ミャンマー東部最新事情(上) 東西回廊終着地モーラミャイン
ミャンマー東部、タイに近いモン州の州都モーラミャイン(Mawlamyaing)の人口は約50万人。ミャンマーではヤンゴン、マンダレーに次いで3番目に大きく、モン族が最も多く住む都市でもある。タイにはモン族出身のタイ人が多い。ミャンマーでは「モン」ではなく「ムン」と発音されている。第1次英緬戦争で英国に敗れたコンバウン朝は1826年にミャンマー南部と西部のラカイン州を英国に割譲。モーラミャインが英領の首都となり、その後、英国から独立した後にモン州の州都になった。
このほど、十数年ぶりにモーラミャインを訪問し、製造業の現状などを取材してきた。モーラミャインはインド洋の東端のモッタマ湾(マルタバン湾)に注ぎこむ大河タンルウィン川の河口に位置し、小高い丘が多い起伏に富んだ落ち着いた町。歴史的にはインドや中国福建省の港と結ばれて商人や移民が多く来ていたという。ベトナム中部のダナンからラオス、タイを横断する東西回廊の終点もモーラミヤイン。現地で聞いたところでは、モーラミャインは仏教徒が半分ほど、4割はイスラム教徒でモスクが多い。ヒンドゥー寺院も中心部だけで5つ以上、1割はいるキリスト教徒の教会も中心部だけで5つほど見かけた。
タンルウィン川にはモーラミャインでジエイング川とアッタヤン川が合流している。第2次大戦中に日本軍が作ったタイからの泰緬(たいめん)鉄道もこの大河が渡れずモーラミャインが終点だった。しかし2006年、ミャンマー建設省が自力で巨大な鉄道・道路兼用の「タンルウィン橋」を架け、ヤンゴンからの列車や自動車がタンルウィン川を渡るフェリーに乗り換えなくても、直接モーラミャインに乗り入れることができるようになった。モーラミャイン駅からは橋を渡ってヤンゴンまで毎日1往復、その先の首都ネーピードーまでも別に1往復。モーラミャインからマレー半島をダウェイまで南下する便も日に2便ある他、貨物専用列車も走っている。
モーラミャイン唯一の工業団地
モーラミャイン中心部からアッタヤン川を渡るとモーラミャインで唯一の工業団地がある。このモーラミャイン工業団地は小さな門しかなく、どこから工業団地か見分けるのは難しいが、内部はかなり大きい。衣料を中心に、プラスチックの波板、各種部品、自動車整備など100以上の工場が稼働している。地域の産物でもある生ゴムを輸出レベルに洗浄する工場ではミョー・ザイヤー(Myo Zayyar)工場長が突然訪ねた私を工場に案内し、「硫酸を使って洗浄、乾燥して輸出品質にしてその7割を中国、残る3割をミャンマー国内とシンガポール向けに出している。間接的に日本企業でも当社が洗浄した生ゴムが使われていることは間違いない」と話してくれた。また同氏は「2009年にはキロ1,800チャットで売れたが今では750チャットと暴落して儲からない」「労働者は男ばかり15人で給与は日給5,000チャット(約400円)だが出入りが激しい」などと説明した。
モーラミャイン唯一という鋳物工場には、入り口に「銅と鉄を溶かす工場」と書いてあった。やはり突然の訪問者である私をルイン・テイン(Lwin Thein)社長が歓待して、工場を案内してくれた。50年ほど前に義父が設立した鋳物工場だが、義父が48歳で糖尿病で亡くなって以来、工場経営を任されているという。地元向けのゴム製造機械やボイラー向けなど鋳物部品を製造し、工場では鋳型も内製。中空の鋳物の生産もしていた。
また、ビルマ族のタントゥン(Than Tun)社長は、マンダレーの国立伝承医学大学で内臓や血圧や糖尿などを広く学んだ伝承医学医で、工業団地内で息子と一緒に30年に渡ってミャンマー市場向けの胃薬を中心に製造販売していた。薬草原料からの抽出だけでなく容器の製造も内製化、2台の機械が稼働し、1台が日3,000個のプラスチック容器を作っていた。
