タイ鉄道新時代へ
【第45回(第3部第5回)】インドシナ縦貫鉄道構想その5
タイの首都バンコクから東に伸びるインドシナ縦貫鉄道(構想)は、最も長いミッシングリンク(不通区間)があるカンボジア国内を通過するとベトナム最大の都市ホーチミン(旧サイゴン)目指して一路走行する。周辺域も合わせると、1,000万人をはるかに超える人口を擁する南部の大商都。街は一気に賑わいを見せ、活気を放つ。かつても今も、ここが南北を貫く長いベトナム国鉄の最重要な帰着ターミナル駅であることに変わりはない。旧市名が今も残るターミナル駅サイゴン。今回からはインドシナ縦貫鉄道のベトナム区間を案内する。(文と写真・小堀晋一)
プノンペン近郊メコン川河畔のカンボジアの町クラチェは、ホーチミン北郊にある国境の町ロクニンからかつて鉄道の延伸が計画された田舎町。ベトナム区間のホーチミンからロクニンまでは一部を民間資本が負担、すでに1933年には鉄道が全通していた。当時、南部ベトナムの国境沿いの一帯は天然ゴムや木材の有力な産地で、当地を支配していたフランス資本がこぞって鉄道開発を進めようとしていたエリアだった。
ベトナムでの鉄道建設の歴史は古い。1884年にフランスが全土を支配すると、早くも翌年からサイゴン~ミト間で始まった。その約10年後には北部のハノイ近郊でも工事が開始され、19世紀末にはフランス総督ドゥメールによって「インドシナ縦貫鉄道計画」が立案された。ホーチミンから先カンボジアを経由してタイ領域に至るルートも前後して検討されており、このころカンボジア領内クラチェから北上して、タイ東北部のウボンラーチャターニーとを結ぶ路線の建設が有力とされていた。
ベトナムの人々から「南北統一鉄道」と親近感を込めて呼ばれるハノイとサイゴンを結ぶ国鉄南北線は、1910年までの間に南部サイゴン~ムオンマン、北部ハノイ~ヴィン間など3つの区間で順次開通。その後、第一次世界大戦の影響などで一時的に中断したものの、第二次大戦が勃発する以前の36年までには最後のミッシングリンクとして残っていたニャチャン~トウレン間でもレールが結ばれ、南北全長1,726キロ、全線メーターゲージ(1,000ミリ)軌道の長距離鉄道として完成した。
現在、この区間では1日あたり4往復の特急列車と1往復の普通列車を中心に運行がされている。最短の特急でも所要時間は29時間余り。夜行便は夜を2回経ないと最終目的地には到着しない。横になれる上下二段式ベッドの寝台車両もあるものの、ベトナム人の体格向けに設計がされており、日本人であってもかなり窮屈な感じ。それでいて料金は、高速バスや格安航空会社(LCC)よりも割高だというのだから、ビジネス用には全く向かない。観光用や住民の足として運行されているのが実態である。
最南端の発着駅サイゴンは、往時の旧市名を今も駅名に残している。タンソンニャット国際空港から直線で5キロもなく、国際河川港までも近い市街地にある。周囲には、ベトナム戦争を綴った戦争証跡博物館や、フランスによって建築され当時の総督が利用した旧ノロドン宮殿、各種ショッピングパークなどが広範囲に点在する。旧ノロドン宮殿はベトナム戦争当時、南ベトナム大統領官邸としても使用されており、「首都」であったサイゴンが「陥落」したことでも知られる場所だ。現在は「統一会堂」として一般開放されている。
ここに、2階建ての駅舎と、単式と島式から成る3面6線のホームを持つ地上駅のサイゴン駅がある。駅舎の1階中央部にはコの字型の乗車券売り場があり、番号札による順番を待つ多くの乗客でごった返す。列を成す人々は午前中のピーク時には数百人規模にも。切符の購入だけで一苦労だ。インターネットによるチケット販売も行ってはいるものの、決済用のクレジットカードがベトナム国内発行のものに限定されるなど支払方法に制限があり、事実上、外国人旅行者は締め出されているのが現状である。記者(筆者)も当然のように列の最後尾に加わった。
サイゴン発ハノイ行のSE6便列車は午前9時の出発だった。車内で翌朝を迎え、終着駅到着は翌日の夜7時58分の予定。35時間も乗車することになる。日本にはこれほどの長距離列車はなく、改めて南北に長いベトナムを実感した。客車は、一般座席車両であるハードシート、ソフトシート、3段寝台のハードベッド、2段寝台のソフトベッドの4区分。順に「快適さ」が増していく仕組みとなっており、ひ弱な記者は2段寝台のソフトベッドの上段を指定。支払った運賃の総額は139万9,000ドン(約6,700円)だった。
出発はほぼ定刻どおり。中国製ディーゼル機関車D19E型が牽引し、ゆっくりと列車が動き出す。車掌に聞くと客車は全15両編成というが、番号が抜けていたり、割り込む形で連結されている車両もあるようで正確な編成は分からなかった。出発後、間もなくは一部区間で住宅地の軒先を通過するらしく、これら市街地を抜けるまではせいぜい時速20キロ以下のゆっくりとした運転だった。
メーターゲージの車両のためか、日本国内の新幹線などと比べると車内もこじんまりとした印象を受けた。ソフトベッド席は4人定員の個室となっており、他の3人は全員が単身のベトナム人男性。発車後間もなくは関心と興奮もあって車窓を楽しんだり車内を散歩したりしていたが、次第にそれらも飽きると自室(2段ベッドの上)での籠城に。締め切り間もない溜まった原稿をひたすら処理するだけの旅となった。翌朝未明はダナンの街へ。(つづく)