タイ鉄道新時代へ

【第99回(第4部15回)】インドシナ・マレー半島縦断鉄道構想/タイ中高速鉄道4 アユタヤ

東南アジアの国際鉄道網「インドシナ・マレー半島縦断鉄道構想」の中核路線「タイ中高速鉄道」は、最初の停車駅ドンムアンを出発するとほぼ真北に進路を取り、30分後には中部の古都アユタヤ市内に入る。この間約60キロ。左手にはチャオプラヤー川、右手には一面の水田地帯。ところどころに市街地や工業地帯が点在するものの起伏はほとんどなく、のどかな旅情を感じさせるには余りある。この区間をタイ国鉄は一人当たり195バーツの運賃で輸送する計画で、旅客の上積みを見込む。アユタヤ県も今以上の観光客が見込めるとして駅周辺の再開発を検討するほか、地元経済界はホテルの建設計画を進めるなど活発な動きも展開されている。中部の古都にもたらす経済効果や反響を概観する。 (文と写真・小堀晋一)

 現在の在来線アユタヤ駅は1897年3月26日、タイ国鉄で初となる鉄道路線・北部本線の終着駅として開業。当時は、駅名をクルンガオ駅(สถานีกรุงเก่า)と称した(1917年に改称)。120余年を数える始発駅フアランポーン(バンコク)駅と同じ長い歴史を持ち、この国のいわば顔となる駅だ。開業時の両駅間の途中駅は、バーンスー、ラックシー、ラックホック、クローンランシット(のちランシット)、チアンラック、チアンラックノーイ、バーンパインの7駅。現在も馴染みのある地名が、タイ鉄道の黎明当初から存在していたことがうかがえる。
ところが当時から、繁華街などの市中心部はチャオプラヤー川とパーサック川で囲まれた島状の旧市街の中にあって、アユタヤ駅周辺は人気のない寂しいエリアだった。現在も近くに古いホテルが2棟あるものの、なお駅前は平屋建ての土産物屋や大衆食堂、ゲストハウスにレンタルバイク店などがちらほらとあるだけの地方のひっそりとした田舎駅に止まっている。
そのローカル色の強い場所でこのところ話題となっているのが、ホテルや商業施設などの不動産開発だ。タイ中高速鉄道が開通すれば、ドンムアン空港に空路で降り立った観光客が1時間もかけずに直接観光地のアユタヤに乗り込むことができる。その時、駅前に観光ホテルがない状態だけは避けたいと、地元観光協会などが再開発構想を進めているのだ。
タイ国鉄もこうした期待に応える形で、アユタヤ駅一帯の13.3キロ(バーンポー駅~プラケーオ駅間)については在来線をまたぐ形で高架橋を建設するこことし、新駅舎についても現在の在来線駅舎を上空から覆う形で新築することをいち早く決定。新駅舎は地上45メートル3階建て。仏教寺院をイメージした荘厳な造りで、開業予定は2026年とされた。
ところが、そこには大きな問題が立ちはだかった。アユタヤは言わずと知れた歴史都市。1991年には旧市街の一部約290ヘクタールが、アユタヤ歴史公園「プラナコンシー・アユタヤ歴史都市」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)から世界遺産に登録されている。また、文化省芸術局は同歴史公園を含む約480ヘクタールの範囲を考古学の対象地域と定め、開発については厳しい制限を課している。新駅舎を含む巨大構造物の建設には、遺産への影響を調査するユネスコの遺産影響評価や芸術局の認可が必要との指摘が高まったのだった。
政府側でこの対応に当たったのが、陸軍出身のプラウィット副首相だった。同氏は運輸省に検討を指示。同省はアユタヤ駅周辺の地下化や迂回する案など5つの代替案を示したものの、決め手となる打開案は見い出せてはいない。地下化についてはさらなる予算が約153億バーツもかかるとされ、迂回案についても土地買収費用を合わせた総額264億バーツの新たな財政出動が避けられないとされた。工期もそれぞれ、さらに5年と7年が必要とされた。
現在、政府と国鉄はユネスコ傘下の世界遺産委員会と折衝を行い、遺産影響評価について協議を重ねている。同委員会の一部の間では地下化への関心が高まっているというが、全体意見として打ち出されるほどの勢いとはなっていない。また、高さ20メートルの鉄道高架橋が、歴史都市としての景観全体を損ねるといった意見も予想以上に根深い。高速鉄道建設計画はこの地区で今、最大の山場を迎えている。
タイ中高速鉄道第1期(バンコク~東北部ナコーンラーチャシーマー県)工事の進捗率は、11月上旬時点で15%に止まっている。当初政府が見込んでいた37%を大きく下回る。その原因の多くは新型コロナの感染拡大によるとされるものの、アユタヤに限っては歴史遺産との関係が遅れの主たる理由として浮き彫りとなっている。一方で、地元経済界や住民からは待望論が尽きない高速鉄道建設計画。当分は目が離せない状況が続く。(つづく)

2023年1月4日掲載

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