巨龍中国といかに向き合うか 変貌するメコン経済圏
ファーウェイ(華為技術)やアリババグループ(阿里巴巴集団)といった中国のIT大手はタイ政府が強く期待しているタイでのIT(情報技術)人材育成に応えるという報道を読みながら、かつては日本がタイでの人材づくりを担っていたが今やそのお株も中国に奪われる時代になったと考えていたところに、タイ政府の投資委員会(BOI)への外資投資で2019年は初めて中国が日本を上回る1位になったというニュースが飛び込んできた。
ウィクロムCEOの見解
去る1月にこれまで数十年に渡って親しくしていただいているアマタ・コーポレーションのウィクロム・クロマディット(Vikrom Kromadit)CEOから2人だけの昼食に招かれたが、1時間以上の食事中に世界情勢にも詳しく多数の著書や世界の時事問題で定例の解説番組も持つウィクロム氏は「中国が世界の超大国に平和的になる動きはもはや誰も止めることは出来ない」「世界中のハイテク企業を買収してきた中国は技術も簡単に素早く手にできるようになった」「今後も私は中国の高い潜在能力を信頼している」などと断言した。習近平国家主席自らが先頭に進めている「一帯一路」は「1.4兆米ドルという世界最大のプロジェクトで、日本も含む国際的な協力体制もできたのでタイにも大きな影響を与える」とウィクロム氏は感じている。 ウィクロム氏は「中国、日本、インドとASEAN各国の経済開発が一丸となったことを背景に世界からのアジア投資が加速してきた。(とりわけ中国で反日運動が激しかった2005年頃から)私は日本と中国は仲良くすべきだと大声で言い続けてきた。両国は世界の経済大国であるだけでなく、好戦的ではない国であることでも共通している。その両国が親日的なASEANで協力を進めることの重要性を最初に言い出したのは私だ」と自負するウィクロム氏のもとに、最近、タイで日中の経済協力関係を増やすことを考える各界の日本人トップの訪問が増えている。 華人系の血もひくアマタ・コーポレーションのウィクロム創業CEOだが、もともと中国贔屓(ひいき)で、大学は台湾大学だった。台湾での大学生時代からビジネスを開始、工業団地をビジネスにするアイデアも台湾留学で知り合った台湾人から当時の台湾が初の輸出加工区を開発して成功している情報を得たことで、タイに戻ってからは現在の「アマタシティ・チョンブリ」付近で台湾企業を狙った工場団地を造った。しかしそこには狙っていた台湾から1社も進出せず、投資を約束してくれていた台湾企業も中国に進出してしまった。そこでウィクロム氏は、当時、急速に進み始めた円高問題の回避地を求め始めていた日本企業の誘致に対象を変えたことがその後のウィクロム氏の工業団地ビジネスの大成功に結びつくきっかけとなった。
中国を意識した工業団地
1987年以来、工業団地の開発運営を進めてきたアマタ(AMATA)コーポレーションのウィクロム氏は、これまでにタイに2か所、ベトナムに1か所の大規模工業団地を開発、運営しているが、ベトナムのドンナイ省で長年にわたりマスタープランを眠らせてきた2つめの工業団地「アマタシティ・ロンタイン」もようやく着工、ベトナム最北部のクアンニン省ハロン市でも「アマタシティ・ハロン」に着工、「今後、日本の大手と各種の提携をしながら開発を進めたい」などと語った。 今年1月、ミャンマー建設省DUHD(住宅開発局)との合弁事業「ヤンゴン・アマタ・スマート&エコ・シティ」を正式契約、ミャンマーでも初の「アマタシティ」の建設事業も具体的に着手した他、「ラオス最北部の中国国境にも新たな工業団地を造る」とウィクロム氏は明らかにした。このためアマタ・グループでは近い将来にメコン河流域地帯に計7か所の工業団地を持つことになるが、かつての日本企業中心の進出誘致からベトナム最北部の「アマタシティ・ハロン」が中国からの企業進出を狙うなど新たな「アマタシティ」造りは中国を意識した計画になっている。
