タイの製造業で高まる中国パワー
人件費などのコスト上昇から世界の工場としての魅力が減った中国。チャイナプラスワンなどとして、外資だけではなく中国企業もアジアの他国に生産シフトしている。中国市場の伸び悩みからこれまで未開拓だったタイに着目して、バンコク国際貿易展示場(BITEC)などで開催される産業見本市へ出展する中国企業も増え続けている。
それだけでなく、バンコクの各展示会に来ている中国人が元気になってきていると、最近感じている。以前から多数の中国企業が出展してはいたものの、その頃は明らかにローテク企業の出展が目立った。魅力がないブースを訪問する客がほとんどなく、各ブースの中国人は手持ち無沙汰だった。そんな会場風景がこのところ激変している。同じ会場内なのに「中国パビリオン」があちこちに設けられ、これでもかといったほどの中国企業の出展ラッシュ。
かつて私の飛び込み取材を冷たくあしらう中国企業が多かったが、最近ではどの中国企業も私の取材を歓迎、熱心に説明してくれるようになった。展示会に出展している日系企業などでは顧客の訪問をただ待っているところが多い。中国企業ではブースを訪問する客が少ないと、中国から派遣された若い女性従業員が会場に飛び出て会社のチラシなどを熱心に配っている。この「やる気」は過去の展示会ではなかったものだ。
と言っても、中国人のサラリーマンが所属する企業に愛社精神を持ち始めたとは思わない。タイで中国の部品メーカーを取材した時、中国人幹部のほぼ全員が独立を考えていた。工場への送迎の車の中や後日バンコクで再会したときなどにそのような計画をこっそり教えてくれた。若手日本人もタイで起業する人が増えているが、まだまだ例外的。しかし、中国人の独立意識の高さは半端ではない。
アジアジャーナリスト 松田健
タイで起業して母国中国に進出
写真=智鴻塑膠模具を起業した兄の汪有志社長
中国とタイの金型メーカーで働いていた中国人の兄弟がそれぞれ独立して、中国とタイを結びつけて助け合いながら両国の工場を成長させている。この中国人兄弟と20年ほど前から親しくしている。兄は広東省の台湾系金型会社から独立した汪有志氏(1970年生まれ)で、広東省東莞市に智鴻塑膠模具有限公司を設立、現在は各種金型の他、中国の大手スマートフォンメーカー「OPPO(広東欧珀移動通信)」や「ファーウェイ(華為技術)」の製品に付属するイヤホンを日産10万個以上生産している。汪有志氏の実弟である汪友紅氏(1973年生)はタイで香港系の金型メーカーから独立してトップ・モールド(Top Mould)を2001年に創業。タイのシャープ、フジクラ、オリオン電機など日系企業向けが全売上高の7割を占めている。現在はチョンブリ県のアマタ・ナコーン工業団地に近いパントンにある工場で、金型やプラスチック成型、金属との複合部品などを生産している。兄弟の中国の実家はコメや小麦、食用油をとる菜種などの生産農家だが、幼少の汪兄弟は農業を継がずに自らの起業を目指した。
東莞市の智鴻塑膠模具有限公司ではOPPOの新製品向けイヤホンを日産10万個、月300万個受注しており、現状の生産能力は24時間操業でフル。しかし、OPPOからは現在の5倍にあたる日産50万個に増やして欲しいと要望されている。OPPOが智鴻塑膠模具を気に入っているのは「智鴻塑膠では1度に8個の成型ができる8キャビテの金型で高品質の製品が製造できるが、他社は4キャビテから8キャビテにしたとたんに品質が落ちたため」と汪社長は説明する。
20年ほど前、東莞市を訪問中に「日本企業向けに金型を生産している中国企業がある」と聞き、タクシーで探し回った結果、汪有志氏の当時の工場を「発見」した。その工場は入り口のドアも無く、道路から工場の中が丸見えの町工場だった。その後、兄弟は協力し合って中国とタイでの業容を拡大してきた。今回久しぶりにタイのトップ・モールドを訪問したが、かつてゼロだったインド人のエンジニアや設計者、ミャンマー人など、従業員の半数以上が外国人になっているのを見て驚いた。もっと驚いたのは兄弟の合弁として中国湖北省の兄弟の出身地に新工場の建設を開始したと聞いた時だった。中国の中小企業がタイなどに進出してくる動きと反対に、タイから中国に打って出るというのだ。タイのトップ・モールドの工場は7ライ(1ライは約1,600平方メートル)だが湖北省の新工場は約40ライ。工業団地内の土地は70年間750万中国元で、兄弟折半で借りた。
