投資にも影響必至か 2018年、揺れるカンボジア情勢

タイの隣国であるカンボジアでは、今年で33年間も首相の座にあるフン・セン首相によるあからさまな野党つぶしが、経済、投資面に多大な影響を与えそうだ。カンボジアでは5年に1度の国民議会選挙(中央選挙)が7月に行われる。この数年のフン・セン首相の行動は(たとえ選挙に負けようと)絶対に政権の座を譲り渡さないという決意に基づいているように見える。昨年11月16日、カンボジア最高裁判所は、カンボジア最大野党として議席の4割以上を占める救国党(CNRP)に対して出されていた国家反逆罪の容疑を認め、解党を命じた。このためCNRPは消滅、同党議員は他党に移るなどしてCNRPとしての活動が完全に封じ込められてしまった。

カンボジア最大の産業は衣料。その最大の輸出市場がカンボジアに特恵関税を与えている欧州だ。民主化に逆行するカンボジア政府に欧州は反発を高めているが、フン・セン首相は無視する姿勢を続け、「やりたいようにさせておけばよい」という強気の態度を取り続けている。国内では国民に飴を与え、来る選挙での与党票の増加に向けた取り組みをしている。カンボジアでは労使と政府の三者代表による委員会で翌年の最低賃金を決めているが、この決定後にフン・セン首相が鶴の一声で上乗せをしたのだ。

そうして決まった今年の衣料産業の最低賃金は月170米ドルで、前年の153米ドルに比べ大幅に上昇する。この最低賃金はカンボジアに比べて経済水準が圧倒的に高いベトナムに並び、衣料が主力産業で競争国であるミャンマーやバングラデシュよりも格段に高い。長く内戦が続いたカンボジアでは教育が崩壊。現在も文字が書けないカンボジア人が多く、進出日系企業では採用にあたってまずカンボジア語を教えることから始めるところも多い。「カンボジア人の性格はアジアで最高」と評価するアジア通の日系企業幹部が多いが、文字や色もわからない人が多く、工場での生産性も競争国に比べ低い上に給与だけは高い。そこに政治混乱では外国投資は来なくなる。

相次ぐメディア、野党への弾圧

カンボジアでは昨年の年初に、政党の党首が有罪となった場合には党を解党させるという法律が最大野党である救国党(CNRP)の反対を押し切って成立した。そして同年9月3日の午前0時半という深夜、カンボジア警察は突然、CNRPのケム・ソカ党首を自宅で逮捕した。ケム・ソカ党首の逮捕容疑は、かなり以前の同氏によるフン・セン政権を批判する米国寄りの発言が「国家転覆を図った」というもの。すでにCNRPの創設者であるサム・ランシー氏はフン・セン首相に対する過去の名誉棄損で起訴され、逮捕を避けて海外逃避を続けているため、副党首だったケム・ソカ氏が3月に党首に就任していた。

そして昨年6月に行われたカンボジアの地方選挙は、フン・セン首相が率いる人民党(CPP)が7割の行政区を押さえて勝利はしたものの、首都プノンペンを始めアンコールワットで有名なシェムリアップ、さらにはフン・セン首相の地盤であるコンポンチャム州でCNRPに負けた。コンポンチャム州はサム・ランシー氏の地盤でもあり、これら重要地域での敗北により、フン・セン首相は危機感を高めたと見られている。

フン・セン首相が権力喪失に対して危機意識が高いことは前回の2013年の総選挙でも指摘されてきた。同選挙では開票をめぐる大規模な不正があったとCNRPは主張、選挙で選ばれた同党議員の全員が「このままではカンボジアは独裁に向かう」として国民議会(下院)をボイコットする中でフン・セン首相の再任を与党68人の賛成で決めていた。

フン・セン政権では野党だけでなく、政権に批判的な報道を続けるマスコミに対してあからさまな弾圧も次々と始めた。米国寄りの報道が多いと見られた英字紙「カンボジア・デイリー」が昨年9月4日付で廃刊させられ、やはりフン・セン政権の批判を続けてきたVOA(ボイスオブアメリカ)を始めとする19局ものラジオ局も閉鎖させられた。そして同年11月16日、カンボジア最高裁判所は議席の4割以上を占めるCNRPに対して出されていた国家反逆罪の容疑を認めて解党を命じた。

