タイ企業動向
第20回財閥の本丸タイの商業銀行その1
企業活動の血液とも言える存在、銀行資本。タイの場合、その多くの経営を一握りの華人が握り、血のつながりの下に巨大なコングロマリット(財閥)を形成しているのは知られた事実だ。ただ、誕生したのが比較的新しく、せいぜい数十年の歴史しかないことまでは意外と知られていない。渡航後わずか1世紀にしか足らない華人ファミリーが中心となって支配しているのがタイの銀行業なのだ。その目指すところは何なのか。連載タイ企業動向の今号からは、財閥の本丸中の本丸「タイの銀行業」を取り上げる。まずは、金融財閥形成の歴史と一大転換点となった1997年のタイ通貨危機まで。(在バンコク・ジャーナリスト 小堀 晋一)
1997年7月に始まったアジア通過危機は、当時高い経済成長を続けていた新興国のタイなど東南アジア諸国を直撃した。アメリカの機関投資家による通貨の空売りをきっかけに、影響は東南アジアほか東アジア一円にまで波及。主に外貨建て短期融資による資金調達が主流だったタイでは、瞬く間にバーツが暴落し、企業は資金ショートを引き起こして事業停止や倒産を余儀なくされた。
銀行本体への打撃も深刻で、多くの商業銀行で不良債権比率が50%を超え、自力再建を果たせない中位行以下の銀行などが政府の救済を求めるようになった。こうして買収、合併、精算の道を歩んだ金融機関は小規模も含めると100前後に上り、一気に金融界の再編が進んだのもタイ通貨危機の側面だった。
こうした未曾有の惨事にも、自らの力で再建を果たすことのできた銀行がわずかにあった。別表の上位6行だ。このうち、国営のクルンタイ銀行、王室財産管理局が株主のサイアム商業銀行(SCB銀行)、陸海空軍の互助組織から始まったタイ・ミリタリー銀行(TMB銀行)については設立母体の関係から比較的容易に立ち直りが図られたものの、バンコク銀行とタイ農民銀行、アユタヤ銀行の純民間3行は事業を縮小するなど身を切る思いでの再建となった。
現在、タイの市中銀行は最大手にバンコク銀行、次いでクルンタイ銀行、SCB銀行と続き、旧名のタイ農民銀行からCIで行名を変更したカシコン銀行、2013年に三菱東京UFJ銀行に買収されたアユタヤ銀行で上位5行を形成している。では、これら主要行はそもそもどのように誕生し、その地位まで上り詰めたのか。
タイ市場に金融財閥が本格登場したのは1940年代以降とかなり新しい。中国大陸の潮州や福建、梅州、海南島などから、後のバンカーとなる華人がはるばるタイに渡ってきたのは19世紀末から20世紀の初めのことだった。入植者1世は当初、港湾施設などの肉体労働で生計を立てた。その後、当時のタイの主力産業であったコメ産業や水運業、製材業、漢方酒製造業などの産業へと軸足を移し、財を築くようになっていった。
転機となったのは、戦時下のピブーンソンクラム政権が進めた「大タイ主義」だった。タイ民族の団結を優先に説くピブーン首相は、コメ産業などの主要産業からの華人資本の締め出しを決断。このため多くのこれら潤沢な資金が、まだ規制の緩かった金融や土地などに流れ込んでいった。戦後になっても産業復興のため、華人資本による金融市場への進出が奨励された。
こうして誕生したのが華人を祖とする民間銀行だった。44年設立のバンコク銀行、翌年のタイ農民銀行、アユタヤ銀行、48年のレムトン銀行、49年のバンコク・ユニオン銀行、50年のバンコク・メトロポリタン銀行などが一例だ。このうち、レムトン銀行など比較的後発組が多かった中位行は通貨危機で軒並み経営を悪化させ、後に大手行や外資に吸収されるなどして姿を消した。
華人資本の企業経営は、一族が主要ポストを独占する血のリレーにその特徴がある。銀行経営でもそれは変わらない。そのため、時に銀行は創業オーナー家の名で呼ばれることもしばしばだ。バンコク銀行のソーポンパニット家やカシコン銀行のラムサム家がその代表格。トップには今なお一族が座り、役員には子息が名を連ねる。アユタヤ銀行は買収により三菱東京系列となったが、創業家のラタナラック家が今なお株主名簿に名を残している。
その一方で、華々しく金融界にデビューを果たしたもののその後失速し、今では記憶に残るにすぎない華人財閥もある。酒造業から興ったテーチャパイブーン家はバンコク・メトロポリタン銀行を設立。一時はアジア銀行などを傘下に擁する主要金融財閥へと成長した。コメ財閥出身のワンリー家が創設したナコントン銀行も同様で、傘下に保険や不動産を連ねるなど事業を多角化していった。
だが、ともに通貨危機で経営は悪化。メトロポリタン銀行は同じ不良債権を抱えていたサイアム・シティ銀行と合併後にノンバンクに丸ごと買収された。ナコントン銀行も英スタンダード・チャータード銀行に身売りがされ、ともに現在は足跡さえ残していない。
タイの銀行業界は通貨危機後、再編を乗り越え、製造業やサービス業などへと事業を拡大し、生き残った者によって見事復興を果たしたとされる。しかし、その一方で、血族運営という前時代的な負の遺産を抱えたままでいるのもまた事実だ。世界市場がグローバル化へと向かう中で、この問題をどう解決していくのか。戦中戦後の黎明期、通貨危機、そして…。その第3幕が間もなく始まろうとしている。(つづく)