タイ鉄道新時代へ

【第84回(第3部44回)】 中国「一帯一路」の野望・番外編6

中国雲南省の昆明を起点に、南はラオスを経由してタイ・バンコクまで、西は瑞麗からミャンマー国境を渡河して中部の都市マンダレーまでをそれぞれ結ぶのが〝漢帝国〟復活の野望を抱く中国の「一帯一路」だ。現在明るみとなっているだけでも、この地域の総延長は優に3000キロ超。日本列島を北海道から九州まで走破する約2000キロを大きく超える。このうちミャンマーでは、マンダレーから先の西部ラカイン州チャウピュー港、さらには首都ネピドーや最大都市ヤンゴンへの延伸も確実視されており、赤色の鉄路は今後も路線網を拡大していく見通しだ。「一帯一路鉄道」の番外編としてお伝えしてきたミャンマー編は今回が最終回。

ミャンマー第2の都市中部マンダレーを午前4時に出発するミャンマー国鉄ラシオ線は第2次世界大戦当時、英米両国が主導して整備をした中国重慶政府への援助物資輸送路「ビルマ公路」の一部。ラングーン(現ヤンゴン)で揚陸された軍需物資はラシオまで鉄道で運ばれた後にトラックに積み替えられ、中緬国境を超え抗日戦線に届けられた。旧日本軍はこの輸送路の遮断を実施するために、その前線司令部をピンウールイン(旧メイミョー)に置いたことは前回触れた。  一時はこの地域を旧日本軍が支配したことから、連合国側はインド北西部にいったん拠点を移すものの、空路での蒋介石政権支援を継続。一方で、ビルマ公路奪還計画も用意周到に進められ、インパール作戦の失敗と相まって戦争末期には再び連合軍の手に落ちることとなった。戦後は再び、人々や物資が行き交う大動脈として両国の交易発展に寄与。それから70年余り、この地を中国が再び目を付けるようになったのも歴史の必然と言えた。

ムセ~マンダレー間の「マンダレー鉄道」は現在、中国企業「中国中鉄二院工程集団」が委託したスイス企業によって事業化調査が行われている。環境影響評価や建設コストなどの検証が進められているものと見られ、早ければ来年にもその概要がまとまる見通しだ。全長は431キロ。見込まれる総事業費は約90億米ドル(約9500億円)。ミャンマーの年間名目GDPの8分の1という巨大な事業だ。  開発対象は同鉄道の区間だけに止まらない。工事を請け負う中国中鉄二院工程集団はマンダレーから先、チャウピューに至る「マンダレー~チャウピュー鉄道」の事業化調査の実施権限もミャンマー政府から得ており、中国主導によって今後の鉄道敷設が推し進められることは既定路線。コスト回収の点から考えても、鉄道の敷設がムセ~マンダレー間で終わるとは考え難く、中国内陸部とインド洋とが鉄路で直接結ばれることは最早確実な情勢だ。  その重要な拠点として脚光を浴びるマンダレーは、英領インド帝国に併合される第3次英緬戦争前まであったビルマ最後の王朝コンバウン朝の旧首都。無数の僧院と数百を超えるパゴダ(仏塔)がある仏教の街だ。旧市街のすぐ北にあるマンダレー・ヒルに登ると、この街が大河エーヤワディーの河畔にあり、広大な沃野が広がっていることがよく分かる。丘の途中では、旧日本軍のビルマ方面軍戦没者の慰霊碑が歴史を刻んでいる。

2000年代以降、マンダレーでは中国人の姿が特に多く見られるようになった。当初は商用で、さらには交易が活発化すると、ミャンマーでの永住権を取得して移り住み、ビジネス展開に乗り出す中国人が相次ぐようになった。ここで作られた衣料品には「メイド・イン・チャイナ」のタグが付けられ、中国を経由して全世界に輸出されるようになった。安い賃金を背景とした中国の衛生工場が、いくつも作られるようになった。  長らく軍事政権が続き、国内産業がほとんど育成されてこなかったミャンマーで、資金の調達から技術の支援まで大きく影響力を行使しているのが中国だ。その頻度や関与は日を追うごとに高くなり、最早中国なしでは経済が成り立たないほど傾斜を強めている。ミャンマー国内からは農産物や翡翠(ヒスイ)、衣料品などが、中国からは家電や二輪などの工業製品が輸出されている。新型コロナウイルスの感染拡大で国境が閉鎖されるなど一時は人の往来が途絶えたが、国境で運転手を替えることでそれらも乗り越えようとしている。中国の「一帯一路」はミャンマーでも勢いを上げて進行している。(つづく)

 

2020年12月1日掲載

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