タントゥン社長によるとAEC(ASEAN経済共同体)の進展に伴って、2018年からはASEAN各国での伝承医学に基づく「伝承医薬品」の関税も撤廃されて域内の販売が自由になるという。ミャンマーの伝承医学に基づく製品は生き残れるか聞くと、タントゥン社長は「地続きの隣国タイに何百万人ものミャンマー人が出稼ぎに行っていて、ミャンマーに一時帰国したミャンマー人は当社の製品を含めミャンマーの伝承医薬品を大量に買い占めてタイに戻っていく。そのことを見ても、ミャンマーの薬の方がタイ製よりも効くと言える。しかし我々の製品の包装の品質、デザインに関しては明らかにタイ製に負けているので改善していきたい」と語った。
タントゥン社長は飛び込み取材を受け入れてくれただけでなく、実弟に経営を任せているモーラミャイン中心部の市場の大きな漢方薬店を案内してくれ、さらには2000年にミャンマー中央政府がモーラミャイン市内に作った伝承医学による各種病気の治療施設へもアポを取って連れて行ってくれた。そこでは薬草を中心とした伝承医学だけで治療する病院などとも提携して事業を進めていた。病院には医師が13人と看護婦が9人。女性院長のSoe Soe Yinさんによると治療費、入院費は無料。「外国人でもワークパーミットを取得してミャンマーで働いている人なら受け入れます」とのことだった。定員は50人で現在は男性15人、女性15人が入院またはリハビリ中。僧侶には1人部屋の個室があてがわれており、骨折などで動けない僧侶4人が入院していた。病院の庭は糖尿やマラリアに効くミャンマーの薬草30種ほどが植えられており、日本からNGO活動をする専門家を受け入れたこともあったという。
オーガニックキノコで世界を目指す
工業団地以外では、タイやヤンゴンで食べたことがあり、
元々の家業は噛みタバコで使うビンロウの実の集荷だったが、カシュ―ナッツが儲かるのではないかと考えて1998年に起業したという。「かつて300人の従業員がいたが今では50人。ここはタイが近いので給与が高いタイに多くの人が出稼ぎに行ってしまう。また、メインのカシューナッツの焦げ茶色の皮を剥がして中の白いナッツにする作業で油が手に付くことを嫌って働いてくれる人が少なくて困っている。そこで中国製の皮を剥がす機械を2台買ったが、すぐに壊れて倉庫で眠ったまま」とぼやいた。
モーラミャイン中心部でホワイトマッシュルームとキクラゲを2010年から栽培して成功している35歳の起業家ソー・ウイン・トゥン(Soe Win Tun)社長とキン・レイ・スン(Khin Lay Sun)夫人の農園も訪問した。ホワイトマッシュルームを日30-50ビス(1ビスは1.6キロ)とキクラゲを日100ビス生産している。友人のキノコ園から学び、独学もして2010年に栽培を開始。「JJY」ブランドで販売している。中国製のキノコは農薬入りが多くミャンマーでも危険視されていることから、薬品を一切使わないオーガニック栽培に徹底している。「ゴムの木のおが屑を用いた菌床を使っているが、キクラゲは同じ菌床から3回しか収穫できない。ホワイトマッシュルームは4カ月間に渡り何度でも採れる。キクラゲは1ビスが1万5,000~2万チャット(1万チャットは約790円)とホワイトマッシュルームより高く売れる」(同)という。
「最初に買いにきた外国人は中国人だったが、うるさい注文を色々つけてくる上に支払いに不安があるから、中国人には先払いでなければ売らないことにした。韓国人も来たが価格から商談は成立しなかった」とソー・ウイン・トゥン社長は明かす。当初は生のキノコを販売していたが、腐らないように乾燥させて保存したり、キノコを油で揚げて「味の素」や塩を入れない食材としてミャンマー在住の日本人からの注文も得たという。現在はスライスして乾燥させた製品や、キノコ石鹸も開発。「すでに食品分析や当局の検査も合格した。世界各国にオーガニックキノコとして輸出する」ことがソー・ウイン・トゥン社長の目標だ。