タイ鉄道新時代へ

【第59回(第3部19回)】タイからビルマへ。鉄道輸送等をめぐる旅その1

タイや周辺地域の鉄道史を通じて、当該地域の近代化や今後の展望などを鳥瞰していく本連載は、今回から新テーマ。一連の民主化後、東西経済回廊、南部経済回廊、アジアハイウェイ構想などによって、否が応にも結びつきが強まっている西隣のミャンマー(ビルマ)を取り上げる。隣国ではありながら、戦後は長期の軍事独裁などで事実上の鎖国状態にあり、最も開発が遅れてきた。ところが、それ以前の戦時下にあっては、タイからビルマに至るルートは旧日本軍が総力を挙げて鉄道など輸送路の建設を目指した場所でもあった。タイに進出した日本将兵が目指したかつてのビルマ。そこには何があったのか。(文と写真・小堀晋一)

真珠湾攻撃と軌を一にして実施された旧日本軍のマレー進攻作戦。その指令が大本営から南方軍に対して下されたのは1941年12月8日未明のことだった。当時、近衛師団の主力約1万5000人は仏印カンボジアのシエムリアップなどトンレサップ湖周辺にあった。午前1時半、第15軍に同作戦命令が下達。自動車化歩兵師団だった同師団は国境の街ポイペトからタイ側のアランヤプラテート(サケーオ県)へと進軍し、プラチンブリーを経由してバンコクに向かった。23日にはプノンペン~バンコク間の国際鉄道も自らの手によって開通させ、輸送を後押しした。

マレー進攻作戦は、バンコクを経由してマレー半島を目指す近衛師団のほか、タイ南部の中継地に輸送船で上陸後、鉄道や自動車に乗り換え、南下する部隊もあった。このうち、同じ第25軍に所属する第5師団約1万6000人は、南部ソンクラーやパッタニーなど深南部の3カ所に分かれて上陸。飛行場を占領する一方、マレーへと進んだ。作戦終結後は、第15軍の指揮を離れ近衛師団とともに第25軍の配下に復することとなっていた。

ソンクラーやパッタニーより北、プラチュアップキーリーカンから南部ナコーンシータマラートにかけての4カ所に上陸を果たした部隊もいた。後にビルマ国内でのアキャブ作戦などに従事することになる第15軍隷下の第55師団(司令官・飯田祥二郎中将)。だが、その目的と使命は近衛師団や第5師団とは少しばかり異なっていた。タイの安定確保とビルマ攻略作戦の遂行。特に後者が、同師団が課された密命だった。

四国4県を徴兵区とする第55師団は香川県善通寺市で編成された。太平洋戦争とともに南部戦線に動員され、開戦前夜の師団主力はタイに向かう仏印にあった。これとは別に先遣隊を務めたのが徳島で編成された歩兵第143連隊(連隊長・宇野節大佐)の約6800人で、主力より一足早く海路でタイ南部を目指していた。

宇野支隊は6隻の輸送船に分乗し、4カ所ある上陸地点のうち最も北にあるプラチュアップキーリーカンから順次南に分散揚陸を続けた。最初の1隻がプラチュアップキーリーカンに接岸したのは午前4時20分。後のクラ地峡鉄道の起点となるチュムポーンには同5時に到着。2隻に乗った約2200人が上陸し、その後、スラーターニー、ナコーンシーラマラートでも同様に日本軍が丘に上がった。

上陸した日本軍は、各地でタイ陸軍や地元警察との小競り合いに巻き込まれた。タイ国内通過の承認を求める日本側と、仏印国境方面に出張に出かけたピブーンソンクラーム首相との連絡がつかず、タイ側の攻撃回避の指示が遅れたことが主な原因だった。マレー半島上陸7地点での死者は合計222人に達したが、戦闘は数日後には終結した。

11日。南方軍は新たな作戦指示として、ビルマ南部の航空基地を占領するよう第15軍に秘密命令を下す。マレー進攻作戦を進めるにあたり、ビルマ国内にある飛行場からの英軍機の来襲を防ぐのが目的だった。最大の標的地はラングーン(現ヤンゴン)の東南東約150キロにある同国第3の都市モールメン(現モーラミャイン)。この年に整備されたばかりの英航空軍の前線基地があった。

同じころ、ビルマ南部のボックピアン飛行場でも占領作戦は実行されていた。命令下達の2日前、宇野支隊はチュムポーンからクラ地峡を越え、ラノーン県クラブリーに向かった。対岸のビルマに渡り、ビクトリアポイント(現コータウン)を占領するのが目的だった。14日には無事占領を終え、ここから150キロ以上北にあるボックピアン飛行場をさらに目指した。陸上道路は整備されておらず、海からの北上となった。

この時の、ビクトリアポイント進軍が、ビルマにおける日本軍の初めての占領となった。また、将来における軍需鉄道としてのクラ地峡鉄道の可能性についても、この時、初めて検討がなされた。膠着する中国戦線にあって、蒋介石国民党政府を援護する連合国側のビルマと中国昆明を結ぶ「援蒋ルート」は何としても絶たなければならない補給路だった。密命を受けた第15軍はこれ以後、鉄道や道路などビルマ攻略のための様々な輸送路建設を模索していくことになる。(つづく)

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