タイ鉄道新時代へ

【第1部/第17回】国際鉄道網構想の復活②ミャンマールートに見る中国の野心

域内の経済成長を受け具体的な動きを見せる東南アジア・インドシナ半島の国際鉄道網構想。前回はアジア開発銀行やアセアン・メコン川流域開発協力会議(AMBDC)などが中心となって進めてきたタイを中継基地とした長距離輸送網計画について検証をした。構想が浮上してから1世紀。いよいよ現実性をもって受け止められるようになったが、一方でこれを国益を中心とした観点から虎視眈々と伺う勢力もある。そう、今や世界第2位の経済大国となった中国だ。中華思想のこの国は、東南アジア縦貫国際鉄道構想を自国の覇権強化、エネルギー供給網と捉え、どう影響力を強化していこうかに腐心邁進する。その延長線上には、南沙諸島などで繰り広げる領有権の問題とも密接に絡み合う「狙い」が伺える。国際鉄道網構想の復活劇を描く上下2回の後半は、ミャンマールートに見る中国の「野心」について描く。(文・小堀晋一)

2013年7月。ミャンマー中部の古都マンダレー。ここで開催されたのが、西部ラカイン州ラムリー島チャウピューと中国南西部雲南省とを結ぶ総延長2520kmの天然ガスパイプラインの完成記念式典だった。参列した中国石油天然ガス集団(CNPC)の関係者は、満面の笑みの表情で事業の成功を称えていた。ミャンマー側の区間793km、中国側の区間1727kmはアジアでは最大規模。ほぼ同規模の原油パイプラインと中継基地も建設され、天然の浜辺しかなかった漁村は活況に沸いた。

中東世界に通じる南洋の海に拠点港を持たなかった中国にとって、海賊の出没するマラッカ海峡を経ずにミャンマー南西の沿岸部から直接エネルギー源を国内に取り込むことができるパイプライン建設は、国家規模の巨大プロジェクト。まさに威信をかけた国際進出事業だった。民主化が進むミャンマーだが、30年以上にわたる軍事政権の結果、国土の開発と産業の発展は遅れ、諸外国と対等に渡り合えるカードは沖合のガス田ほどしかない。中国へのエネルギー輸送で得る年間の通行料は3500万米ドルと魅力的な収入源。断る理由はどこにもなかった。

だが、虎視眈々と獲物を狙う中国の策略はそれだけでは収まらない。中国国営インフラ建設大手の中国中鉄(北京)はパイプライン建設と並行して、雲南省からミャンマー・ラシオ、マンダレーを経てチャウピューに至る「中緬高速鉄道」の建設も打診。ミャンマー交通省と覚書を交わしていた。これが完成すれば、雲南省都の昆明から延びたレールがミャンマーの既存鉄道網を経由し、国内ほぼ全域さらには東南部タイ国境に近い深海港ダウェーまで届く計算になる。ミッシングリンクとなっているタイ・ミャンマー間の問題さえ片付けば、昆明からミャンマーを経て、マレーシア、シンガポールまでを同一の鉄路が直結する「第2東南アジア縦貫鉄道網」の出現となることは確実だった。

中国政府は2012年、雲南省を拠点に東南アジア大陸部(インドシナ半島)に向けた鉄道網の整備強化を主たる内容とした「雲南省加快建設面向西南開放重要橋頭堡総体制規格」計画を決定。海路だけでなく鉄路をも通じた〝南進〟を加速していくとする国家戦略を定めている。これにより改めて打ち出されたのが3本の「南進鉄道」だった。昆明から河口を経てベトナム・ハノイに通じる東部路線、昆明からタイ族の自治州がある景洪を経由しラオス・ルアンナムター、タイ国内に至る中央路線、そしてもう一つが昆明から古都・大理、国境の瑞麗からミャンマー・ラシオに伸びる西部路線だった。

