タカハシ社長の南国奮闘録
第82話 生涯現役のスーパーウーマン
今回は、先日知り合ったマダム明子さんの話を綴りたい。明子さんは40年ほど前、日本に国費留学していた中華系タイ人と結婚し、タイへ移住した。
日本食はおろかケチャップすら高くて手が出なかった時代。今では当たり前の国際電話も自宅からは通じず、唯一バンラックの中央郵便局にある電話から数ヶ月に一回、ようやくかけることができた。そんな状況で耳にする母の励ましの声に、毎回涙が止まらなかった。
移住後はタイの風習や考え方を受け入れることができず、日本の流儀を貫いた。知り合いのいない中、孤独と戦い、辛抱と抵抗の日が続いた。そして渡航から3年、明るく前向きな性格は次第に閉鎖的になり、外出もままならなくなった。
しかし、ふと愛しい我が子を見つめながら、この変わらない現状を打破するためには、自分自身が変わらなくてはいけないと気づいた。自身の価値観を全て捨て、タイの全てを受け入れることを決意した。
それからというもの、今まで気づかなかったタイ人の優しさや、タイ料理の美味しさ、タイ文化の素晴らしさが飛び込んで来た。福祉や社会保障が乏しいこともあってか、タイ人には自分で自分を守る強さが備わっていた。そんな環境下で、自分自身がもっと強くなろうと心に決めた。
そんな明子さんは昨年、30年間勤めた某優良企業を惜しまれながら退職した。在職中は堪能な語学力を生かし、バンコク北部に位置する弱電系の製造業にて激務をこなした。経営サイドで労務や総務など全般を任されていた明子さんは、労使問題にも尽力した。現代の労使交渉は、過去の事例から仕組化されており、問題が起きても迅速に対応できるが、当時の労働基準は、労働者側に有利に働き、会社は労働者の要求を一方的に飲み込まなければ運営が難しい状態だった。
しかし、それまでの生活の中でタイ人のことを理解していた明子さんは、タイ人の考え方や誇りを理解し、受け入れながらも改革を続け、会社を守り抜いた。そんな彼女だからこそ、タイ人にも日本人にも慕われ続けた。しまいには引退時期の10年延長を懇願されるほどだった。きっと現場では明子さんロスが起きているに違いない。
今後は今までの経験を生かし、タイ企業、日本企業を問わず、自分のキャリアを少しでもタイの発展に役立てたいと語る明子さん。生涯現役という言葉がいちばん似合う女性だ。
自分の心が変われば見方も変わり、世界が変わる。逆境を乗り越え、タイで強く華麗に生きる明子さんの生き様に、私は尊敬の念を抱かずにはいられない。
タイに住んでいても、日本の文化や、自分の常識を当てはめて物事を推し量ってしまいそうになる時がある。しかし、長きにわたり繁栄するためには、タイの良さを受け入れ、尊重する必要がある。なぜなら、ここはタイだから。明子さんのような素晴らしい先輩方に支えられて今日の日系企業があることに感謝だ。