東北部 スリンのシルク産業 日本製機械も貢献

象の町として知られる東北部のスリン。「タイで最大のシルク産業の町でもあり、その最大工場が取材できる」と聞き、さっそく出かけた。スリンに到着して最初に驚いたのは、スリンに住むタイ人が6割はクメール(カンボジア)語で生活していると知ったこと。カンボジアに隣接しており、中心部の威容を誇るシンボル「サーンラックムアンスリン」もクメール風そのものだった。

ロビンソン、マクロ、ビッグCなどあるが、どこもカンボジアから来ている買い物客が目立つ。クメール語が通じるスリンの病院に治療に来たカンボジア人もきわめて多い。トラックが行き交うチョンジョム国境はスリン中心部から車で1時間ほど。付近にはクメール遺跡が多く、カンボジアのアンコールワットも遠くはない。世界最大の象使いの村では、グーイ族が野生の象を調教している。

スリンで最大の産業が養蚕業(ようさんぎょう)。桑の木を育て、その葉で蚕(かいこ)を飼い、シルクの糸を吐糸してできる繭(まゆ)からシルクを作る。養蚕業は蚕の糞や繭などから多くの有用な副産物も生み、廃棄物が出ない環境に優しい産業と言える。蚕を使う医薬原料や蚕の蛹(さなぎ)を利用して漢方薬の冬虫夏草(茸)を培養するといった新用途も広がりつつある。

スリン県コミュニティ開発事務所によれば「スリンでシルクを編んで収入を得ているグループとして1,537件が同事務所に登録しており、1グループに20名前後のメンバーがいるとして3万人以上のスリン人がシルクを織っている」という。スリン最大の養蚕業の経営者は「ベトナムはまだシルク産業の基礎ができていないと感じており、まったく脅威を感じません。カンボジアとラオスのシルクもタイに比べればまだまだブランド力がない」と見ている。

シルクでスリン振興図る

スリンを代表する最大手の養蚕業者がムアンスリン郡にあるルアンマイバイモン(Ruenmai-Baimon、URL:http://www.ruenmaii.com)。同社は同業他社を含むスリンの養蚕業の発展を支援しているだけでなく、観光振興にも熱心で、経営者はスリン県観光推進協会の理事も務めている。会社名はルアンマイバイモンだが、ブランド名は「Maii Thong (黄金のシルク)」(Thongは黄金、Maiiはシルクの意味)。ルアンマイバイモンでは桑園も持ち、養蚕小屋、繰糸機や織機によるシルク生地の製造、染色から縫製、最終製品までのほとんどの工程を保有しているが外注も多い。桑の葉は300軒の農家がルアンマイバイモンに供給している。

ルアンマイバイモンのシルクの染め物は手作業の草木染だけだったが、現在はドイツ製の染料を使ったケミカル染が半分を占める。黄色のシルクを白く脱色することも行っている。染色工場は大きなタンクを備えた廃水処理設備を完備させている。

ルアンマイバイモンの3代目社長はアートン(Arthorn Saengsomvong)氏で副社長はタッサニー(Thatsanee Surinthranon)夫人というオシドリ夫婦。2人は口をそろえて、「Community」「Heritage」「Sharing」が同社経営のキーワードだとし、「地域の材料を使う」「地域の伝統を守る」「自らの知識を共有する」を重視している。「近所の村や農家が良くなることにはすべて協力する」とアートン社長。

ルアンマイバイモンは1969年、シルクの紡績工場や染色工場、多くの養蚕小屋などをカンボジア国境に近い場所でオープンさせた。スリン県養蚕自立団地内にあり、従業員は全員タイ人で勤務時間は朝8時から夕方5時まで。新規採用の際は地元ですぐ雇用可能という。

しかし700ライ(1ライは1,600平方メートル)あるスリン県養蚕自立団地に進出している企業はきわめて少なく、成功している団地とは思えない。国境に近く、かつてのカンボジアとの紛争時に打ち込まれた砲弾の跡や、近くの学校には防空壕も残っている。しかし平和になった現在、同団地をリゾートにしようとサイクリングコースなどの建設が始まっており、水上マーケットや自然観察施設も造って観光を促進させたいと県は考えている。