湖北省で建設中の新工場ではイヤホンを増産する他、初めて自動車向け電装部品も手掛けたいと考えている。タイで自動車産業からの受注が難しい点を理解している弟の汪社長が今後、工場立ち上げのためタイから湖北省へ頻繁に通う。バンコクから湖北省の省都である武漢(ウーハン)までの直行便があり、武漢から先の約200キロは車で走る。「中国で新工場が稼働すれば、タイ工場からベテランのインド人設計者の一部に中国に移ってもらうことになりそうです。工場が立ち上がって数年以内には中国や日系の自動車メーカーから1次下請けとして受注していきたい」(同)と考えている。
今後も外国人従業員を増員へ
写真=今年、タイの展示会に出展した弟の汪友紅社長
トップ・モールドではインド人エンジニアがさらに増えると汪社長は言う。トップ・モールドで金型設計などをしていた中国人従業員の多くが辞めるが、独立してタイに自分の会社を起業するために退職したのだろうと、自らもスピンアウトした経験がある汪社長は感じている。そして辞めた中国人の穴埋めにインド人を採用してきた。
汪社長は「南インドのチェンナイやバンガロールなどから来てもらったインド人は仕事熱心です。インド国内の人材募集の英語サイトから探しました。当社ではCAD(コンピュータ支援設計)CAM(同製造)などを担当しているインド人は大卒者で月5万バーツ、高卒で3万バーツほどから始まります。インドでの同様の仕事では月1万バーツほどの給与のようなので、タイはその数倍が得られるメリットがあるようです。インドからの往復旅費は当社が負担しています」と語り、「インド人はみな英語ができコンピュータの能力も高く中国人よりも仕事が進みやすい」と評価する。汪社長がこっそり教えてくれたところによれば、同社の中国人はインド人より給与水準が断然上である。
トップ・モールドでは創業以来、技能の蓄積が求められる金型を製造するメーカーとしてタイ人の従業員の育成を図ってきたが、「せっかく教え込んでもタイ人はすぐやめてしまう。タイ人は基本的に油にまみれる3K(きつい、汚い、危険のイニシャル)労働を嫌う。入社を考えながら工場を見に来て、ほとんどの職場に『冷房が入っていない』ことを知ったとたんに帰ってしまうタイ人が多い。ボーナスや福祉面で待遇の良い日本の大手企業が多く入居するアマタ・ナコーン工業団地が近いので比較されます。人の問題はまったく頭が痛い」と汪社長。そこで外国人採用を増やさざるを得なかった。現在の従業員はタイ人よりミャンマー人など外国人の方が多い。タイ人13人、ミャンマー10人、中国人3人、インド人4人。成型のトップ・プラスチックでは約90人の従業員を抱えるが、ミャンマー人が最も多く40人、ついでタイ人の32人、カンボジア人の15人。設計部門などに一時は10人近くいた中国人に代わって以前はゼロだったインド人のプログラマー、設計者が4人に増えている。工場内に50部屋ある従業員寮が無料で各国から来ている従業員に人気がある。
東莞市の智鴻塑膠模具有限公司は兄の汪有志氏が7割、弟の汪友紅氏が3割の株を保有している。漢字は異なるが、有志の志と中国語では同じ発音である智、また友紅の紅と同じ発音の鴻を使って会社名の「智鴻」を決めたという。中国とタイの両社ともたまたま金型製造で立ち上げ、しばらくしてから自ら製造する金型を使ってプラスチック成型も開始している。トップ・モールドでは会計マネージャーをしている汪社長のタイ人の妻が51%の株式を保有、汪友紅氏は49%を保有している。創業して6年後の2007年には工場内で輸出向け部品製造のトップ・プラスチックを起業した。輸出が多いことから100%を汪氏が保有し、タイ政府投資委員会(BOI)認定企業となり各種プラスチック成型部品の他、金属プレスを導入して金属部品の製造も行っている。タイで操業している日系部品メーカー向けが7割を占め、携帯電話、ニ輪、家電向けなど多方面の部品を生産、自動車ランプ向けターミナル部品も5~6年前から手掛けている。