タイ鉄道新時代へ
【第20回(第2部/第2回)】タイ最古の現存鉄道区間バンコク~アユタヤ間
今から118年前の1897年3月26日。タイで初めてとなる官営鉄道の開通記念式典が、現在のバンコク・フアランポーン駅北側の敷地内で盛大に行われ、高らかに汽笛を鳴らした一番列車の蒸気機関車が71.08km離れたバンコク北方アユタヤの街を目指した。時は賢君とされたラーマ5世(チュラローンコーン大王)の治世下。国土の近代化を進めようとするタイにとって相応しい、時代の象徴となる出来事だった。タイの国鉄はこの後、1900年に東北部本線コーラート、1908年に北部本線ロッブリーまで延長するなど全域に拡大していく。東にフランス、西にイギリスという欧米列強の脅威を抱える中、独立を死守しようとするタイの防衛策でもあった。連載の今回は、現存するタイ最古の鉄道区間バンコク~アユタヤ間を紹介する。(文と写真・小堀晋一)
前回見てきたように、タイ最古の鉄道は、イギリス人とデンマーク人の技師たちが共同で免許申請し、1893年に開通したパークナーム鉄道(全長21.3km)だった。ところが、同鉄道は、サリット政権下の1959年末をもって国策により全線廃止となったため、現存する鉄道として最古の路線はパークナーム鉄道の4年後に開通した国鉄バンコク~アユタヤ間となる。
ただ、同区間は開通当時はバンコクとコーラート(ナコーンラーチャシーマー)を結ぶ東北部本線の一部区間として計画されていた。タイ初の官営鉄道としてバンコク~チェンマイ間の北部本線を優先すべきとの意見もあったが、全通まで時間がかかることが予想されたうえに、イギリスがビルマや中国雲南省から北部本線との接続を狙っていたことから、コラートまでの区間の建設を急ぐことになった。
バンコク~コーラート間の入札は1891年4月に行われた。イギリス企業とドイツ企業が入札に参加したが、最終的にイギリス企業に工事を委ねることになった。ところが、工事費の支払いや条件などをめぐってタイ政府との間でトラブルが発生。両国政府を巻き込むまでの事態となったことから最終的に契約はご破算に。途中からはタイ政府の鉄道局が主体となって建設を進めることになった。この結果、工事は大幅に遅れ、開通したのは着工から9年後のことだった。以後、タイ政府は外資に可能な限り頼ることなく鉄道建設を進めていく。
バンコク~アユタヤ間が東北部本線の一部として建設されはしたものの、現在の登記上の帰属はバンコク~チェンマイ間の北部本線となっている。一方、東北部本線の登記上の区間はアユタヤから先、バーンパーチー分岐~ノーンカーイ(この他にウボンラーチャターニー線やバイパス線がある)。いつごろからそうなったのかは、はっきりとは分からない。ただ、同区間は事実上、北部本線と東北部本線の共有区間として機能している。
開通当時、この区間には、バンコク駅、バーンスー駅、ラックシー駅、ラックホック駅、クローンランシット駅、チアンラック駅、バーンパイン駅、アユタヤ駅の8駅が置かれていた。現在、一等駅として特急列車などが停車するサムセン駅(バンコク都パヤータイ区)、バーンケーン駅(チャトゥチャック区)、ドーンムアン駅(ドーンムアン区)、ランシット駅(パトゥムターニー県タンヤブリー郡)などはまだ存在しなかった。一方、当時置かれた駅のうち、ラックホックとクローンランシットの両駅は、都市化が進んだ現在においても「停車場」の位置づけから変わっていない。
バンコク~ランシット間29.75kmは現在、複線化工事が完了している。その先、アユタヤを越え北部本線と東北部本線が分岐して別れるバーンパーチー分岐駅まで60.2kmは三線化工事が終わっている。バンコク~アユタヤ間は現在、北部本線と東北部本線が特急列車や快速、普通列車を合わせて1日44往復が運行するドル箱区間。国鉄も優先的に投資を進めてきた。だが、特別料金が発生する長距離列車がメインで、道路渋滞の混雑緩和のため快速や普通列車の運行が相次いで廃止されたことから、途中駅の利用客は落ち込んだままで回復の目処は立っていない。
バンコク駅を出発した列車は7kmほど北上すると、巨大な操車場を抱えるバーンスー駅へと到着する。駅前には1915年操業のサイアムセメント・バーンスー工場があり、今でも放置された巨大な煙突を見ることができる。60年代前半、都内の交通渋滞は踏切の多さにあると判断したサリット首相がフアランポーン駅を廃し、代わって「バンコク中央駅」としての機能を持たせようとしたのが当バーンスー駅だった。
さらに3.5kmほど北に進むと、今度は錆びた鉄骨をむき出しにした橋脚の足元をレールが走る区間に辿り着く。沿線に沿って不法占拠のバラックも立ち並ぶ。1993年に着手されたものの、通貨危機を経て98年に中止が決まった香港の開発会社ホープウェルによる「ホープウェル計画」の残骸である。2012年には一部構造物が倒壊し、線路を塞ぐ事故もあった。その途中駅ラックシー駅は、高速道路Don Muang Toll Wayと国道304号線が交差する辺りにある平屋駅。構内にはセブンイレブンが入居し、一面の赤色の屋根の駅舎はどこか田舎の風景を思い出す。踏切を渡って北西に進めばイミグレーションが入居する合同庁舎がある。路線番号52番のバスに乗って、ここを通過したことのある人も少なくないはずだ。
ドーンムアン駅は開業当初は存在しなかった。接続するドーンムアン空港の開港は1914年で、辺り一面は雑木林が広がっていた。かつては空港とフアランポーン駅を結ぶ「エアポート・エキスプレス」が1日6往復運行していたが、所要時間が45分かかることや休日は運休するといった使いにくさから需要が伸びず、スワンナプーム空港の開業とともに運行本数は減便されていった。現在はわずかに長距離列車と数便の普通列車が停車するのみである。
バンコク駅から30km。バーンスー駅から都市鉄道「ダークレッドライン」の延伸計画がある終着駅がランシット駅。県名もパトゥムターニー県に変わって視界も広がってくる。この駅から先が三線化区間。列車は速度を一気に上げて100~120kmで走行する。そのまま30kmほど進行すると今度はバーンパイン駅が見えてくる。2011年の大洪水でバーンパイン工業団地が有名となったが、もともとはアユタヤ時代に建造されたバーンパイン宮殿が駅名の語源。歴代王はチャオプラヤー川を臨むこの宮殿で避暑を楽しんだ。駅舎には王室用の待合室もある。
いよいよ列車は終着駅アユタヤへ。構内には給水施設など蒸気機関車の時代を思わせる建築物が当時のまま残されている。これまでの途中駅とは異なり、落ち着いた白壁の重厚感ある駅舎、木製の扉、欄干などが歴史を感じさせてくれる。駅前には、バンコクとは風貌の異なる可愛らしいトゥクトゥクが客待ちをしている。世界遺産の街アユタヤ。ここで、ゆっくりと旅を楽しむのも、まだ格別だろう。(つづく)