タイ鉄道新時代へ
【第50回(第3部第10回)】ラーマ5世が視察したジャワ鉄道その1
北部、東北部、東部、南部の主要4路線に、総延長4,041kmを誇るタイ国有鉄道。その第一歩が、今から120年余り前の1897年3月26日、中部アユタヤを目指したバンコク発の蒸気機関車だったことは本連載の冒頭で紹介した。富国強兵を進めるラーマ5世(治世1868~1910年)によって鉄道の建設が推進され、タイは次第に国力を増していく。鉄道の敷設は近代化へのステップでもあった。国王がここまで鉄道建設に強い意欲を示した背景には、実は自身の目で直に触れた貴重な体験があった。当時オランダ統治下だったインドネシア・ジャワ島。国王はここを自ら訪れ、その巨大な構築物を目の当たりにしていた。国力の差をまざまざと痛感させられたとみられる。連載企画は今号から舞台を移し、ラーマ5世が視察したインドネシアの鉄道事情をお伝えする。(文と写真・小堀晋一)
今から約150年前、西暦1871年のことだった。インドネシア・ジャワ島。ここに即位から3年となる18歳の若きラーマ5世の姿があった。シンガポールを経由し、同島まで2週間余り。その主たる目的は、西洋列強のオランダが建設を進めていた「鉄道」を視察することにあった。
国王はその運行する様子や建設現場を自身の両眼で捉え、驚愕したに違いない。自身の背丈よりもはるかに大きな黒光りする蒸気機関車。どこまでも続く2本のレール。連結された複数車両の貨車には、これまで考えもしなかった多量の物資や人が積載可能。国境の防備に、兵士や食糧の輸送に、国民の暮らしに、欠かすべからざる力の源泉。そんなふうに映ったと考えられている。
ジャワ島で鉄道建設に従事したのは、オランダ東インド会社が事実上母体となった蘭印鉄道会社。1867年8月、中部の港町スラマンから南のタングンまでの間約25kmで運行を開始した。当時の日本は、江戸幕府の第15第将軍徳川慶喜が大政奉還に応じ、ようやく明治へと元号が変わろうとしていたころ。新橋~横浜間に日本の鉄道が開業する5年近くも前に、ジャワ島では文明開化の象徴が産声を上げていた。
蘭印で初めての鉄道はその後、タングンから南東に進路を取り、70年には中部ジャワ州のソロ(スラカルタ)までの約109kmが開通。さらに南西に延伸を続け73年には後に世界遺産の町で知られることになる南部沿岸の古都ジョグジャカルタまで到達、列島縦断に成功した。現在のジョグジャカルタ線の一部がこの路線にあたる。
ほぼ同じころ、西の拠点バタビア(現在のジャカルタ)でも鉄道建設が始まり、73年にはバタビア南部の都市ボゴールまでの約55kmが開通。これ以降、鉄道網はジャワ島全域に急速に拡大していく。84年には後のアジア・アフリカ会議の会場となるバンドンまで延伸されたほか、88年にはジョグジャカルタから東部スラバヤまでが鉄路で結ばれた。93年にはバタビアからスラバヤまでのジャワ島縦貫鉄道も完成。19世紀末までにその総延長は約3000㎞に達し、東南アジア有数の鉄道敷設地域となった。
ジャワ島での鉄道建設では当初、欧米などの大陸で主流の標準軌(1435mm)が採用されていた。だが、費用が重なるうえに山がちな地形でそれほど速度も出せないことから、バタビア~ボゴール間の建設以降は日本と同様の狭軌(1067mm)へと変更となった。すでに完成していたソロ~ジョグジャカルタ間などでは、相互乗り入れを可能とするため三線軌条化された区間もあったが、徐々に改軌が進められていった。
インドネシアの北西に位置するスマトラ島でも鉄道建設は進められた。ただ、ジャワ島の半分以下の人口や、島の多くがジャングルで覆われている地理的特性から全島的な開発は行われず、北部メダン、中部パダン、南部パレンバンを中心とした局地的な開発と運行にとどまっている。
このうち、北部では1877年に島最北端に向けて走る軍用目的のアチェ軽便鉄道(軌道750mm)が開通されたものの、現在は運行を取りやめている。今なお運行を続けているのはメダンから南東に約260kmの距離にある北スマトラの内陸都市ランタウ・プラハットまでの一部の路線などだ。一方、パダンやパレンバンでは鉱山と港湾施設とを結ぶ区間が中心となっており、運行しているのはもっぱら貨物車両。需要を考えれば、今後も旅客開発が進む可能性は低いとみられている。
周辺の離島でも、鉄道建設は行われた。ジャワ島スラバヤの北にあるマドゥラ島では、建設初期のちょうど一時期、蘭印鉄道会社によって短い区間であるものの鉄道の運行が行われた。小スンダ列島の北に浮かぶセレベス島(スラウェシ島)でも20世紀の初頭、蒸気機関車が物資を運んだが、間もなく廃線となっている。
太平洋戦争時、インドネシアの鉄道は旧日本軍に接収されたものの、戦後の独立を経てからは国有化され、現在に至っている。1999年には政府が出資するインドネシア鉄道会社が設立され、上下分離方式での運行がなされるようにもなった。しかし、近年は高速道路網の整備などからトラックやバス輸送にその地位を奪われ、鉄道利用者は予想以上に伸びていない。政府は高速鉄道や地下鉄の建設などを進めているが、工事の遅れもあって復権はまだまだだ。
ラーマ5世がジャワ島を訪れた1871年は、中部スラマンで運行が開始され、首都ジャカルタで工事が始まったちょうど鉄道建設初期のころと重なる。単なる視察にとどまらず、体験乗車できたのかどうかといった詳しい記録は残っていないが、国王は十分にその肌と目で西洋文明の威力を感じ取ることができたはずだ。タイの近代化に深く関わった鉄道建設。そのルーツは、意外にも近隣のインドネシア・ジャワ島にあった。(つづく。次号からは搭乗記)