きの直通列車が存在していたことは、連載第2部第5回「激動の歴史の生き証人アランヤプラテート駅」で触れた。プノンペンとバンコクを結ぶ軍事列車で、カンボジア側からタイ国境までを建設したのは旧日本陸軍の鉄道施設部隊だった。工事は昼夜突貫で行われ、着工からわずか2カ月で完成。多くの兵士や軍需物資がタイ国内を通過し、ビルマ(現ミャンマー)方面の戦地に運ばれた。
だが、その国際鉄道の行方も束の間。日本の敗戦とともに運行は停止され、一時的な復活を除いて再開されてはいない。中でも国境区間はその後のポル・ポト政権によって安全保障を理由にレールごと剥がされ、当時を思わせるものは一掃された。一方で、旧軌道敷地内には外貨獲得を目的としたカジノホテルの建設が進められ、国境の街はすっかりと変貌を遂げてしまった。
首都プノンペンに至るその先の国内区間も、その後の内戦の勃発などで放置状態が続いた。現在もプノンペンと国境のバンテイメンチェイ州の州都シソポンとはレールでかろうじて結ばれてはいるものの、整備状態は極めて劣悪で旅客運行は行われていない。唯一の週便運行があるプノンペン~深海港シアヌークビル間も貨物が中心で客車利用はほとんどない。
荒廃が進んだカンボジア国内の鉄道を再興し、タイ側と接続させようという試みは、タイの軍事政権率いるプラユット暫定首相とカンボジア側フン・セン首相のトップ会談で急きょ固まった。2015年12月のことだった。一向に進まない南部経済回廊建設に刺激を与え、低迷するタイ経済へのカンフル剤とするのが目的だった。カンボジア側としてもベトナム・ホーチミンとを結ぶ長距離輸送の効果を読んだ。これを受けて一気に始まったのが国境地帯の整備である。
タイ側の現在の終着駅であるアランヤプラテートの駅舎は国境線の手前約6キロのところにあり、この区間の見直しがタイ側に課された課題となった。ところが、付近はもう40年以上が経ち、かつての軌道上には不法占拠も相次いでいた。まずはこれらを除去し、崩れた路線の盛り土からの再整備を余儀なくされた。
国境線の直前には、かつて存在していたタイ側の出入国管理駅「クローンルーク駅」が新設される見通しで、列車の待避場も必要となる。人とモノが国境を通過するためには国境職員の配置も行わなければならず、新たな施設や誘導路、案内や待合室などの建設も欠かせない。こうしたインフラ整備が今なお断続的に実施に移されようとしている。
タイとカンボジアとの国際直通列車が再興したとしても、直ちにもたらされる直接の経済効果は限定的と見られている。カンボジア国内の観光資源は首都プノンペンからのほうがアクセスがよく、列車で丸一日以上も掛けて向かう観光客は稀だ。また、貨物輸送はタイからの生活・産業物資の輸送が見込まれるとはいえ、カンボジア経済は未だ成長途上で方荷となる公算が高い。
それでも、両国の間には国際鉄道復活を待望する声が少なくない。タイ側国境沿いに広がるローンクルーワ市場で親の代から通算30年以上も雑貨店を営むヨットさんもそうした一人。「かつてのフランスや日本ではなく、我々の手で国際鉄道を復活させることに意義がある。アセアン成長のシンボルとしても大いに期待している」と心待ちにしている。(つづく)
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