タイ鉄道新時代へ
【第34回(第2部/第16回)】静かにたたずむ最東端駅ウボンラーチャターニー
クメール文化の色濃く残る東北部イサン地方南部。中でもピーマイ遺跡のあるナコーンラーチャシーマー県から真東にブリーラム、スリン、シーサケート、ウボンラーチャターニーの各県を走る東北部本線ウボンラーチャターニー線(南線)沿線は、車窓からでもその深い緑と情緒を感じ取ることができる。ここに鉄道が敷設されたのは古く、立憲革命前の1930年には全線で運行を始めている。それから86年。終着駅ウボンは一度もその役割を変えぬまま今日に至り、原型のまま姿をとどめている。時が経つことを忘れてしまうほどの静かなたたずまいウボン。東北部シリーズ第3弾はタイ国鉄最東端の駅がテーマ。(文・小堀晋一)
バンコクを毎朝午前6時40分に発車するウボンラーチャターニー(ウボン)行きの快速列車135号(写真)は、早朝の涼しさの中を一路イサン南部に向けて走っていく。途中、ナコーンラーチャシーマーには12時34分、スリンには15時10分、終着ウボンには18時ちょうどに到着のダイヤ。タイでは鉄道の遅れは日常だから、辺りがすっかり闇に包まれたころ入線することも少なくない。ただ、バンコクから直通の、しかも安価で乗車できる快速だけあって沿線住民には貴重な交通の足。いつも多くの乗客で賑わっている。
2等座席とはいえ、11時間を超える長旅は身体に堪える。乗客と降ろした荷物でごった返すホームに降りるのも一苦労だ。それでも、どうにか両足を地につけて改札に向かおうとすると、構内放送がタイ語に続けて英語で流されていることに気付く。タイ国鉄では珍しい。始発駅バンコクでもなかったことだ。ラオス国境に近い最東端の駅だからこうなのか。答えを見つけられぬまま、駅前に客待ちしていたトゥクトゥクに飛び乗り、3キロほど北にある市街地の宿を目指した。
ウボン駅は開業時は、その名をワーリン駅と言った。あるのが県庁所在地であるムアンウボンラーチャターニー郡ではなく、ムーン川を挟んで南に位置するワーリンチャムラープ郡であるためだ。ところが、いつの間にか県都に取って代わられてしまった。ウボンラーチャターニー国際空港とは直線でも10キロ以上の距離。車で20分以上の道のりだ。飛行機とのアクセスは必ずしも良くない。
最東端の駅舎から東はどうなっているのか。250メートルほど先まで行くとレールは1組に合流し、燃料の給油場があるだけだった。近くには転車台や扇形庫も残っているがあまり使われている様子はない。現在は、折り返し駅としての機能のみ有しているようだった。
ウボン線は計画と凍結を繰り返しながらも1917年に事業計画が具体化した。鉄道局総裁のカムペーンペット親王が第1次世界大戦で戦勝国となったタイの国威発揚と、国際鉄道建設を通じた国際協調のために指示。20年に着工にこぎ着けた。途中、世界恐慌の影響を受けたものの30年に全線で開業。ほぼ同時期に着工していた東北部本線北線となるコーンケーン線も33年に全通した。
その後、コーンケーン線は北進し、ラオス国境のノーンカーイまで延伸。さらにはウドンターニーの手前クムパワーピーからナコーンパノムに至る新線も計画された。だが、ウボン線だけは具体的な延伸計画すら遡上に上らず、バンコクに向けた終着駅としての位置づけが代わることはなかった。国境の向こう側にあるラオス・パークセーが同国第2の都市とされながらも人口10万人も満たない小都市で、その先カンボジアまでの交通手段も厳しい自然により制限されていることが延伸に待ったをかけたようだ。
そのウボン線をめぐって歴史上、ただ一度だけ延伸の具体案が上がったことがある。描いたのは第2次世界大戦最中、北部仏印から南仏に進軍、フランス領を支配下に置いた旧日本軍だった。大東亜共栄圏を掲げる旧日本軍は、支配域にある満州から中国沿岸部、ベトナムを通じてタイを経由、マレー半島を南進してシンガポールに至る大東亜縦貫鉄道を構想した。インドネシアのパレンバン基地で採掘された原油や付近一帯で採掘される鉄鉱石や錫などの鉱山資源を日本本土に運搬するためだった。その一環として、朝鮮半島南部から九州北部に至る海底トンネルも計画された。
ベトナムからタイに至るルートとしては2つが考案された。一つは、ベトナム中部タンアップからラオス中部を横断し、ナコーンパノムに至るルート。もう一つはタンアップの南ドンハからラオス南部を経由し、ウボンに達する国境越えのルートだった。前者はかつてタイ政府が検討を進めたことのある国際鉄道構想網と路線をほぼ一にしていた。ベトナム南部サイゴンとカンボジアの首都プノンペンを流れるメコン川を渡河するルートも検討されたが、インドシナ半島最大の大河を容易に超えるだけの具体策は当時はなかった。
しかし、戦況が激しさを増すにつれ、縦貫鉄道構想は頓挫。旧日本軍の敗戦とともに計画も立ち消えとなった。以後、今日に至るまでウボンの先にレールを敷こうという具体的な計画が持ち上がったことはない。あれから70有余年。当初バンコクまで14時間を要していたウボン線は70年には11時間台に、現在はディーゼル特急で最短8時間強となった。それでも最東端の田舎駅はいつもと姿を変えぬまま、今日も終着駅としての営業を淡々とこなしている。(つづく)