軍事クーデターから半年 ミャンマーは今どうなっているのか

軍政下でコロナ危機が拡大

ミャンマーでは1962年にネ・ウィン将軍が軍事クーデターを起こして以来の軍事政権が50年近く続いた。2011年3月30日に国軍出身のテイン・セイン首相が大統領に就任するという形で民政移管され、今年3月末からはアウンサンスーチー党首のNLD(国民民主連盟)政権が2期目に入るはずだった。しかし2月1日にクーデターが起き、進み始めていたミャンマーの民主化が破壊され、一気に軍政に戻ってしまった。そしてそれから早くも半年以上もの悪夢の日々が過ぎたミャンマーだが、解決の糸口はまったく見えないままに国の崩壊が進んでいる。国軍はクーデターに反発する1000人近い市民を虐殺したが、クーデター後に「コロナ」で亡くなった人の数はその10倍を超えている。もしもクーデターが起きず、医療体制が崩壊せず、感染対策が強化されていれば、「コロナ」死者数を抑えることができたはずだから、クーデターの犯罪性はデモの弾圧以外でも大きい。

日系企業にも大打撃

ヤンゴンにあるミャンマー日本商工会議所の加入企業だけに限っても433社が進出している。クーデターに伴う今回の混乱は長引くとみて撤退を考えているところが多いようだが、コロナが蔓延し、その防止のための特別休日も多い現状で撤退行動に移したところはほとんどない。「アジア最後のフロンティア市場」としてのミャンマーに来たのだから、早く正常のビジネスを再開したいと心待ちにしている。だが、クーデターの発生した2月にミャンマーで初の工場を完成させたトヨタのヤンゴン郊外のティラワSEZ(経済特区)にある工場はオープンできないまま。職場放棄運動(CDM)を続けたきたデモに参加していた従業員が職場に戻りつつあるが、再びCDMが始まる可能性もある。クーデターへの制裁として日本政府は新規の政府開発援助(ODM)を停止したが、ODAの全面停止も検討されており、ODAに絡んだビジネスを展開している日本の大手商社やゼネコンに留まらず、ミャンマー企業も含めたODA関連企業はとりわけ大きな痛手をすでに負っている。

国軍総司令官が首相に就任

クーデターで政権を破壊されたNLD主体で設立された連邦議会代表委員会(CRPH)は、4月16日に国民統一政府(NUG=National Unity Government)をインターネットの利用で発足させ、5月5日には「国民防衛隊(People Defence Force、PDF)」を設立、少数民族武装勢力を巻き込んだ「連邦軍」にしたいと考えている。NUGは軍政の国家統治評議会(SAC)をテロ組織に認定したが、SACもNUGやPDFをテロ組織と断定、NUGの閣僚を反逆罪で指名手配している。SACは8月1日に暫定政府を設置、首相にミン・アウン・フライン国軍総司令官、副首相に国軍ナンバー2のソー・ウィン副司令官が就任したと発表した。  ミャンマー国軍は、88年8月8日以降の大規模デモ、2007年に僧侶多数が参加し日本人カメラマンも殺されたデモも武力で鎮圧、「ロヒンギャ族」や少数民族武装勢力の虐殺も続けてきた。歴代の国軍幹部は、ビルマ(現ミャンマー)を英国から独立させ、その後の国を背負ってきたのが国軍だと自負している。そしてミャンマーの「民主化」は「7段階のロードマップ」で、国軍が実現させたと考えているが、「民主化」の内容たるや、法の下の平等や平和的なデモさえ認めない国軍の独裁。ミン・アウン・フラインは、クーデターに反対する市民を殺し続けながら「国軍こそが国民と民主主義を守る」と平然と口にし続けている。NLD政権下で憲法改正に関連した取り組みや武装勢力対策などで、国軍との会議さえ開こうとしなかったスーチーの国軍無視に対してミン・アウン・フラインは憤慨し続け、大統領の座も要請したが、スーチーは断固拒否してきたとされる。

