タイ鉄道新時代へ
【第53回(第3部第13回)】ラーマ5世が視察したジャワ鉄道その4
幼名をチュラーロンコーン大王とした18歳の若き国王ラーマ5世(治世1868~1910年)は即位からわずか3年後の西暦1871年、欧米列強が支配するマレー、シンガポール、スマトラ、ジャワへの旅に出る。近代国家建設のための視察だった。その中で国王は、オランダがジャワ島で進める鉄道敷設事業に着目。入念な現地調査を行ったとされる。訪れたのは、すでに運行を開始していた中部ジャワの都市スラマンと建設工事真っ最中の首都バタビア(現ジャカルタ)だったとみられている。インドネシア・ジャワ島をめぐる鉄道の旅は2日目。東ジャワの中心地スラバヤを経由、ボロブドゥール遺跡のある古都ジョグジャカルタに向かった。(文と写真・小堀晋一)
長距離列車の発着地ジャカルタのガンビア駅を午後7時15分定刻に出発した一等列車「エグゼクティブ(インドネシア語でEksekutif)」のSEMBRANI(スンブラニ)48号は一路、ジャワ島第2の都市、東部スラバヤのスラバヤ・パサールトゥリ駅を目指した。運行距離約750キロ、翌朝までの10時間半の長旅だ。出発して間もなく、車掌が毛布(ブランケット)を配って歩く。早々に「寝ろ」ということらしい。日付が変わるまでまだあるというのに、物売りも全く姿を見せない。郷には郷に従うのが一番と、頭からかぶって寝息を立てることにした。
車内がにわかに賑やかとなったころ、自然と目が覚めた。だが、車窓の向こうにはまだ闇夜が広がっている。時計を見ると、ちょうど午前4時を指していた。どこかの駅に着く。降りる客がいるようだった。時間からしてスラマンは、とうに通過してしまったようだ。もう一度、毛布を頭からかぶる。次に目覚めたのは終着駅まで15分という場所だった。
時計の針は、間もなく午前5時半を過ぎようとしていた。窓の外ではうっすらと陽の光が街に差し込み、一日が始まろうとしていた。時折過ぎる踏切では、ライトを灯した無数のバイクが列をなし、早朝から列車の通過待ちをしていた。この国の人々も朝早くから家を出て、仕事に勤しむのであった。車内アナウンスが終着駅への入線を告げる。列車は、車輪の軋む音を上げながら大きく蛇行を繰り返した。最初の長旅が終わろうとしていた。
スラバヤ・パサールトゥリ駅は、スラバヤ市内を走るインドネシア鉄道の北回り線(北線)の終着駅。ここから西に首都ジャカルタには折り返し便は出ていても、南の古都ジョグジャカルタに向かう南回り線(南線)は存在しない。いや、正確に言えば、旧中心駅のスラバヤ・コタ駅(コタは都市の意)を経由してレールは接続されているのだが、相互乗り入れが行われていない。よって、南線の長距離列車に乗り換える乗客は、ここから直線で3キロ余り、タクシーなどで5キロ弱離れたマス川の対岸スラバヤ・グブン駅まで移動しなくてはならなかった。
乗り換え便の発車時間まで、まだ1時間以上もある。そう考えた記者(筆者)は、降車したスラバヤ・パサールトゥリ駅の構内周辺を歩いて見学してみることにした。
客引きがごった返す駅前では、降車した客が足早にバスや乗り合いバンなどに乗り換え、駅を後にしていた。一方、到着した列車の車内では清掃が行われ、折り返し便としてガンビアを目指す準備をしていた。一段高くなった乗降口には鉄製の簡易階段が置かれ、乗客の乗り降りを助けていた。一通り写真を撮り終え辺りが静かになると、記者も駅前のタクシーに飛び乗りスラバヤ・グブン駅を目指すことにした。
朝の渋滞はあったものの、目指す駅には15分もかからず到着した。「ここだろう?」と運転手が顎でしゃくる。ありがとうと、チップを込めて10万ルピア(約750円)を渡したが、嫌がる様子はなかった。まずは駅舎に入り、列車の出発時間と運行状況を改めて確認する。午前7時半発の一等列車「エグゼクティブ」ジョグジャカルタ行きSANCAKA(サンチャカ)83号。間違いない、これだ。サンチャカというのはジャカルタからの特急スンブラニと同様に特急列車の名称。駅員に何度も尋ねたが、残念ながらその語源は分からず終いだった。
まだ時間があるので、駅舎の外に出てみた。ちょうど駅前では二人連れの女性たちが、三角袋に入った弁当のようなものを売っていた。試しに買ってみると、サテーのような鳥串と炊き込みご飯のような餅米が入っている。うまい。前の晩から飲まず食わずの五臓六腑にしみわたった。
待合室では乗車時間が到来したことを告げるアナウンスが始まった。いよいよ出発だ。ここからは田園地帯を中心に約310キロ、5時間15分の鉄路の旅となる。到着時間は午後零時45分。インドネシアの長距離列車は、東南アジア諸国の中ではかなり時間に正確だ。車内はスラバヤ・パサールトゥリまでと同様に両側2列のリクライニングシート、ゆったりとした造り。昼間運行なので毛布の支給はないが、快適な昼寝は十分に楽しめそうだった。ジョグジャカルタまで、もうあと一息。(つづく)