タカハシ社長の南国奮闘録
第58話 帰任
9月、私と同じタイミングでタイに赴任していた同志が帰国した。努力家で大胆、芯のあるとても素敵な人物だった。勤めていた現地会社は彼のおかげで大きく飛躍したと思う。会社のタイ人にも惜しまれての帰任となったに違いない。
「また帰ってきて一緒に仕事しようよ」と思う一方、「これで家族水入らず、日本の仕事に打ち込んでね」という気持ちもあって複雑だったが、定めである以上、快く送り出した。
同時に、ずいぶん前のことを思い出した。私は26歳から29歳までの3年間、ヤマザキマザックUK(イギリス)に出向という形でお世話になった。そこでの思い出は格別なもので 当時の出来事は昨日のことのように思い出せる。
若かったこともあり、仕事を覚えるのに無我夢中で、たくさん失敗して落ち込むことも多々あったが、その時も苦楽を共にする同胞たちがいて充実した日々を送ることができた。出来なかったことができるようになり、自信にもなった。先輩方には公私ともに可愛がってもらった。仕事は厳しく大変だったが、楽しくて楽しくてたまらなかった。言葉の壁もなんとか乗り越え、土日はゴルフやサッカー、夜はアイリッシュパブで先輩や同僚、職場以外の日本人、そして現地のイギリス人とも垣根なく交流した。
とにかく全ての経験が財産になった。帰任の直前に工場長より「もう2年、帰任を延ばしてもいいぞ」と言ってもらえたことは今でも私の心の支えだ。
帰任後、テクニアに戻り、3年後に社長に就任した。その7年後、リーマンショックで国内外が疲弊するなか、タイ工場をピントン工業団地に移し、本格的に関わることとなった。イギリスでの経験が、タイ工場運営のハードルを下げてくれていたのだと思う。
はじめのころはワクワクドキドキ不安満載、仕事も少なく前が見えない状態がしばらく続いていたが、共に戦う同僚や、同じように赴任して頑張っている現地法人社長、骨をうずめる覚悟の先輩経営者の方々と顔を合わせては、ため息ついてみたり、笑ったり、情報交換をしたり、日々起きる問題の解決方法を教え合ったり、そして夢を語り合ったりして前に進むことができた。
彼との思い出でいちばん印象に残っているのは、「現地スタッフを信じても信じても裏切られる」といって涙ながらにシーラチャまでやって来た彼と酒を飲んだことだ。いつもは気丈な彼も、その時ばかりは少しやけっぱちになっていた。半泣き怒り口調で「それでも信じて前に進むんだ!」と飲めないお酒を飲んで、ぐだぐだになりながらバンコクに戻っていった。あれから7年の月日が流れた。苦楽を共にした社員たちは、今では誰一人欠けること無く共に働いているそうだ。
時を同じくして戦ってきた仲間の帰任はやはり、心にグッとこみあげるものがあった。
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