昨年11月の総選挙で、改選議席の83%を獲得したNLD人気のさらなる高まりを見たミン・アウン・フラインは、危機感を高めた。憲法で決められている議会の25%を占める軍人枠議席からの造反者が出れば、国軍を圧倒的に有利にしている現憲法の改正が実現してしまうことも恐れてクーデターを決行したと見られる。

ASEANや国連に期待しない市民

筆者のミャンマーの知人達はASEANや国連の仲裁などにまったく期待していない。国連やASEAN、日本政府なども「双方の話しあい」で事態が改善して欲しいと期待しているが、軍政は総選挙で圧勝したNLDの解党を狙っており、話しあいなどができる状況ではない。クーデターで政権の座から引きずり下ろしたスーチー党首(76歳)の拘束を続け、その拘束場所すら明かさず、弁護士との面会さえほとんど認めない。スーチーは輸出入法や国家機密法違反などで審理中だが、その摘発件数を増やすことに軍政は躍起。複数の訴追でスーチー有罪が決まれば、合わせて20年以上の禁錮もあり得る。ミャンマー政府や国軍との「太いパイプ」があると自任してきた日本政府、関係要人らも、国軍の狂暴化を止めることができない。

4月24日、インドネシアで開催されたASEAN首脳会議にミン・アウン・フライン国軍総司令官が招かれたが、NUGの参加は拒否された。同会議では国軍の暴力停止などで合意したものの、ミャンマーに帰国したミン・アウン・フラインは、「国内情勢が安定してから慎重に考慮する」とジャカルタでの約束を反故にしてしまった。ASEANがミャンマーの軍政を「公認」し続けていることに対して、民主派はデモでASEANの旗を燃やしたりして抗議している。ミャンマー市民はクーデター後に国連安全保障理事会(安保理)の軍事的な措置に期待したが、常任理事国である中国やロシアがミャンマーに対するあらゆる制裁決議に反対するため何も決めることができない。欧米の経済制裁も効果が見えない中、ASEAN支配の強化を狙う中国は、6月7日にASEAN各国の外相を重慶に招き、王毅外相による会議を開いた。そこにミャンマー軍政のワナ・マウン・ルウィン外相が出席したことも軍政公認になる。

このようにミャンマーの民主派を取り巻く世界情勢が厳しい中、反クーデターデモを先頭で戦っている90年代後半以降に生まれたZ世代には、武装闘争でしか民主主義を取り戻す道がないと考える人が増えている。反軍政の武装勢力であるカレン民族同盟(KNU)やカチン民族解放軍(KIA)などで軍事訓練を受ける若者が増え、そこには国軍を脱走してZ世代の訓練にあたる兵もいるという。

4月以降、国軍車両や警察署など国軍関連施設に限らず、中国系工場や病院などでの爆発や放火事件が急増しており、軍政はすべてが民主派のテロ活動だと断定しているが、真相は不明。ミャンマー各地では、PDFに賛同する市民による自主的な武装組織が形成され、国軍を狙い、武装勢力と組んでの国軍との戦闘も起きている。国軍派の公務員や教育委員会幹部、国軍への密告者と見られた人の暗殺など、NUGやPDFが統制しきれていないと思われる反国軍活動も増えている。

現行の「2008年憲法」は、スーチー大統領を誕生させない仕組みを盛り込んで国軍が起草した国軍による国軍の為の憲法であり、スーチーは「2008年憲法」の元では民主主義は実現できないと連邦議会の議員になる前からするどく反発してきた。そして総選挙が予定されていた2020年の年初、NLDは連邦議会に同憲法の改正案を提出したが、25%の軍人議員枠により、ことごとく否決されてしまった。