長く内戦が続いたカンボジアでは1993年5月に国連管理による総選挙が行われ、王党派のフンシンペック党と人民党が連立で合意、双方の党を代表するノロドム・ラナリットとフン・センの両氏が共同首相に就任した。フン・セン氏はこの総選挙に遡る1985年に外務大臣兼首相に選任されて以降、今日まで33年間も首相の座に付いている。政治面での安定はもたらしたものの、野党つぶしの動きが顕著になり、内政干渉をしない中国とそれを避けたい東南アジアを除けば、欧米を中心とする海外からの反発が高まっている。これまで長期安定政権とされてきたカンボジアだが、今年は試練の年になる。

ベトナム並みに高騰する賃金

カンボジアの主要産業が衣料と靴で、その輸出市場は北米と欧州。競合国であるバングラデシュやミャンマーに比べて格段に高い賃金になったカンボジアの競争力は大幅に失われている。賃金が高騰する中国に比べればカンボジアはまだ数分の1の安さだが、「生産性は中国に比べて低い」と両国に工場を持つ経営者が断言している。

カンボジアの代表産業である衣料と製靴の今年1月から月額最低賃金を前年の153ドルから170ドルに上げることを政府は昨年10月5日に発表している。カンボジアで工場経営する日本人も、あまりの急上昇に驚きを隠せないでいた。フン・セン首相は昨年8月に労働者や行政職員等の大勢が集う場所で「2018年1月から最低賃金を168米ドルに上げたい」と公言したが、結果的にそれよりも2米ドル高い額で決定した。2018年の最低賃金を決める政府と衣料経営者側、労働者側(組合)との会議で政府は162.67ドル、経営者側は161ドル、労働組合側は176.25ドルを要求。そして決まった165ドルに対してフン・セン首相が昨年に続いて再び5米ドルを上乗せさせて170米ドルにして最終決定した。2017年の153ドルから11.1%増で前年の9.2%の上昇をさらに上回るもの。経済発展する隣国のベトナムの最低賃金が2018年はホーチミン、ハノイなどで175米ドルであり、同年のカンボジアの最低賃金は170米ドルでベトナムとほぼ同水準となる(タイのバンコクは265米ドル)。カンボジアでは2010年頃までは、40から50米ドルで推移していた。その後7年ほどで3倍以上に高騰したことになる。

長年、カンボジア縫製業協会で事務局長を務めるケン・ルー氏はカンボジア紙のインタビューで「2017年は25件の衣料工場が新たに開設された一方で、53件が閉鎖している」とし、2018年は賃金の高騰から経営が行き詰る縫製工場がさらに増えると見ている。

これらの影響でカンボジアの競争力が周辺国に比較して激減している。すでにカンボジアからベトナムや日本に撤退したきものなど衣料や人工かつら製造の日系企業が出ている。欧州はカンボジアに対して特権関税を適用し、関税無しの上に製品の輸出量も無制限という最高の条件を与えてきている。米国がフン・セン首相による野党つぶし、報道規制などの民主化に逆行する動きに対抗して米国では一部カンボジア要人の米国入国の制限といった制裁を始めているが、欧州がもしもカンボジアに与えてきた特恵関税を見直すなどの事態になれば、カンボジア経済は窮地に陥る。

フン・セン首相が強気を続けているのは、たとえ欧米による制裁が強まっても中国が助けてくれると考えている節がある。だがもしも特恵関税が得られなくなれば、カンボジアの後ろ盾という存在である中国自身が最大の影響を与えることになる。カンボジアに投資している多数の中国の衣料、製靴工場は中国市場向けの製品を作っているのではなく、中国からでは得られない欧州の特恵関税で欧州市場へ輸出しているからだ。

カンボジアへの最大の投資国が中国であり、2010年からは従来の日本を上回る最大の援助国になっている。日本は一昨年初の直行便をカンボジアに乗り入れたが、中国からはすでに7社もの航空会社がそれぞれカンボジアに乗り入れて観光客や中国人ビジネスマンを運んでいる。首都プノンペンの中国人居住地区、カジノなど遊興施設なども急激に拡大し、両国の関係が深まっている。また、フン・セン首相の父親は海南島出身の華人とされる。

南シナ海での中国の活動をめぐる問題などでASEANが一致できない会議では、カンボジアはいつも中国側に立ってきた。フン・セン首相の野党弾圧の背後に中国の存在を感じているカンボジア人が多い。これまで順調に経済成長を続けてきたカンボジアだが、今年の総選挙に向けて予断を許さない状況が高まってきており、これまで伸びてきた外資のカンボジア投資も減りそうだ。

取材・文 アジアジャーナリスト 松田健

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