ミャンマー東部最新事情(下)  外資誘致に動き始めたパアン

ベトナム中部ダナンを起点とする「東西回廊」はラオス、タイを横断してミャンマーのモン州の州都モーラミャインを終点とする。ミャンマー国内のほとんどはカイン(カレン)州内を走る。かつて日本軍が造った泰緬(たいめん)鉄道も、タイ国境のパヤトーンズ(タイ側はスリーパゴダパス)でミャンマーに入るとカレン州内を走った。「東西回廊」がミャンマーに入る貿易拠点であるカレン州ミヤワディ(タイ側はメーソット)から150キロに、カレン州の州都パアン(Hpa-an)がある。

パアンの町は小さく、落ち着いた雰囲気が漂う。安くて小奇麗なホテルが多く、西洋人観光客の姿が目立つ。家族や仲間と来てホテルでのんびりしている人がほとんどで、彼らは一日中ただおしゃべりするためだけに来ているように見える。この数年、中国、インド、バングラデシュ、タイなどとの国境付近までミャンマー各地を旅してきたが、ミャンマー第2の都市マンダレーと古都バガンを除くと、快適なホテルが複数ある地方都市はパアンだと思う。ホテル観光省の統計ではパアンで営業ライセンスを正規に得ているホテル(ゲストハウスを含む)は18件(2016‐17年)あり、現在さらに17件が建設中という。

Zwegabin山をはじめとして特徴ある石灰岩の山が多い以外は目ぼしい観光スポットはない。そんなパアンが投資誘致に動き始めたと聞いて現地の実態を見てきた。カレン州では女性州首相(Daw Nang Khin Htwe Myin)指導の元に投資誘致に積極的に取り組み始めている。これまでパアンでは仕事が少ないことから多くのカレン人がタイに出稼ぎに行っている。パアンの某銀行の支店長は「パアンの企業はすべて中小企業で、コメの集配センター、家具製造、車の整備、運送業が多い」と説明した。

写真・文 アジア・ビジネスライター 松田健

パアン唯一の工業団地を訪問

パアン中心部から10キロほど離れた郊外でカレン州政府が経営している工業団地を現地のカレン人の案内で訪れた。広大な工業団地ではあるが、操業しているのは11社で空き地が目立つ。カレン州には他にもタイ国境のミヤワディ、コーカレイ(Kawkareik)、パーポン(Pharpon)に税制優遇が受けられる工業団地があるという。

パアン唯一の工業団地で操業しているのは、UMHやFULL・TEX社といった衣料工場がメイン。プラスチック製の波板を生産している工場もある。タイとの合弁の他、日本企業が出資している衣料工場もあると聞いた。純粋な日本企業の進出は日本財団(笹川陽平会長)が支援した2事業だけ。タイ国境方面の難民キャンプから戻ったカレン人を対象とする訓練センターで「BAJ」(ブリッジ・アジア・ジャパン)というNGOが運営している事業の他、ウコンや生姜などの栽培指導などをしている「カイン州メディカルプラントリソースセンター」があり、その2事業の広大な敷地は隣り合っている。双方の入り口には漢字で「日本財団」のマークがある。休日で会えなかったが日本人も常駐している。

2017年11月24日、投資企業をカレン州企業と結びつけることを目的としてミャンマー政府のMIC(投資委員会)とJICA(国際協力機構)が主催、カレン州とJETRO(日本貿易振興機構)が支援した初の「カレン州投資フェア」がパアンのティリ・パアン・ホテルで開催された。私がパアンに取材に行ったのは2018年3月だが、ミャンマーの調査会社MMRD社(Myanmar Marketing Research & Development Company)が2018年2月末に出版した「カイン州投資機会」という報告書を手に入れることができた。

主な内容が昨年の「カレン州投資フェア」での要人のスピーチ集で、報告書によると「投資見本市」が開催された他、午前10時からのセミナーではカレン州首相のウエルカムスピーチに続き、MICの委員長自らカレンの投資優遇策を説明したとなっている。また、パアン商工会議所のハン・アエ会長【Saw Han Aye=ミャンマー語でMRはU(ウ)だがカレンではS(ソー=Saw)】は「これまでの外資の投資はホテルと観光業だけに留まり、大型投資は1件もない。カレン州がタイに隣接することの優位性をもっと我々は意識して新ビジネス構築のために改善すべき点も取り組みたい」「投資を増やすためにはまず電力と道路のインフラ整備、法の支配の確立が必要」と語っている。

