タイ鉄道新時代へ
【第21回(第2部/第3回)】軍事目的だった「タイ・ラオス架橋線」
人口15万人にも満たないノーンカーイ県の県都アンプー。ここにある東北部本線の終着駅ノーンカーイ駅を出たディーゼルカーは、ゆっくりと速度を上げながら北北西に向けて進路を取った。目指すは1994年に豪州の支援を受けて完成した「タイ・ラオス友好橋」。歩行者通行禁止のメコン川に架かる自動車・鉄道共用の専用橋で、全長は1,170メートル。中央部には、真っ直ぐに伸びた1対のレール。タイ国鉄はこの場所で1日に2往復、ラオス鉄道輸送社からの業務委託を受け、ラオス唯一の鉄道駅ターナレーン駅に向けて2両編成の車両を運行している。マレー半島を縦貫するような観光鉄道としての華やかさも一切なく、市街地からも離れた寂しい場所で、どうしてこのような国際鉄道が敷設されるに至ったのか。(文と写真・小堀晋一)
メコン川を横断する国際鉄道「タイ・ラオス架橋線」は全長約6キロ。車両はゆっくりと10分以上をかけて橋を渡り、対岸にある相手国の寂れたホームに滑り込む。始発と終着の2駅だけ。鉄道ファンの間では「世界一短い国際鉄道」として知られている。タイ側ノーンカーイ駅では毎日2往復あるうちの各1便が、バンコク発着の長距離特急とそれぞれ接続。その時にだけホーム上のイミグレーションが窓口を開ける。そんな旅情に趣があるとして、外国人を中心に隠れた人気スポットとなっており、2014年には3万8,000人の旅人がこの場所を通過した。
とはいえ、観光資源がもともとあったわけではない。ノーンカーイなど荒れ地の広がる東北部(イサン)地方の、特に北方に近い辺境部では開発が遅れ、玄関口となるコーラート以遠では交通手段の主役を牛車が務める時代が20世紀初頭まで続いていた。近代化を進めるタイ政府は1900年、まずはバンコクからコーラートまでの鉄道を完成。次いで延伸先を検討したが、優先されたのは北方路線ではなく、周辺人口の多い東方ウボンラーチャターニーへの路線だった。
さらに、29年の世界恐慌、32年の立憲革命が追い打ちをかけた。前者は深刻な財源不足を引き起こし鉄道敷設計画は軒並み頓挫、後者は国防の見地から鉄道よりも機動力に勝る道路整備に重点が置かれることになった。こうして、イサン地方北方ウドンターニーからノーンカーイ方面に向かうルートの鉄道建設は、長らくその対象から外されることになった。
転機は戦後しばらくしてから訪れた。タイ政府は49年、向こう四半世紀で総延長を2倍強の6,000キロにするとした「全国鉄道建設計画」(41年策定)の見直しに着手。東北部本線ケンコーイ~ブワヤイ、ウドンターニー~ノーンカーイ、南部本線スラーターニー~ターヌンなどの区間について優先着工するとした。これにインドシナ半島の国際情勢が大きく作用した。第一次インドシナ戦争の勃発(46年~54年)、それに続くラオス内戦(53年~75年)であった。
フランスによる植民地支配の再来に反発したインドシナの共産勢力は、国際的な冷戦構造に乗じて勢力を拡大。50年代になると、ラオス北部にも進攻するようになった。これに極度に反応したのがフランスの要請を受けて介入を決めたアメリカだった。赤化が進めば、前線基地であるタイ東部などから軍需関連物資を大量にラオス国内にも運搬しなければならない。そのためにはメコン川河畔ノーンカーイまでの鉄道整備は欠かせない。こうしてアメリカは400万ドルの無償資金援助を実施。わずか1年あまりのうちにウドンターニーからノーンカーイまでの区間を開通させ、メコン川河畔の埠頭整備も終えた。
ノーンカーイから対岸のラオスに国際鉄道を敷設するという構想は50年代半ば、こうした状況下で浮上した。鉄道をノーンカーイ止めとせず、メコン川に橋を架けラオス国内まで延伸させた方が輸送率効率が上がるのではないか。戦局も有利に進められるのではないか。目的はもっぱら軍事利用だった。このようにしてタイ・ノーンカーイからラオス・ターナレーンを結ぶ国際鉄道の建設は次第に現実味を帯びていった。しかし、これに時のサリット政権が待ったをかけた。「メコン川に橋を架けると、共産勢力が橋を渡ってタイ国内に進攻するとも限らない」。こんな懸念からだった。75年にラオスで社会主義政権が誕生したことで、実現は一層困難となったと見られた。
国際鉄道実現に向けて再び大きく動き出すきっかけとなったのが、オーストラリアの支援を受けて建設が決まった「タイ・ラオス友好橋」の完成だった。両国政府が建設に合意、将来的なレールの敷設も約束された。タイ側が橋の中間地点まで整備を終えたのは2000年。一方のラオスは財源が捻出できず計画は大幅に遅れたものの、2009年3月にはどうにか開業にこぎ着けることができた。ラオス初の、メコン川を渡る初めての国際鉄道が完成した。
とはいえ、現在運行するのは旅客が1日に2往復のみ。ターナレーン側に貨物施設はなく、具体的な進捗計画もない。ラオス政府はターナレーンからビエンチャンを経由して中国雲南省方面に、また東に進みベトナム方面に接続させる計画も合わせ持つが、これがどれほどの実現性を持つかも定かではない。構想から半世紀以上。軍事目的から計画された「タイ・ラオス架橋線」は、今日も荒野にぽつりと佇みながら、歴史のあり様を我々に示している。(つづく)