泰日工業大学 ものづくりの教育現場から
第22回 『クリサダー学長に聞く タイの教育事情とTNIの試み』
タイでのものづくり教育を進める私ども泰日工業大学(TNI)の例をもとに、中核産業人材の採用・育成について検討します。今回はクリサダーTNI学長に「タイの教育事情とTNIの試み」を聞きます。日本人が知りたいタイの大学の特徴や、なぜTNIをつくったのかなど、踏み込んで話してもらいました。同学長は春の叙勲で旭日中綬賞を受けることが発表され(下記コラムご参照)、この8月在タイ日本大使館で正式に授与されます。
王・長嶋・大鵬・玉子焼き時代に留学
-まず日本とのかかわりを含めて、簡単に自己紹介をお願いします。
クリサダー(K):日本との縁は、バンコクの名門校のトリアムウドム・スクサ高校で文部省奨学金を得たのがはじまりです。1969年に訪日し、千葉大留学生課程で、日本語、教養などを1年間学びました。そして1970年(S45年)から1975年(S50年)まで京都大学で電気工学を修士まで学びました。
大学入学時は学生紛争の頃で、最初の半年は休み、独習という時代でした。電気工学を専攻したのは、ソニー、松下(パナソニック)、三洋などが世界で評価された時代の影響です。当時日本は、自動車はこれからという状況でした。
その時の日本の印象は、王・長嶋・大鵬・卵焼きの時代で経済成長時のすべて良い時代でした。修士までは奨学金を貰えたので、1975年にとりあえず帰国し、日系会社就職も考えましたが、学問をやりたい希望もあり、さらに勉強の可能性を追求して、大学の仕事を考えました。そしてチュラーロンコーン(=チュラ)大で電気工学を教えるポジションを得ました。結局、ずっと教育の仕事になりました。
チュラ大に勤務する傍らTPAに協力
-TPA(タイ日経済技術振興協会)になぜ協力?
K:70年ごろのタイの反日運動の結果、スポンTNI理事長らにより、JTECS(日・タイ経済協力協会)その他日本の関係機関の支援を受けてTNIの親団体のTPAが73年に設立されました。私は、大学の仕事の合間にセミナーを担当したり、工業計測プロジェクトや技術情報センターの仕事、時にVE、省エネ、品質管理などのセミナー通訳や翻訳の仕事をしたりしました。TNIの学長になる前はTPAの専務理事の仕事をしていました。TPAのコンセプトの日本の技術移転・普及に賛同していましたし、マイコン、PLCプログラミング、オートメーションなどの本をいくつも翻訳しました。
チュラ大には76年から2006年までの31年間勤務しました。この最後の時期にJICAのアセアン工学系高等教育ネットワークプロジェクト(AUN/SEED-Net)の事務局長として、2年間国際学術交流に努めました。アセアンの8カ国を訪ね、特にCLMVなど後発アセアン国の工学の重要性と教育システムの違いを認識し、日本だけでなく、アセアン諸国で博士課程を学習できる先生の教育に努めました。今は第3期になり、工業分野、電気、コンピュータ、土木段階から、素材、環境、エネルギー、災害などのテーマに移り、特にフィリピン、インドネシアにおける地震・台風・津波の共通課題など卒業生を含む産学連携、学際的な取り組みが重要になっています。
タイの産業に実践的に役立つTNIの設立
-なぜTNIの設立を考えましたか?またどのように実現しましたか?
