中国・深圳の元気な日系企業 転換期迎えたテクノセンターの今

かつて「日本の中小企業の駆け込み寺」と呼ばれた中国広東省深圳にある日系企業専用工場団地『テクノセンター』(観瀾日技城有限公司、深圳市龍華区観瀾街道桂香社区品順路134号)に進出した日系各社は、テクノセンターが持つ来料加工(生産した全量を輸出し、中国側は加工賃だけを受け取る委託加工契約)の免許を利用するビジネスモデルで成功してきた。

1992年7月の設立以降、国に恐る恐る初進出した多くの日本企業を育て、富士ゼロックスやマックス、ヒロセ電機といった大手も中国進出の足掛かりとしてテクノセンターに入居。しばらくして外部に自前の工場を建てて「卒業」していった。

しかし、10年程前に広東省東莞市と深圳市の来料加工を独資に変更する政策が発表され、テクノセンターでは来料加工としての営業許可が2018年9月で終了したことに伴い、全入居企業が独資になった。今回、その現状を取材してきた。

2007年には52社の日系来料加工企業が操業していた。現在は21社の独資企業だけが操業している。委託加工では生産したモノのすべてを香港に輸出しなければならなかったが、独資なら中国国内で直接販売できるため、初の営業マンを工場に駐在させたところもある。

現在の入居率はレンタルオフィスも含めて83%。西村三砂総務部長は「日本から新規にテクノセンターへの進出を考える企業はほとんど無くなった。今後は広東省内からの移転だけでなく、倉庫の進出も歓迎したい」という。

広東省に限らず、中国では工場の賃貸料が上昇している。以前は近辺の賃貸工場に比べて割高だったテクノセンターの家賃が相対的に安くなってきており、「中国撤退は考えないがテクノセンターへの移転で中国工場を縮小したい」と考える日系企業も出ている。

中国国内やタイなどに金型提供

中国でのコストの大幅上昇や米中経済戦争など環境が厳しさを増している中、テクノセンターに進出している日系の21社はおおむね経営が好調。最も好調な1社が名古屋市内で1928年(昭和3年)に創業、90周年も終えている老舗の金属プレス業であるヒサダ(名古屋市天白区音聞山1111)の中国工場。同社は初の海外進出として2002年1月に香港に本社を置き、テクノセンター内の工場では生産だけを行う「来料加工」の形態で中国に進出。日本の工場でも防衛省向けなどに金属プレス部品製造を続け、愛知県みよし市には輸送センターを構えている。

ヒサダの中国法人、久田錦泰科技(深圳)有限公司では、ヒサダの久田泰(ひさだ・やすし)社長(昭和1957年1月生)がCEO(董事長)を兼務している。中国工場で働く日本人は久田社長一人だけ。中国進出を決めて以降、久田社長は香港に居を構えて滞在中は毎日のようにテクノセンターに通い、営業推進のため日本、タイ、フィリピンも頻繁に訪れている。

当初は香港経由で原材料購入や輸出をしていたが、2014年に「独資」形態に変更して久田錦泰科技を設立した。このため中国工場から中国国内に直接販売が可能となり、日本向けの他、中国国内の日系工場向けを含め、「現在99%が日本企業向け。納入した日系の顧客の製品に組み込まれた当社製造の部品と金型はタイを含めアフリカなど世界に出しています」と久田社長は話す。

中国進出まもない頃は中国企業の顧客も多かった。「支払いがなされないケースが相次いだので、その後は原則的に支払いが確実な日系からの仕事しかやらないことにしました。例外的には信用できる近くのローカルの中国企業向けの仕事を受けたり、当社でこなし切れない金型の注文を技術的に信頼できる近くの中国の金型メーカーに出すなど、中国企業との関係はあります」と久田社長は説明する。

2年前からプラスチック射出成型を始め、テクノセンター内に設けた新工場で製造するプラスチック部品を組み合わせた、複合部品の生産を開始した。これまでに50トンから180トンまで、故障の心配がなく精度が出せる東芝機械の新品機だけを8台導入して成形している。以前は台湾製のプレス機も導入していたが、これまでに日本製以外は処分(売却)した。そしてコマツのサーボプレスなどで生産している金属プレス部品に、プラスチック成型した部品を自社工場内でアッセンブルしている。現在製造しているのは、自販機向けの電子膨張弁、防盗板や商品搬出の機構部品など。

