タイ鉄道新時代へ

【第87回(第4部3回)】 悲願の新線コーンケーン~ナコーンパノム線その3

2025年完工を目標に事業化が進むタイ国鉄新線のコーンケーン~ナコーンパノム線は、始発駅バンコクから起算すると約763キロ。東北部イサーン地方の玄関口ナコーンラーチャシーマーから先は北に舵を取り、約408キロ地点にあるバーンパイ駅で針路をほぼ真東に転じる。ここで分岐するのは、この地が古くからマハーサーラカーム、ローイエット方面への交通路の起点であったことから。市街地にはこれらの地方都市に向かうバスターミナルが存在し、今も住民の貴重な足となっている。人口10万人ほどの小都市に降って沸いた新線建設の話を、地元ではどう受け止めているのか。

訪ねたのは、乾季が始まって1カ月余りが経った11月下旬。バンコク発の寝台列車で、まずはコーンケーン駅を目指した。通過駅のため途中下車ができなかったバーンパイから通り過ぎて5駅先。着いたのは午前4時すぎで、辺りはまだ静寂に包まれていた。  かつての地上駅は、タノンチラ(ナコーンラーチャシーマー県)~コーンケーン間187キロで進められていた複線化工事によって、近代的な高架駅に姿を変えていた。エスカレータもある。降車したのは、記者(筆者)も含めわずか5人。うち3人は、家族が車で迎えに来ていた。残る1人は駅前で客待ちをしていたタクシーに間もなく乗り込んだ。まだ時間が早いことから、記者は構内にあった固く分厚い木製ベンチに陣取り、溜まっていた原稿書きの仕事を始めることにした。  午前8時前の上りの始発列車に乗ろうかとも考えたが、その後の日程が押すことを考え、明け方前には車を拾ってバーンパイ駅を目指すことにした。高架駅1階前にある車寄せに足を運び、客待ちのトゥクトゥク(三輪タクシー)に声をかけた。通常のセダン型タクシーはすでにいなくなっていた。片道600バーツから始まった交渉は、最終的に400バーツで妥結。約40キロの道のりだった。  還暦は優に超えていそうな気さくな男性運転手プンさんの車の荷台に乗った。走行する車両も少ないことから、勢いよくエンジンをふかしている。少し恐怖を感じるほどのスピードだ。15分ほどして東の空がうっすらと明るさを増してきた。それにしても寒い。リュックサックから薄手長袖のカーディガンを取り出して着た。首にはタオルを巻く。ノーンカーイまで走る国道2号をトゥクトゥクは爆音を出して南に向けて走った。  この辺りの産業は何かを尋ねるとプンさんに尋ねてみると、「サトウキビの生産だ」と教えてくれた。他にも、様々な農作物がここに集まってくるという。目が慣れてきて周囲を見回すと、丘陵地帯に整然と植えられたサトウキビ畑が確かに見える。収穫は終わっているようだった。  1時間近く走ったろうか。線路を左に横切り、小さな街に入って行った。聞くと、ここがバーンパイの市街地なのだという。午前6時前。至るところに野菜や肉、米、朝食を提供する屋台が出ている。朝市だ。近くの住民と思われる人々がめいめい買い物を楽しんでいる。その中を抜け、トゥクトゥクはバーンパイ駅の駅舎を目指した。  駅舎はこぢんまりとした平屋建て。その背後に巨大な高架橋がそびえている。新幹線と平行して走る在来線の小駅のように見えた。駅前にいた地元住民に尋ねてみると、高架橋の建設と合わせて駅舎も建て直されたという。改築される以前は、待避線のあるごく一般的な平地駅。放し飼いの牛が路線内に入り込むこともしばしばだったという。

駅前の屋台街で朝食を取った後、この地の交通の要衝であるバスターミナルに向かった。駅から徒歩で10分余り。住宅に囲まれた一角にそれはあった。ターミナルの周辺には地方の中心都市にあるような食堂や商店などはなく、人影もほとんどない。バスが運行しているのかさえ心配になった。  客待ちをしていた三輪タクシーの運転手に話しかけた。この道30年というウイさん。1日あたりの客は、「5人もいればいいね」と答えてくれた。鉄道新線計画については「知っている」としながらも、あまり関心はなさそう。「新しい鉄道ができても、運行はあって1日2~3便ほどだろう。俺たちの仕事に影響はほどんどないよ」と解説していた。  ウイさんによると「バーンパイ」の語源は「竹の村」。その昔、この周囲一帯には竹林が豊富で、竹を建材に住宅や船などを造っていたという。開墾や宅地でいつの間にか目にすることはなくなったというが、今なおわざわざ竹を購入して利用する人も少なくないとか。古い良き昔の記憶が地名に残されていた。(つづく)

 

2021年3月1日掲載

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