ハノイに至るルートはすでに標準軌(1435mm)での整備を終え、インドシナ半島沿岸周りでの直通輸送が見通せる段階にまで来ている。だが、当該路線はシンガポールまで7000kmと長駆のうえ利害関係国が多く、中国としての国家が埋没しかねない。畢竟、与えられる影響力を考えれば、中央路線と西部路線が国策として採る最良の戦略だった。このため中国は12年12月、ラオスとの間で昆明とビエンチャンとを結ぶ高速鉄道の建設で政府合意。そのための資金70億米ドルを拠出することを確約した。見返りにラオスからは木材や炭酸カリウム、衣料など年間500万トン分の物資の提供を約束させた。この区間の道路建設はすでに完成している。

そして、同時並行的に進めたのが西部路線としてのミャンマー直通鉄道の建設だった。終着駅だった昆明から西に延伸させ大理までをレールで結んだ。付近一帯には9世紀ごろチベット系のペー族が興した古代国家「大理」があったが、国境越えがなければほとんど利もない不毛な山岳地帯。現在はミャンマー国境に近い瑞麗までの整備が続けられている。第2次世界大戦当時、ビルマ北部を拠点としていた連合軍が、内陸部の直轄市・重慶に遷都していた蒋介石政権に物資を送り続けた「援蒋ルート」を、ちょうど反対から進む計算になる。21世紀版の壮大な輸送計画ともなりえた。

実は、ミャンマーを経由した東南アジア縦貫鉄道構想は、AMBDCやアジア開発銀行内でも議題として話し合われたことがある。その際に検討の対象となったのが、タイとのミッシングリンク解消を担う可能性を持つ死の鉄道「泰緬鉄道」の復活だった。敗戦により同鉄道は分断され、ビルマ(ミャンマー)域内はレールごと撤去が進んだ。タイ政府が復活を打診したこともあったが、戦後復興を急ぐミャンマー政府に余力はなかった。一部区間がダム湖の底に消え地盤の崩落も進んだことから、やがて泰緬鉄道の復活構想は現実不可能なものとして後退。代わって浮上したのが、国境に近いダウェーからタイ域内に延伸する山岳横断のプランだった。直線で80kmも行けばタイ国鉄と接続ができる計算だった。

ところが、これにミャンマー国内の鉄道事情が立ちはだかった。2013年現在の鉄道総延長は5876km。1990年に約3200kmだったから、直近の四半世紀で80%以上も延伸が進んだ勘定になる。だが、その内訳は複線区間はわずか700km、全線非電化で保守点検の技術も低く、故障も茶飯事。近代鉄道と呼ぶにはほど遠いのが実情だった。分離独立を主張する国内の少数民族対策や中央集権化を加速させるために、歴代政権が鉄路の質を後手に回した結果だった。保守管理などの整備費や沿線の需要を考えた場合、ミャンマー経由ルートがラオス・ルートやベトナムなど沿岸部迂回ルートより有利に立てる保証はどこにもなかった。

だが、中国政府は諦めない。日本のJR東日本の関連会社がミャンマー国鉄の保線管理技術と機材供与の契約を締結した直後の2013年10月、ミャンマー国鉄に対し総額9200万米ドルの低利融資を決定。「支援」の立場を鮮明としている。14年にはヤンゴン中央駅改修事業にも日本と競って事業参入。今年4月には中国中鉄が最大都市ヤンゴンから首都ネピドーを経て中部マンダレーに至る高速鉄道計画を鉄道相に提案し、話題をさらった。事業完成は20年度半ばを見込んでいる。

こうした動きに対し、国際鉄道網建設の主導権を奪われかねないと懸念を強めるタイ政府は、中国への警戒を強めつつも一定の関係維持に務めている。14年末には暫定政権のプラユット首相が中国の李克強首相とバンコクで会談し、ラオス国境東北部ノーンカーイとタイ湾に臨む石化コンビナート基地マープタプットまでの南北鉄道の建設で合意した。一方で、暫定政権はダウェーとバンコク、東部臨海工業地帯を結ぶ東西鉄道網建設に日本資本を参入させようとも目論む。

国際関係と思惑が複雑に絡み合う中、タイの鉄道は新たな時代を迎えようとしている。その利害関係国として、日本と中国の両国政府が相まみえているのが現在の構図でもある。連載次回は第1部最終回「高速鉄道計画とタイ鉄道網の将来像」について。(つづく)

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