タカハシ社長の南国奮闘録
第80話 タイのものづくりシーン
海外進出と航空機産業に参入する夢を掲げたのは2006年、社長就任から4年目の経営計画発表会でのことだった。この夢を掲げたのは、ビジョンを明確にして会社の士気を高めるために必要だと感じていた部分と、自分の夢を叶える部分が一致したからだ。
あれから12年。いま考えると、あの頃から日本国内の部品加工におけるものづくりは大きく変化し始めていたのかもしれない。
リーマンショック以降、なかなか戻ってこない国内需要。円高や空洞化を恐れた日本の下請け製造会社は、海外進出と、国内生産が見込まれる航空機産業に希望を見出すようになった。2010年頃からは、政府の援助も加速し始めた。
東南アジア進出において、カントリーリスクの低いタイは人気だった。弊社はビジョンをもとに早めに進出した。そのうち仲間の企業も続々と進出してくるようになり、とても心強かった。仲間同士、いろいろと情報共有させてもらった。
その後、タイにしっかり根を下ろし、業績を伸ばしている会社も多く、そうした面々の剛腕話を聞かせてもらうことが私の楽しみでもある。
最近ではタイプラスワンのベトナムが大きな存在感を示しており、進出先にベトナムを選ぶ企業も少なくない。現状、海外工場は独立した子会社的な存在だが、アジア進出は日本ものづくりが発展していく上でとても重要なファクターになるだろう。
もう一つの夢である航空機産業への参入は障壁だらけだった。JIS Q9100(航空機品質保証規格)がないため門前払いを食らったり、1千万円以上する高価なCAD/CAMソフトがないことが理由で先に進めなかったり、暗礁に乗り上げたことは数知れず。
しかし、体制づくりは意外にも進んだ。リーマンショックで仕事がなかった我々には、品質保証体制を勉強する時間、トライアルする時間が豊富にあった。それが追い風となり、2010年、念願叶って構造部品を契約受注することができた。
さらに、そのタイミングでパリやシンガポールなどのエアショーにこぞって参加。地域の航空クラスターに入り込み、政府系の支援団体に加盟して勉強を重ね、数社とお付き合いさせてもらえるようになった。
正直なところ、航空機部品は数も少なく、あまり単価の良いものではない。しかし契約が決まると、長いものでは20年近く生産し続けることができる。
その魅力は他の産業ではあまり見られるものではないし、技術力と管理力の向上にもつながる。そして何より会社の宣伝になり、企業イメージが良くなる。
航空機部品加工は世界中で調達されている。すでに日本同様、タイでも航空クラスターを形成し、この分野に入り込んでいる。
タイのものづくりシーンが今後、国の発展と豊かさを求める人々の暮らしの中でいかなる変化を遂げていくのか、体感するのが楽しみだ。