K:「タイの産業人材の課題は一般労働者と中核人材不足である」とよく言われます。TNIの使命は、産業の中核人材を供給することで、技術大学の設立はTPA設立当時からの念願でしたが、お金がありませんでした。その後、バンコクから北へ100キロ先、ナコンナヨックに土地を買いましたが、バンコクから遠く、TPA設立30年が経った2005年ごろ、3.5億バーツの初期予算で今のTNIがあるパタナカーン・ソイ37-1の土地・建物などの手当てをしました。
当時一番困ったのは優秀な先生を集めることで、ポーンアノン副学長(東北大・一橋大出身)、バンディット副学長(東工大出身)、私と同じ京大出身のランサン経営学部長や、工学部のトライシット副学部長(東京大出身)などTPAから30人ほど集めました。語学・教養課程部長のワンウィモン先生(大阪大出身)もその一人です。
TNIにとって良かったのは、JCCB (バンコク日本人商工会議所) と大使館のご協力・支援を得たことです。当時の時野谷大使や小林大使にお世話になり、「泰日」の名前を許諾いただきました。JCCBには、機材支援、奨学金、卒業生の就職などのご協力をいただいています。
TNI草創から成長へ
-設立当初は、3学部4学科+1大学院課程で出発しましたが?
K:自動車工学・生産工学に加え、希望が多い情報学部や経営学部を開設しました。理工系に加え、日本語・経営学(BJ)は、JCCBや日系企業の役に立つということで、これまでのチュラ・タマサートなどの文科系の日本語では通訳か秘書業務主体でしたが、TNI出身者は会社の各部門に配属されるようになりました。TNIでは日本語に加え、自分の専門を学ぶ意義を強調しています。
工業経営学(IM)も、直接ものをつくる技術とは言えないかも知れませんが、PM(生産管理)、QM(品質経営)、トヨタのものづくりなど、日本のものづくりの考え方を学びますので、すぐに工場に入り、即戦力になります。さらにマルチメディア(MT)など漫画やアニメを勉強したい学生も対象にして、いまは14学科+5大学院課程があります。さらに今後は、エネルギー、電気自動車なども考えたいと思います。
こうして大学資産は、当初の3.5億バーツから8億バーツになりました。当初民間銀行から借り入れましたが、今は教育省から補助してもらい、D棟を建設していて、建物面積は2万平米になります。学生在籍数は、初年度の433人から、4,394人になり、さらにあと5年ぐらいは、5,000人体勢にして継続する予定です。
今の課題は、実験室と研究体制で、さらに単科大学的インスティチュートから総合大学へなること、また今の土地は高度制限があり、10階建てなどはできなく、他に場所を確保する必要などです。日本の高等教育機関もアセアンやアジアに拠点をもちたい今日、日本の大学などとの交流も45機関(グループ)と協定を結びましたが、学生・学術・研究開発など相互協力をさらに強化したいと考えています。
タイの大学とTNI:TNIは小さくても光り輝く大学を目指す
-タイの大学とTNIの特長を教えてください
K:タイの大学数は総計で170を超えていますが、このうち国公立大学が過半の100ほどあります。名門のチュラ、タマサート、マヒドン、チェンマイ、コンケンなど30、さらに教員養成を目的としていた40のラチャーパット大学、工業大学・工業専門学校前身のラチャーマンガラ(=ラチャーモンコン)9校、10-20のコミュニティ大学です。私立は70ほどありますが、最初の私立大であるバンコク大、国際課程とビジネスで有名なアサンプション大(ABAC)、タイ商工会議所大(UTCC)、スィーパトム大、カセームバンディット大、ランシット大など1万人以上学生がいる大学は10校ほどで、大部分は規模の小さな大学で、文科系が多いようです。産業教育、職業教育という観点からは、残念ながらすべてが社会の需要に応えられていない状況です。
この中で、TNIは小さくても光り輝く大学を目指します。日本と日系企業に関わり、ものづくりや、技術移転、学術交流に深く関わりたいと思っています。今では、TNI生は日本の環境に習熟・適応が早い、日本人との研修経験が多いなどで日系企業やタイ企業の評価を得ていますが、将来さらに、デザイン、メディア、ヘルス・サイエンス、食品なども対象にして、日本の技術や日本に詳しい、日本と直結という強みを強化したいと思っています。
聞き手・編集:吉原秀男(Yoshihara Hideo) 泰日工業大学(TNI) 学長顧問