今回のクーデターは、現行憲法が規定する非常事態宣言により、立法、行政、司法の全権を国軍総司令官が掌握した。現行憲法の417条では、国の非常事態時には大統領が国家緊急事態を宣言できると規定している。しかし2月1日のクーデターで、国軍は大統領を非合法に拘束してから、国軍が非選挙で選出していたミンスエ第1副大統領を大統領「代理」に据えて非常事態宣言を出させた。これは憲法に基づいているとは言えない行動だが、ミン・アウン・フラインは「憲法に従ったもので、クーデターではない」と繰り返し、「軍政」と表現するメディアの摘発も始めた。

2020年に行われたスーチーとの電話会談で、茂木外務大臣は「日本はミャンマーに寄り添って、民主的国造りを引き続き官民挙げて最大限支援していく」(外務省発表文)と約束している。日本の超党派の国会議員による「ミャンマー民主化を支援する連盟」では5月26日にNUGとのテレビ会議を実施、NUGのマン・ウィン・カイン・タン首相(前上院議長、カレン族でキリスト教徒)らと話し合い、日本政府にNUGの承認を求めていくことを決めた。そして6月8日の衆議院、同11日の参議院のそれぞれの本会議では、クーデターによるミャンマーの現体制を全く認めないという非難決議をほぼ全会一致で可決した。日本政府が、ミャンマーの民主化を進めたいと本気で考えるのなら、速やかにNUGを承認するしかない。

変わり始めたNLD

昨年の総選挙でも、国民の3割を占める少数民族の多くが、自身の民族名がついた政党でなくNLDに投票したのは、ミャンマーの政治を変革できる力がある政党はNLDしかないと考えているから。しかし国民の7割の多数派であるビルマ族を優先し続けてきたスーチーやNLDを嫌う少数民族は多い。少数民族は、建国の父とされるアウンサン将軍を含むビルマ族を抑圧者だと捉え、国軍とNLDの対立も「ビルマ人同士の争い」と見なしてきた。

現在、軍政と戦う国民統一政府(NUG)を支持する少数民族は、NLDやスーチーがNUGで目立って欲しくないと考えている。NUGでは初代の副大統領や首相を少数民族から選んだが、大統領も少数民族から選べば少数民族の心が変化しそうではある。

2018年11月の連邦議会補選で、選挙で圧倒的勝利を遂げてきたNLDがカチン州やモン州で議席を失ったのは、地元の少数民族に否定されたからだった。NLD政権下、各地で少数民族の反対を無視してアウンサン将軍の銅像が建設された。2017年5月には、モン州の州都モーラミヤインとバルジュン島を結ぶ1586メートルの新橋が完成したが、NLD政権は地元モン族の強い反対運動を無視して「アウンサン将軍橋」と命名した。去る6月1日にはミン・アウン・フライン夫妻も出席して、橋の下を流れる大河の名から「タンルイン橋(チャンゾン)」に改名する式を行い、モン族のダンスも披露された。スーチーの評価が下がることなら、軍政はすぐに取り組んでいる。

NUGの国際協力大臣を務めるドクター・ササ(DR SASA)の活躍が注目されている。クーデター直後に首都ネーピードーから危機一髪で国外に脱出することに成功、NUGの国際広報で活躍中のドクター・ササが将来の大統領になることを期待するミャンマー人も増えているようだ。スーチーにも近いササは、インドに近いチン州の少数民族出身の医師で、地元での医療活動を経てNLDに加わってからは少数民族武装勢力を担当していた。クーデター後、各少数民族武装勢力からNUG支持を取り付けただけでなく、NLDも無視してきたイスラム教徒の「ロヒンギャ族」とも積極的に接触、4月9日のネット上の記者会見で、「ロヒンギャ族」をミャンマー国民として認めるという従来のNLDでは考えられない発言もしている。この発言への反発はラカイン(旧アラカン)州で大きいが、ミャンマーを崩壊の危機から救える人物としてドクター・ササへの注目度がミャンマーで高まっている。

2021年9月1日掲載

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