タイ鉄道新時代へ
【第98回(第4部14回)】インドシナ・マレー半島縦断鉄道構想/タイ中高速鉄道3 ドンムアン
「インドシナ・マレー半島縦断鉄道構想」の中核に位置する「タイ中高速鉄道」は、始発駅のバンスー中央駅を発つとわずか20分余りで最初の停車駅「ドンムアン駅」に到着する。北北東にほぼ直線のこの区間約15キロは、タイ中高速鉄道と都市鉄道のレッドライン、さらにはタイ国鉄在来線が並走し、高速道路もそのすぐ脇を走る。眼下には1990年に事業認可されたものの、杜撰な計画から白紙撤回された香港企業による都市鉄道計画「ホープウェル計画」の残骸。いくつかは新線の建設に活用されたとはいえ、今なおところどころに傷跡を見せている。列車はこの新駅で空路を使った旅行客らの乗降を迎え、観光地の北部や東北部、さらには首都バンコクへと車輪を滑らせる。バンスー中央駅に次ぐターミナル駅としての期待が向けられている。(文と写真・小堀晋一)
ドンムアン駅の新旧駅舎は、格安航空会社LCC専用ターミナルが並ぶドンムアン空港の西隣に細長く立ち並ぶ。国際線が就航する北側の第1ターミナルに接続するのは、19世紀末に開業したとされる平屋の在来線駅舎。そして、南側の国内線第2ターミナルに専用ブリッジで渡ることのできるのが、バンスー中央駅と同様に21年8月に開業した4階建ての近代駅舎だ。2つの新旧駅舎を結ぶ専用通路は存在しない。もっぱら目的別に空港からの乗換客を対象としている。
在来線駅がいつ開業したかは分からない。ただし、タイ国鉄の記録にバンコク~アユタヤ間を国鉄車両が初めて運行した1897年3月26日にラクシー、ランシットなど9駅を走行したとあり、その中にドンムアンの名が含まれていないことからこれ以降とみられる。国鉄の内部では98年開業説があるという。
この空港接続駅が、空港の歴史と密接にあったことは想像に難くない。ただ、前身を「ドンムアン飛行場」と呼んだ同空港が正式に開港したのは第一次世界大戦が勃発する直前の1914年3月27日。開業後10数年間は周囲に何もない一田舎駅だったと想像される。ちなみに、タイ王国軍に飛行隊が置かれたのはその半年前。当時の飛行基地「サパトゥム飛行場」は現在のバンコク・ラチャダムリ通り沿いの競馬場ロイヤルバンコクスポーツクラブの一角にあって、ほどなく移転となった。
ドンムアン空港は、アジアで最古の空港の一つとされている。商業利用されるようになったのは24年。タイ王国空軍が単一の軍隊として独立する37年よりも以前のことだ。ドンムアンの名は、空港の近くにあったワット・ドーンイーイアオ寺の名称変更に伴い、付近一帯が同じ名で呼ばれるようになったため。「バンコク国際空港」と改称される55年まで、30年以上もその名で呼ばれていた。
乗換駅としての役割を課されたドンムアン駅だったが、その使命とは裏腹にダイヤは一貫して貧弱だった。最も運行頻度が高かったとされる80年代後半から90年代前半でも、終着のフアランポーン駅とを結ぶ「エアポート・エキスプレス」は一日わずか6往復。しかも所要時間は45分~1時間近くもかかった。長距離列車の運行の合間を縫うダイヤとしたことから、待ち時間などが生じただめだった。運賃は安くバックパッカーには好まれたものの、95年半ばには姿を消すこととなった。
次なる転機は21世紀になって訪れた。2006年9月、バンコク東郊にスワンナプーム国際空港が開港。ドンムアンに就航していた定期便はすべて新空港へと移転した。これに伴い、旧空港に置かれていた商業施設などは相次いで閉鎖。旅行者ばかりか勤務していた職員らも姿を消したことから、ドンムアン駅を利用していた乗降客はすっかりと絶えた。
ところが、それでは終わらなかった。間もなくスワンナプーム空港で手抜き工事や地盤沈下が次々と発覚。07年3月から旧空港の再利用が決定した。これに伴い空港名も旧称の「ドンムアン」が復活。11年の大洪水では最大で2メートルの冠水となった試練も乗り越え、12年3月からはLCC専用空港として国内線ターミナルも新たに整備されることになった。
ドンムアン駅では現在、スワンナプーム空港とラヨーン県にあるウタパオ空港の首都圏3空港を鉄路で結ぶ新たな高速鉄道計画が進んでいる。新駅舎の最上4階にはレッドライン、3階にはタイ中高速鉄道のホームが予定されていることから、ここに乗り入れするか、別に駅舎が建築される公算だ。駅開業から120年余り。アジア最古の空港駅の存在感が消えることはない。
バンスー中央駅については、10月1日付けでワチラロンコン国王が「クルンテープ・アピワット駅」と改称したとの報道があるものの、2日現在、タイ運輸省並びに国鉄からは正式な発表はない。(つづく)
2022年11月1日掲載