ルアンマイバイモンの発祥の地であるクラトム村(バーンクラトム)には、人とシルクをつなぐ観光スポットとして、シルク全般について学習できる同社の「バーンマイトーンサレンラーニングセンター」がある。スリンのシルクの歴史を現物の陳列で紹介するミュージアムの他、カフェなども同じ敷地にあり、同社製の桑の実ジュースも飲める。

スリンのほとんどの農家内で稼働している織機はタイ製だが、工場でシルクの糸を紡(つむ)ぐ機械については日本製。「2019年にはラーニングセンターに小さな織機が導入されるので、シルクなどを織る機会がない訪問者に体験してもらえるようにする」とアートン社長。

タイ製の織機では縦糸と横糸でシルクを織っていくが、縦糸については2,000本のシルクの糸をローラーにセットする作業だけで数日間はかかる。そこで、「当社ではこの縦糸作業を30分ほどで行って各農家に届けている」とアートン社長が説明した。

品質向上に日本が貢献 日本製中古機械も活躍

アートン社長は「当社を含むタイのシルク産業は日本から大きな支援と影響を受けてきた」と明かす。2003年頃からタイ政府の農業・協同組合省が窓口となり、2004年には日本政府の支援でゴールデンシルクプロジェクトが開始された。

「チェンマイに近いランパーンの日本人専門家がいる工場で製造されたシルクの糸がスリンに運ばれ、当社がシルクの織物を作りました。当社のブランドである『マイトーン(黄金のシルク)』もこのプロジェクトに協力することから生まれ変わることができた。とりわけ、80代の宮澤津多登(みやざわ・つたと)先生(全国蚕種協会相談役)からは今でも多くのことを教わっている。宮澤先生は当社が日本の技術を取り入れるだけの能力があることをいち早く見抜いて下さり、日本の白い繭を提供してくれた。我々はそれにタイの蚕を掛け合わせて品種改良を続けた。ようやく5年程前からは日本のシルクに負けないレベルで長くて強いシルクの糸を作れるようになった。日本に1トンの蛹をチェンマイ経由で輸出したこともあるなど、日本と当社の関係は長くて大きい」とアートン社長は振り返る。

「日本だけでなく海外各国との交流、コミュニケーションはスリンのシルク産業が発展するためにきわめて重要」とアートン社長は強調する。スリン県の支援を受けてシルク製品の輸出にも取り組んでいる。最近、シルク生産でフィリピンとの交流が始まっており、同社のスリン県養蚕自立団地内の工場では日本製の中古で制御盤付の繰糸機が修理中で、「完成次第フィリピンに輸出する」(同)という。

 

 

世界初のシルクジーンズ開発

シルクジーンズのジャケット、パンツなどを世界で初めて開発し、2017年8月にスリン最大の会議場をもつトンタリン(Thong Tharin)ホテルでバンコクから記者も招いて発表会を開いた。「大きな反響を呼びました」とタットサニー副社長。シルクを使った高密度の繊維で製造したジャケット、パンツ、帽子などは一見デニム地のよう。オーガニックのシルクと麻との混成繊維を開発し、藍染(あいぞめ)した生地から縫製した、かなりの高額商品だ。また、「かなり以前からシルクの毛布を作ろうと開発を進めてきたが、このほどやっと商品化できた。カバーも、中に入れる綿もシルク100%の毛布で、内部には繭の荒い部分から採れた糸を使った」とアートン社長。今後も新製品を相次ぎ開発していく方針。

繭の保護成分である絹タンパク質「セリシン(Sericin)」は抗酸化作用を持ち、細胞を活性化させるとされており、化粧品の原料や養毛効果を必要とする製品の原料として出荷している。黄色と白色の粉末タイプと、高分子量セリシンの白色と黄色の液状タイプも製造。保湿、美肌、育毛効果が実証されており、化粧品原料として販売している。

蚕は桑の葉だけで育ちシルクの糸を吐糸して繭をつくって蛹となるが、アートン社長は「養蚕ではムダがまったくでないほどに多用途の製品が開発できる」という。蚕の糞は蚕沙(さんしゃ)と呼ばれ、血糖値を上昇させない漢方薬でお茶として飲む。良質の葉緑素(クロロフィル)が多く含まれており、抹茶アイスやガム、歯磨きペーストなどを緑色にする用途もある。ルアンマイバイモンは4~5年前からは健康に良い乾燥サナギの缶詰も販売している。

  • Facebook
  • twitter
  • line

関連記事