タイ鉄道新時代へ

【第91回(第4部7回)】 悲願の新線デンチャイ~チェンコーン線その1

首都圏の都市鉄道を除けば、タイ国鉄が手掛ける21世紀初頭の新線建設は東北部コーンケーン県バーンパイ郡とメコン川対岸のナコーンパノム県を結ぶイサーンルート(355キロ)と、北部プレー県デンチャイ郡とチェンライ県チェンコーン郡を結ぶ北部新線(323キロ)の大きく2つ。このうち前者については、前号までの短期リレー連載で取り上げた。今号からは北部山岳地帯を走行するもう一つのルートを紹介する。チャオプラヤー川の支流に沿った車窓の美しい地域を走る高原列車。計画の立案から実に80年以上が経過した悲願の鉄道新線であった。そしてまた、中国が触手を伸ばす一帯一路の接続路線でもあった。(文と写真・小堀晋一)

タイ最北部チェンライからチェンマイ、パヤオの各県に通じる一帯はメコン川とチャオプラヤー川の分水嶺が広がる山岳地帯。山々の岩肌から湧き出た清水が、めいめいの流れをつくり、合従を繰り返して大河へと成長して行く。その一つワン川とヨム川は、それぞれチェンライ、パヤオ両県を水源とし、ほぼ真南に進路を取って、チャオプラヤー川の支流であるピン川、ナン川へと注ぐ。今次の鉄道新線は、こうした水源地帯のすぐ脇を走ることになる。

この地域での鉄道敷設計画は遙か以前から、取り上げられては消え、また浮上する連続だった。チェンライ県の最東北部チェンコーン郡は、メコン川沿いの港町。対岸はラオスで、50~60キロも北西に走ればかつてのアヘン密造地帯、ミャンマー国境のゴールデン・トライアングルにたどり着く。河岸の幅も数百メートル~1キロと十分にあり、雑貨や食料品など載せたフェリーが頻繁に往来を続ける場所だ。

ここに、アジアハイウェイ3号線の一部ともなる第4タイ・ラオス友好橋が完成されたのは2013年12月のことだった。ラオス・ボーケーオ県ファイサーイ郡とを結ぶ全長480メートルの自動車道。物流量は一気に増え、中国雲南省の国境の街・磨憨(モーハン)からラオスのボーテン、ルアンナムターを経て最短距離でタイまで結ばれることになった。

友好橋の完成が、資金難などから構想倒れに終わっていたデンチャイ~チェンコーン新線建設を一気に具体化へと導いたのは間違いがない。中国がアセアン各国とスタートさせた「中国ASEAN自由貿易協定(ACFTA)」に基づく特恵関税も追い風となった。この地の交易路としての重要性が高まっていった。

タイ国鉄は13年7月、新線にかかる翌年中の事業入札実施を公式に表明。環境アセスメントについても2カ月以内に済ませ、国家経済社会開発委員会(NESDB)に提出し認証が得られれば閣議に諮るとした。浮かんでは消え続けてきた幻の新線建設が、構想線から計画線へと急ピッチで格上げされた瞬間だった。

だが、翌年当初からタイ国内では反政府運動が再燃し、当時のインラック政権の退陣を求める群衆が主要交差点などを占拠。「バンコク・シャットダウン」と称した抗議行動に及んだ。このため市場は一気に混乱。この後、現在の政権に通じる陸軍クーデターが発生し、計画は構想へと後戻りする。再び政策の遡上に挙がるまで、さらに5年の歳月を待たなければならなかった。

デンチャイ~チェンコーン新線が初めて国家の事業計画に持ち上がったのは1941年。大戦により国土が戦火に飲み込まれる前のことであった。当時のタイ政府が策定したのが「全国鉄道建設計画」。ここにデンチャイ~チェンライ間の新線構想を見ることができる。

戦後は国土復興が優先され、建設計画も棚上げの状態が続いたが、60年代になるとその有用性が次第に再認識される。64年に政府が国鉄に対して建設に向けた調査を行うよう指示を下すと、デンチャイからプレー、ガーウを経て国道1号線と平行するルートがコストと採算性の面で最も実現性が高いと報告された。今回、建設が進められるルートの原型であった。

2018年7月、政府はデンチャイ~チェンコーン新線の建設を正式に閣議決定。構想から77年。ルート検討の調査からも半世紀超を経て、計画は具体的に動き出すことになった。コロナ禍の今日、政府は電子入札を経て、間もなく工事を始める見通しだ。

新線は、ほぼ平行して走るアジアハイウェイ3号線、すなわち中国が強い関心を示す南北経済回廊(雲南省昆明~バンコク)ともピタリと符号する。中国がラオスで建設する一帯一路高速鉄道「中老鉄路」ともラオス北部ルアンナムターで接続させたい意向だ。新線建設はタイ国内の沿線住民や貿易業者らの悲願だっただけでなく、インドシナ半島の制覇を目論む中国の目論見も反映させながら静かに始動を始めたのだった。(つづく)

 

2021年9月1日掲載

  • Facebook
  • twitter
  • line

関連記事