タカハシ社長の南国奮闘録
第121話 (最終回) タイに感謝
いつも南国奮闘録をご愛読いただきありがとうございます。今号を持ちまして最終回となります。2012年2月にスタートしてちょうど10年、120話を超えました。これまで数々の出会いや困難について書かせてもらいました。
タイ工場では2009年より三代目社長に就任、あっという間に13年が経ちました。リーマンショックで焦りと不安を抱えながら渡航したタイでしたが、来てみたら著しい成長ぶりでした。当時のタイは砂利道ばかりでインフラが整っていないものの、勢いだけは感じる、まるで昭和40年代の日本のようでした。
縁も仕事もない状態でタイに独自進出したため、ゼロからの開拓でした。一番の難関であるお客様の開拓は、先代の父がさまざまな会に顔を出したり、ゴルフを通じて人脈を広げたりして下地を作ってくれました。父の繋いだ縁を頼りに、そこら中を駆け巡ったものです。とにかく人の困りごとを聞いて回り、安い仕事も難しい仕事もすべて請け負い、現場力を上げていきました。
当時のタイの従業員は技術力が低く、新しい仕事がうまく立ち上がらない状態でした。そこで抜擢されたのは、かつてシンガポールで修行を積んだ私の弟でした。弟がタイ人の目線に立ち、現場にスムーズな循環を作り上げたことによって、滞っていた仕事が流れ始めたのです。その後、日系企業のお客さんが増え始め、受注に応えるために工場移設、設備増設など色々と試みました。
思い返すと、たくさんの出来事がありました。工場の立ち上げ時にお金がなくて、父と弟と25バーツの屋台ラーメンをすすりながら成功を誓ってLEOで乾杯したこと。技術が認められて新しい仕事が決まったことを皆で喜んだこと。理不尽なストライキを経験したこと。タイの経営者仲間とお酒を酌み交わし夢を語り合ったこと。家族がタイまで会いにきてくれたこと。娘たちが南国奮闘録の文章を一緒に作り上げてくれたこと。思い出でいっぱいです。
楽しいことばかりではなかったですが、私のタイでの思い出は全部この南国奮闘録に詰まっています。これからのテクニアタイランドは息子が引き継いで大きくしていってくれることでしょう。日本では名古屋周辺におりますので是非お声がけいただき、タイでの武勇伝などをお聞かせいただければ幸いです。
最後になりますが、拙い文章にもかかわらず今までご愛読してくださった皆様、編集部の方々、誠にありがとうございました。
2022年11月1日掲載