タイで社長になった元技能実習生

写真・文 アジア・ビジネスライター 松田健

タイからも長年に渡って日本に技能実習生が送り出されているが、日本での技能実習を終えてタイに戻ったタイ人の中には経営者になって成功する人が増えている。筆者はこれまでにタイに戻って起業に成功した何人かのタイ人を取材する機会があったが、その中でもこれまでの成功頭がノムさん。ノムさんは数年前にタイで結成された「実習生・社長の会(アムタ=IMATA)」の初代会長を努め、タイでのマスコミの報道や講演会などを通じタイの若者に大きな刺激を与えている。「社長の会」と称していても、すでに企業などの代表者になったタイ人は20人ほど。他のメンバーはサラリーマンや日本語通訳など。  日本の外国人技能実習生の受け入れ団体の一つである国際人材育成機構(アイム・ジャパン、本部東京)のアレンジによる技能研修で日本に行ったタイ人はこれまでに約4000人いる。タイ東部のシーラチャでヤマモト・ペイント社(YAMAMOTO PAINT Co., Ltd.)やJRZ PROFESSIONAL CO.,LTD.などを経営するラップサデット・プーリスパッタナパーキン氏(Mr Rapsadet Phurisuphattanaphakin、愛称ノムさん)はその1人で2020年1月で37歳。社名の「ヤマモト」は、かつてノムさんにビジネスを指導しノムさんが尊敬している日本人の名で日本人の出資などはない。 「アムタ」副会長であるパッタナー・プラチャイブン(Patthana Phrachaibun)氏が起業した純タイ資本の会社名も日本語になっている。同氏も日本での技能実習からタイに帰国してから2013年に主にタイの日系向け機械部品加工業「(株)開発改善エンジニアリング」という工場を日本語の看板を掲げて起業した。看板の下にタイ語訳の「ボリサット(会社)カイハツ・カイゼン・エンジニアリング」と併記している。「日本式経営を持続させたいから開発改善の社名をつけた」とパッタナー社長。

借金を返すために日本へ

ノムさんが「起業したい」と考え始めたきっかけは、学生時代にタイ語に吹き替えられた韓国のテレビドラマを見たことだった。韓国南部の商品を韓国北部に運んで売る主人公を見ながら「よし、自分もビジネスに成功してお金持ちになろう」とノムさんは考え始めた。「起業」への憧れを高めたノムさんは、大学を卒業してすぐ、かつてアルバイトで経験があった機械部品製造などで起業したが、ことごとく失敗した。  23歳になった頃のノムさんは、昼はサラリーマン、夜になれば野菜市場で働くなどして起業資金を増やしたいと考えて奮闘していた。タイ人医師と組み、皺(しわ)が消え色白で若く見えるクリームを開発してインターネットや展示会出展などでの無店舗販売も開始した。また、衣服についた染みが香水で抜けることに気付いたノムさんは、ベンジンに洗剤の成分を入れたりする実験を繰り返したが、ベンジンの代わりにアルコールをベースにすることできつい匂いが無くなることにも気付いた。そして衣服の染み抜き製品を開発、タイの衣料業界向けに販売を開始したところ、思いの外よく売れた。そこでノムさんは「ワンタイケミカル」という新会社を立ち上げ、経営も軌道に乗り始めた。  そんなある日、顧客だったバンコクの衣料会社から「ワンタイケミカル」のメインの原材料であるメタノールを「タンクローリー3台分を回してくれないか」と依頼されたノムさんはその通りに手当して収めた。ところがその顧客はこのメタノールをタイのガソリンスタンドにバイオディーゼル用に売り払って、得た100万バーツを持って雲隠れしてしまった。  この詐欺のために「ワンタイケミカル」は倒産、訴訟を起こされたノムさんは歩合制によるろ過機のセールスの仕事を探し、逃げるようにタイ南部に行って働いていた。たまたま母親の弟である叔父から、お金がまったく無くても日本に働きに行くことができるアイム・ジャパンという日本への技能研修送り出し会社の存在を聞き、これに応募したノムさんは1回の試験で合格。「3年間日本に行けば借金が返せる」と考えた。ノムさんの叔父は当時、アユタヤにあったアイム・ジャパンの訓練校で働いていた。  ノムさんにメタノールを売ったが販売代金を回収できなかったタイの大手企業の営業マン(当時33歳)は会社から責任を取らされ、給与から長期にわたる天引きの形で損害を弁償させられ始めていた。ノムさんはこの営業マンに再会して「借金は必ず全額返済する」と示談を成立させた。  ノムさんは「田舎の実家がどん底状態にあり、立て直さなければ私がタイに戻ってからの基盤がない。だから日本で得る初期の収入をまず実家の再建に充て、そのメドがついた時から返済を開始する」ことで営業マンに了解してもらった。そして日本から1回10万バーツ程での分割返済を開始し借金を完済した。給与から損害を天引きされていた営業マンも、勤める企業から天引きされ続けていた全額が返却された。この営業マンとノムさんのつきあいは現在も続いているという。  ノムさんが日本の技能研修先として配属されたのは長野県松本市の花村産業だった。同社は金属材料販売、金属資源の回収再資源化、機械加工やアルミニウム合金製造などを手掛ける老舗の複合企業。約700度で溶けているアルミ材からインゴットを作るための注湯作業がノムさんの仕事だった。「残業が多く30万円以上もらえる月もあり、収入の7割を両親への送金や借金の返済にあてました。日本では仕事と勉強に明け暮れた日々でした」と振り返っている。