ヤンゴン近郊の開発も始動
アマタ・コーポレーションでは同社にとってミャンマー初の工業団地となる「ヤンゴン・アマタ・スマート&エコ・シティ」をミャンマー最大都市であるヤンゴン市中心部の北東部、ヤンゴン国際空港からは10キロほど北のヤンゴン管区内での開発を始動させた。 2020年1月24日、首都ネーピードーのホテルにミャンマー側からハン・ゾー建設大臣、チョー・リン建設副大臣、ミン・テインDUHD(建設省住宅開発局)局長、アマタ側からはウィクロム・クロマディットCEO、ヤンゴン・アマタ・スマート&エコ・シティの筒井康夫MDらが出席し、DUHDとの合弁契約、DUHDとの借地契約の締結式を行った。 「ヤンゴン・アマタ・スマート&エコ・シティ」開発プロジェクトは2014年からフィージビリテイ・スタディ(市場化可能性調査)を開始、2017年5月にヤンゴン管区政府と共同開発事業の覚書を締結した時には約64平方キロメートル(1万6,000エーカー)を事業予定地にしていたが、2019年1月からヤンゴン管区政府に代わって中央政府案件となり、窓口が建設省傘下のDUHD(住宅開発局)になり、同省の要請で2,000エーカー(約8平方キロ)の開発事業に変更した。 そして2019年8月末に基本同意書を締結、同面積での事業として同年10月にMIC(ミャンマー投資委員会)に認可された。今後同開発面積による事業が順調に進んだ場合、当初の64平方キロまで拡張できる可能性が残されているとアマタ側では理解している。参考までに、ミャンマーで日本が開発してすでに100社以上が進出して成功しているヤンゴン郊外のティラワ工業団地ではこれまでに約5平方キロ(500ヘクタール)が開業中。
「ダウェイは忘れた」
「中国はミャンマーを800キロ斜めに縦断してインド用へのゲートウエイを確保しようとしている。ミャンマーの中国国境には過激派の少数民族との紛争を多数抱えてはいるが経済発展すればこの問題も無くなっていく」とウィクロム氏は考えている。 ウィクロム氏は10年近く前からタイのカンチャナブリ県西のミャンマー国境であるプーナムロン(ビクトリアポイント)からミャンマーに一歩入った場所であるティキ(HTI HKEE)にIEAT(タイ工業団地公社)と組んでアマタ工業団地を造る計画を進め、日系企業によるFS(フィジビリティ・スタディ)も終えていた。かつてウィクロム氏は筆者に対し「山岳地帯の国境にあるティキに造る工業団地では、労働力は仕事がない山岳少数民族に頼りたい」などのアイデアも語っていた。しかしスーチー女史のNLD政権に代わって以来、ダウェイ経済特区(DSEZ)開発計画はほぼ完全に止まり、「ティキ・プロジェクト」は着工できずに眠ったまま。今後の「ティキ」での展開についてこのほど筆者から聞かれたウィクロム氏は、ティキでのアマタ工業団地開発計画について「もう忘れた」(関心ない)と答えた。ウィクロム氏は新工業団地の立地を決めるポイントとして(1)快適性も含めたロケーション(2)人件費と土地代を含むコストの安さ(3)ASEAN地域、という3点をあげた。 これまでにタイとベトナムで営業しているアマタ・コーポレーションの3か所の工業団地には1,300以上の企業が進出しているが「6割以上が日系企業で大手が多い。これだけの数の日系工場が集積している場所は世界でも他に例をみない」とウィクロム氏は胸を張る。 「私とアマタはASEAN各地で中国と日本の架け橋になりたい」「タイに留まらず中国を源流にするメコン河流域地域のミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナムで前進していこうという長年の私のビジョンは正しいと確信している」(同)などと語った。
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2020年3月1日掲載