“追い風”で伸長する タイの医療産業
アフターコロナを見据え投資・株式公開が急増
新型コロナウイルスの感染拡大は多くのタイ国内の産業に深刻な悪影響を与えたが、一方でこれを“追い風”に業績を伸ばす企業・業界もわずかながらに散見された。その一つが例えば、巣ごもり需要を背景としたデリバリー(宅配)業界であったり、広がったテレワーク関連の市場だった。さまざまなスタートアップ企業などが業界の垣根を超えて相互に参入。群雄割拠の様相も見せている。そして、大きく伸長したもう一つの業界が、健康や美容への関心の高まりを受け拡大する医療産業だった。病院は多くの患者を抱え、業績を伸ばした。医療機器市場も急成長し、資金調達のためいくつかの企業はコロナ禍にあっても株式を公開した。そして、何よりも政府や民間市場がコロナ後を見据えた有望業種として「医療・美容」に熱い視線を送るようになった。基幹産業となりつつあるタイの医療の今を概観する。(在バンコク・ジャーナリスト 小堀 晋一)
▉ 「ヨティ医療イノベーション地区」
バンコクのラチャプラロップ通りから、ラマ6世通りに至るソイ・ヨティ通りの一角。ここにタイ投資委員会(BOI)が認証した投資奨励ゾーン「ヨティ医療イノベーション地区」がある。この地区への投資については通常の投資優遇措置のほか、条件を満たせば向こう5年間、法人税が50%軽減される。地区にはすでに病院が7施設あり、総病床数は7000床超。医療関連の教育施設も6校あり、地域全体で医療従事者約4600人が勤務する。タイでは屈指の医療産業の拠点となっている。
地球温暖化の促進や環境の悪化、2020年から深刻化した新型コロナなどを背景に、タイでは医療産業やBCG(バイオ・循環型・グリーン)、そしてこれらの基礎となる研究・開発の各種分野が重点産業の「Sカーブ産業」と位置づけられ、積極的な投資が行われている。大学や研究機関とも連携。政府はアジア工科大学院やタイ科学技術研究所の一部を科学技術パークと指定し、これら地区への投資にも優遇措置を与えている。23年から始まる新たな戦略的投資促進計画の策定作業も進行中で、より大胆に加速させていく意向だ。
民間市場が送る視線にも熱が注がれる。タイ商工会議所大学の経済ビジネスセンターがまとめた22年の有望産業10種のうち、「医療・美容」は2位以下を大きく引き離し2年連続の首位。4位には「医薬品・医療機器」がつけた。2位は電子商取引(EC)ほかの「プラットフォーム開発」、3位は巣ごもり需要を受けた「物流・宅配」など、いずれもこれからの医療と親和性のある分野が入った。
▉ 病院新設と拡張
医療の現場である病院では、増益を続け、投資や拡張を進める施設も少なくない。ラムカムヘン病院は新規病院を開設するほか、既存病院の拡張を同時に進めている。28億バーツを投じて最大病床数560床の第2病院を新たにバンコクに開業するほか、北部ナーン県にもナーンラム病院を新設する。パタナカン通りにある系列のウィパラム病院では既存施設を拡張。母子医療センターなどを新たに設置して、地域における産科・小児科の拠点に育てる考えだ。
地方を中心に大型病院などを展開するプリンシパル・キャピタルは、連携する小規模な衛星クリニックの開設に力を入れている。まずはバンコクに20カ所程度を設置。順次、地方に広げていく計画だ。北部、東北部、南部などで5年以内に計100カ所の新設を予定している。遠隔医療や訪問医療も導入するなどして医療過疎地における需要の掘り起こしを進める。
同社が小規模クリニックの開設に着目するのは、新型コロナの院内感染を恐れ大型病院への来院を敬遠する患者が増えていることが大きなきっかけだ。小規模であれば感染リスクも下げられ、迅速に対応もできる。大型病院をナショナルセンターと位置づけ小規模クリニックとオンラインで結べば、医療の質も落とさずにできる上質なサービスが提供できるといった事情も後押しした。しかも、開設コストは1施設あたり最大でも300万バーツほど。出店した場所に需要がなければスクラップ&ビルドで機動展開できる点も決断の大きな理由となった。
同様に病院経営を手掛けるインターメディカルケア&ホスピタルは事業の多角化を進める。21年にはバンコク西部のプラチャーパット病院を買収するなど系列病院の拡大に力を入れ、患者総数は120万人に達した。今年は一転、新型コロナの抗原検査キットの販売に力を入れるなど医療消耗品の取り扱いを強化している。系列病院のほか一般消費者への販売も拡大していく方針で、売上高は昨年比26%増の12億バーツの確保を目指す。
▉ 医療機器の業績好転
病院など医療施設の拡充は、医療機器メーカーや販売企業の業績も好転させている。このため、資本増強を図ったり、さらなる投下資金を得る目的で株式を公開させる動きも広がっている。医療機器の輸入販売を行うウィンナジー・メディカルは21年5月にタイ証券取引所2部に株式を上場。初値は募集価格を135%も上回った。民間病院のほかタイの赤十字や国家血液センターに、血液や子宮頸がん、ダウン症などの検査機器を供給している。株式公開で得た資金のうち約3億5000万バーツ(約13億円)を細胞治療などの研究施設の建設に充てる計画だ。
同業のセイントメドも昨年6月にタイ証券取引所2部に上場した。公開で得た資金は約19億バーツ。レンタル用医療機器の調達や睡眠検査施設の建設などに振り分ける。同社は救急医療や集中治療室向け医療機器の販売で業績を伸ばしており、事業の多角化でさらなる顧客の獲得を狙う。このほか、自動車向けのほか医療用のゴム成形品を製造するポリネットも株式公開の準備を進めている。
▉ 22年には20億米ドル規模に
市場関係者によると、タイの医療機器市場の規模は20年現在で16億米ドル(約2200億円)ほどと見積もられている。22年にはこれが20億ドルを突破するものと予想される。また、抗原検査キットや医療用手袋といった医療用消耗品市場も拡大基調で推定約500億バーツ。ただし、その8割は海外からの輸入が占めており、調達コストが課題だ。このため、国内メーカーでは国産品が浸透する余地が大きいとして国内生産を強化していく方針でいる。今後は異業種化の参入が進む分野の一つとも考えられている。
また、6月から政府が“解禁”した大麻及びヘンプ(大麻成分が0.2%以下のアサ科植物)市場の動向も、タイの医療産業の今後を左右していく可能性がある。保健省食品医薬品委員会(FDA)が認可した健康食品・飲料などの新製品はすでに1400品目を越えた。専用アプリを通じた栽培の登録認可も100万件を超えている。医療ツーリズムなどを通じてかねてより質の高いサービスを提供し続けたタイの医療。コロナ後のけん引役となる資格と実績は十二分にある。
2022年9月12日掲載