ミャンマー駐在のJukr Boon-Longタイ大使も同投資セミナーに駆け付け、「ミヤワディとタイ側のメーソット間の国境貿易は2016年に7億3,000万米ドルだったが、2017年には9億3,000万米ドルに急伸している。近く第2の国境橋がモエイ(Moei)川【ミャンマー側はタウンイン(Thaung Yin)川と呼ぶ】に完成するので貿易はさらに伸びる。両国の貿易関係だけでなく、観光面での発展にも期待したい。また、(タイを訪問する)ミャンマー人に対するビザ廃止に向けた努力をしたい」と語っている。

MMRD社では「カレン州投資フェア」開催前の時点で「カイン州投資機会調査」もまとめており、カレン州にはゴム、コーヒー、紅茶、スパイス、穀物貯蔵など農業関係、鉱業、電力開発、観光、ロジスティクス(物流)などで投資機会があるとしている。パアンには既に空港があるが設備は古くなっており、航空機は2006年からまったく離発着していないという。そこで政府ではパアン空港の改修ではなく、パアンとタイ国境のミヤワディ間にあるコーカレイ(Kawkareik)に新空港を建設しようと考えているようだ。

70年も国軍と戦う武装勢力

上記のように一見は平和そのもののパアンだが、カレン州の国道では筆者が乘った車の前を走っていた黒い車のナンバープレートに「KNU KNLA」とあった。KNUはカレン民族同盟(Karen National Union)でその軍事部門がKNLA(カレン民族解放軍)という反政府軍。カレン州はそのようなプレートを付けた車両が今日も堂々と走っている無法地帯でもある。

カレン州政府ではタイから密輸された車などライセンスが無い車は見つけ次第没収するとかなり以前から発表してきたので、もう違法な車はなくなっているだろうと考えていたが、まだ多数の非合法車両が多数走っている。走行する車両のナンバープレートの上段にはカイン州を意味する「KYN」があるべきなのに見当たらない車がめだつ。「KYN」とあるのが正規に登録された車両だが、ナンバープレートに「KYN」が無く番号だけ書かれた車両も走っている。

2008年に公開された映画「ランボー 最後の戦場」ではカレン族と国軍との戦いを描いていた。シルベスター・スタローンが主演だけでなく自ら監督し、脚本も書いた。映画が封切られてからでもすでに10年が経過している。カレン族と国軍が戦いを始めて70年にもなっている現在でもカレン族と国軍との戦いが続いており、「史上最長の戦い」と言う人もいる。

ミャンマーには140近い少数民族がおり、その内で反政府武装勢力が今でも20近くある。その半数以上は停戦協定に応じないどころか、反政府勢力同志が結びつく動きさえでている。1948年に英国から独立した当初からKNUが結成されており、1962年のクーデターで権力を握ったネ・ウィン将軍がカレン族など諸民族の独立運動の抑圧を強め、カレンではカレン族を支持する国軍もいて内戦状態になった。

タイ国境近くにコートレイ(Kawthoolei)という地図にはない「国」を作り、タイとの国境地帯の実行支配を現在も続けており、コートレイの「首都」がマナプロウ(Manerplaw)だった。しかし、キリスト教徒が指導するKNLAに所属していた仏教徒グループが民主カレン仏教徒軍DKBA(Democratic Karen Buddhist Army)を設立して国軍側に1994年12月に寝返り、1995年1月、DKBAはKNUの「首都」マナプロウを陥落させた。

その後しばらくは軍政と友好関係を続けていたが、軍事政権がDKBAを国軍傘下の国境警備隊でモーラミャインに本部があるBGF(Border Guard Forces)に編入したところ、DKBAの一部兵士が反発し再び政府軍と戦闘関係になっている。一方で、KNUの本体は2012年に政府と停戦協定を結んでいる。ミャンマーの反政府軍ではKNUの場合は7つの旅団に分かれて一貫した指揮系統がないことが政府の全土停戦協定(NCA)が進まない原因の一つだとカレンの人から聞いた。

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