久田錦泰科技ではテクノセンター内の工場で、金属プレス用の金型だけでなくプラスチック金型もかねてから生産してきたこともあり、複合的な金型技術を持っている。そして中国各地やタイやフィリピンなどにも金型を輸出している。中国人のCAD(コンピュータ支援設計)デザイナーが複雑形状の金型の設計をこなし、久田社長のアイデアも入れて新たな工法も各種開発し続けている。そして量産を始める前に顧客企業に提案するケースが多いという。例えば、従来は切削で行えないと考えられていたピン形状の部品についても金属プレスで原材料を丸く曲げてピン状の部品を製造する方法が成功し製造を開始している。複合的な金型技術を生かして開発された工法に対して、日系大手の顧客から「原価低減に貢献した」として毎年のように表彰されている。久田社長は「コスト、品質、デリバリーのいずれも同業他社に負けていません。『そんなに安くできるの』と顧客にびっくりされることが多く、安くしすぎたと反省しています」と話す。

昨年はリーマンショック前の売上高に

ヒサダは中国での顧客の見込みがまったく無い中で進出。まずはテクノセンター内に進出している他の日系企業からの受注に成功し、手押し車で製品を納入した。そして創業半年後には残業に加えて土日も操業するフル稼働となり、2008年のリーマンショックが発生するまで右肩上がりの業績向上が続いた。同年に中国での年商が20億円に達したが、リーマンショックに伴う不況で09年には8億円と半分以下に激減した。顧客の日系大手からはコスト削減のため内製化するとして発注のキャンセルさえあった。

久田社長は極めて明るい性格で前向きに経営の難局に立ち向かってきた。リーマンショックで大幅に受注が減少し続ける中、創業80周年のパーティも盛大に開催した。中国での売上高減少は続き、2013年には過去最低の売上高を記録したものの「累積赤字にはならなかった」(同)という。そして以前に比べ従業員数が半減しているにも関わらず、2018年にはリーマンショック前の最高の売上高記録を更新した。

テクノセンターが登記上の名称を変更した際、辞めれば数カ月分以上の給与にあたる経済保障金が受け取れるため、会社を辞める従業員が相次いだ。しかしすぐに再雇用を求めて面接に来る元従業員が多かった。久田社長自身が面接し、人手不足から内心は戻って来て欲しいと思う製造スタッフもいたが、結局1人も再雇用しなかった。「このような対応を続けてきたので、『久田社長には言うだけムダ』と考えるようになったのか、給与関係の苦情を聞くこともまったく無くなった」と久田社長。しかし労使関係は円満で会社の食事会やパーティなどはいつも盛り上がっている。

中国工場では2007年に約350人の従業員を抱えていたが、2008年の金融危機(リーマンショック)後から仕事と従業員数が減り始めて、現在は160人(内男子は40人)。「私は、従業員を守ることは経営者の責任であり、リストラは悪いことだと自制していました。しかし、仕事や残業が無くなって遊んでいる状態よりも給与数カ月分の経済保障金を受け取って解雇される方が従業員にとっても経営にとっても良いことなのだと後になって理解できました」と久田社長。一方で労働意欲が高くパソコンもできる女子工員の能力を評価して生産管理担当の事務職に抜擢したこともあった。

2016年から17年にかけては東南アジアの他の地にも工場進出することを検討していた。タイも検討したが、久田社長が調査をすすめたのはフィリピンだった。毎年人件費が大幅に上昇している中国では中国のローカル企業も海外進出に迫らている状況にある。久田社長は「フィリピンの賃金は特に安いわけではないが、私自身が調査した限りではワーカーの質は高く、従業員の8割が人材派遣会社から派遣されている工場を見てこれなら労働争議の心配もしなくて済む」と感じたが、日本への輸出上の問題などからフィリピン進出を断念、テクノセンターでのプラスチック成形への参入に力を入れる決断をした。

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