タカハシ社長の南国奮闘録
第96話 井戸を掘った人を忘れるな
11月23日、第一回テクニアゴルフコンペを行った。テクニアタイ工場は13年間、何とか厳しい時期を乗り越え今に至る。支えてくださる皆様への感謝の気持ちと、今後のさらなる飛躍の願いを込めて、楽しく一日交流することを目的に開催された。 朝早くから集まっていただき、総勢41名、10組でのコンペとなった。この第一回は 飲水思源の思いを込めて、今回に限り「会長杯」と名付けた。 飲水思源は中国の故事で、「水を飲む人は、その源に思いをよせること」。井戸の水を飲む時には、始めに井戸を掘った人の苦労を忘れてはいけない。タイでテクニア主宰のゴルフコンペができるのも会長の存在あってこそだ。 実は、もともと会長が言い出すまでの私は「日本のモノづくり最強!」という考えで、海外進出は考えていなかった。ただ、2003年当時は空前の中国進出ブームで、中国視察ツアーに何度も参加して危機感だけは募らせていた。 そんな頃、名古屋発のタイ視察ツアーがあり参加した。そのうちの一日だけ、本体のツアーとは離れて、日本で取引のある商社の人に案内を頼み、ローカル企業や小さな日系企業を個別ルートで視察した。そこで感じたのは、技術では日本に追いついていないタイの現状と、南国ならではの緩やかな人と時の流れだ。人々は軒下でスリッパをはいていた。日本でいう昭和40年代の光景だ。その時でさえ、私はタイに出てくることを想像もしていなかった。 翌年から、会長はゴルフの腕をより磨くため、日本の冬季をタイで過ごしていた。そこでゴルフを通じて多くの人に出会い、縁を深めていった。そんな中、会長は、機械加工をしていた日本人社長さんからの品質トラブルの相談に、丁寧にアドバイスをしていた。しかしある時、その社長さんが体調を崩して会社をたたむことに。そして、そこの社員たちが仕事を失うことに気を病んだ会長が、社員さんだけを受け継ぎ、2006年1月21日、テクニアタイを立ち上げた。 最初は苦労の連続だ。電話を引くのに2か月かかるなど、色々なことが日本のようにはいかない。それでも会長は辛抱と持ち前のパワーで困難を乗り越え、会社を築いた。そして2009年、会社を私に引き渡した。グローバル化していくモノづくりと、将来のテクニアを案じての決断だった。テクニアタイは、会長にとって血と汗と涙の結晶だ。そんな宝物を私に託してくれたことには感謝してもしきれない。 そんな会長がコンペに参加できるのはこれで最後になる。以前より癌を患い、進行は止まっているものの肩の骨に転移があり、激しい運動は止められている。いわゆるドクターストップだ。もし折れてしまうと、修復が困難だという。 最近は痛みが増しているようで、思うようにボールも打てなくなってきている。いよいよ本当にゴルフをやめなければならないようだ。 会長の人生は、ゴルフとともにあった。ゴルフは人生を豊かにすると、よく語っていた。現に見知らぬタイの地でゴルフを通じて人脈を築き、盛大なコンペを開き、商いの縁をさらに深めてきた。 最後まで私は勝つことが出来なかったが、なぜかそれが清々しく誇りに思う。改めて心の底から先代である会長、親父に感謝している。
2020年01月01日掲載