帰国してシーラチャで起業

日本での3年間の技能実習生を終えたノムさんが戻った先は、タイ東北部の実家でもバンコクでもなかった。イーサーン(東北部)出身のノムさんがタイで仕事する場所として選んだのはタイ政府が進めるEEC(東部経済回廊)開発地域のタイ東部のチョンブリ県シーラチャだった。「このあたりには日本企業が入居する大きな工業団地が多く、日本企業と日本人はビジネス相手として信頼でき、日本人は支払いを必ず守ってくれるという安心感がある。起業するにはここしかない」とノムさんは考えた。  2016年8月、ノムさんは奥さんの姉から2万バーツ(約7万円)を借りてシーラチャにレンタカー、健康食品販売のJRZ PROFESSIONAL CO.,LTD.を設立した。幸い、日本企業相手のレンタカー事業で利益を出せたノムさんは起業成功へのきっかけをつかんだ。  新車の3~5年間のリース、1万キロごとのチェック、メンテナンス、5万キロごとのタイヤ交換、事故や修理時の無料での代車提供といったサービスを充実させた。ノムさんはフェースブックで顧客を増やしていった。普通車の他、トラック、フォークリフト、移動式クレーンなど保有台数がすぐに数十台を超え「毎年3割以上の売り上げ増」(同)を続けた。  2020年のコロナ問題のまっただ中でも、いすゞの6輪トラックの新車6台を追加購入した。これはタイの日系大手部品メーカーと、26年まで6台のトラックのレンタル契約ができたことから急遽購入したもの。発注した日系大手の部品メーカーでは、コロナで先が見えない大不況の中、自社でトラックは買わずにレンタル契約で様子を見ようと考えたようだ。JRZプロフェッショナル社のレンタカー部門は6輪トラックを中心にトラック関係が20台ほど、フォークリフト5台、乗用車のレンタルもしている。

ペンキの製造販売も絶好調

軌道に乗せたレンタカー部門の経営については奥さんに一任、ノムさんはケミカル会社の各種溶剤やペンキなどの販売を開始した。ノムさんは大学卒業後にタイの華僑系の染色工場やケミカル工場でも働いたことがありケミカルに関心が高かった。そこで1年間働いてから退職した時、その会社が製造している溶剤の販売を開始した。このケミカル会社とノムさんは15年以上のつきあいがある。ノムさんにまだ支払い能力がない独立当初から、「社長は私に大量の溶剤製品を前金無し、半年後払いという好条件で渡してくれたので成功できた」とノムさんは感謝している。  営業力があるノムさんとケミカル会社との顧客がダブっておらず、ノムさんからの注文増を同社長は喜んだ。信頼関係が増し、力をつけ始めたノムさんはこのケミカル会社に出資して専用ラインも設置した。このケミカル会社はISO(国際標準化機構)の各シリーズが認証されタイのケミカル関係の各種許可も得ている。  ペンキ販売も軌道に乗せたノムさんは2018年10月にペンキなどの製造販売を行う新会社、ヤマモト・ペイント社を全額出資で設立した。ヤマモト・ペイント社のロゴもノムさん自身がデザインした。全額ノムさんの出資で資本的な日本との関係は無い。  ヤマモト・ペイント社ではこれまでにメインのペンキ以外も、鋳造、金属プレスの金型洗浄剤、錆止め剤、繊維を柔らかくするケミカル、消耗品などもタイの大手家電メーカーや米国の大手プリンターメーカー、日本の自動車組立メーカー向けもティア1(1次下請け)、ティア2(2次下請け)として納入しているが、すべてノムさん自身が開拓した顧客だ。  タイ資本の最大手家電メーカー向けに扇風機など各種の新製品のボディを塗るペンキの他、日系家電の顧客も獲得できた。16リットル缶入りペンキを月200缶、3トン契約が中心で、色は黒とベージュの注文が多い。「ヤマモトブランドは今後も急伸する」とノムさんは燃えている。

コロナで農畜産業参入を決意

学生時代から手掛けたさまざまな起業も、日本での技能実習先も、タイに帰国後の起業もほとんどが工業関係だったノムさんだが、このほど牧場経営に乗り出すことも決めたが、「コロナ」がきっかけだった。「コロナ」が蔓延した初期、自分の子供が食べたがった肉がどのスーパーでも売り切れて買えず、「では自分で牛を育ててみよう」と決断したノムさんは、出身地であるタイ東北部のカラシン県に50ライ(8万平方メートル)の土地を購入、2021年2月に農場建設を始める。「2021年中にも子牛をこの農場に入れ始め、3年後には全面的にオープンさせたい。もちろんこれまでのビジネスも続けるが、牛の肥育をメインとする農畜産業は今後の私のライフワークにしたい」とノムさんは張り切っている。

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E-mail : kenmazda9999@gmail.com

2020年12月1日掲載

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