タカハシ社長の南国奮闘録
第67話 アメリカでの挑戦第67話 アメリカでの挑戦
アメリカのウエストバージニア州・チャールストンにマーケティングリサーチのための営業所を出した。JPN Precision LCCという社名は、テクニアのお家芸である日本の精密部品加工に由来する。残念ながらTEKNIAという社名はアメリカではすでに使われていた。
出店した最初の目的は、航空機産業への直接参入だ。当地にはボンバルディア、プラット&ホイットニー、ロッキードマーティンなどが存在する。
しかし、いずれもメンテナンス工場であり、サプライヤーとしてできることは限られている。可能性のあるものもあったが専門分野ではなく、弊社にとってはかなり無理があった。結局、空振りに終わり、いったんマーケティングの視点を変えなければならなくなった。
ウエストバージニア州はもともと炭鉱で栄えていた。しかし近年、その炭鉱も下火となり、支える産業がケミカル系にシフトしていた。炭鉱であればまだしも、ケミカルで機械加工の依頼は稀だ。炭鉱が栄えていた頃には機械加工屋がいくつか存在したようだが、今残されている町工場的な中小企業は、アメリカンサイズの巨大な建機用の部品を主軸としている。精密というより大きさ勝負で存在感を示している。
これもまた全く歯が立たない。そこで、マーケティングの視点を自動車産業に移すことにした。北米の自動車産業における今後の見通しが明るいからだ。
日本やタイで生産した製品を輸出できないか? と考え、始めは量産よりも利益率の高い単品試作ものを狙って営業を仕掛けた。設備の整った現地の研究機関と協力する態勢も出来上がった。しかし、それに合った仕事の量はあまりに少なく、やはりマーケットはマスプロダクションになる。
次に試みたのは、日本の優れたアイテムの輸入販売、またアメリカで発売されて日本にはまだ入ってきていない新しいアイテムを輸出することだ。
現在、目ぼしい商品が見つかり、これからいかに進めていくかを検討し、試していくことで必ず結果が出せそうだ。そうなれば、とりあえず足元を固めることができ、知っていただくことができる。
そして数年後の計画は、タイと同じく量産と小ロットの仕事をバランス良く受注する生産工場を立ち上げることだ。
テクニアは元々、自動車には不向きであった。しかし、お客様に育てていただき、日本でもタイでも数十万個という単位のマスプロダクションをしっかり納入できるようになった。これはタイで自動車量産のお声がけをいただいたことに端を発し、親父と弟がタイの土地を愛し、タイの人たちに愛されたことから始まったストーリーである。
それと同じくアメリカ出店からの1年半は、現地の人に愛され、人とのつながりを築いてくれた駐在者たちの功績だ。
タイでの事業は、僕の社長業においてたくさんの体験と学びになっている。