タイ企業動向

第1回「走り始めたクロスボーダー物流」

昨年11月27日。ホテルニューオータニ東京の「鶴の間」で開催されたタイ投資委員会による経済セミナー。集まった多くの日本人企業家らは、基調講演のため訪れていた経済政策担当のソムキット・チャトゥシーピタック副首相が、参加に意欲を見せながらも未だ態度を明らかにしていない環太平洋経済連携協定(TPP)について、どのような発言をするのかに注目をしていた。しかし、副首相は新たな投資奨励策「クラスター制度」について言及するだけで、参加の時期などを明言することはなかった。軍事政権下で中国との関係も大切にしたいタイ政府。その〝苦悩〟と受け止めれば無理もなかった。ただ、アセアン経済共同体(AEC)の発足に続くTPP合意の機運もあって、現地での企業活動は既に号砲を上げて始まろうとしている。新企画の第1回は、インドシナ半島で「走り始めたクロスボーダー物流」について。

地続きのインドシナ半島各国にとって、国境を陸路で越える「クロスボーダー物流」は今に始まった模索ではない。古くは戦時中から軍需物資や兵を運ぶ輸送ルートとして研究・検討が重ねられてきた。そして、その後は独立国であり続けたタイをこの地の産業の集積地・中継地としながら、マラッカ海峡を介さずにインド洋(アンダマン海)と太平洋(南シナ海)を結ぶ新たな物流網開拓への挑戦として存在した。

タイをハブとした経済動脈は大きく3つ。別図にもあるとおり、アンダマン海と南シナ海を結ぶ「南部経済回廊」と、その北部を走る「東西経済回廊」、そして中国内陸部から南下してタイを縦貫する「南北経済回廊」だ。このうち、南部回廊についてはカンボジアの内戦終結、その後の国際社会復帰に時間を要したことから21世紀初めまで現実することはなかった。国内の法整備も2010年代になって、ようやく整うまでになった。プノンペンから先ホーチミンにかけても、大河メコン川で行く手を遮られ物流どころではなかった。

南北回廊についても中国雲南省昆明からの峻険な地形が大きな障害となっていた。北部ベトナムを経由し、海路を活用したほうが安全なうえに安上がりだった。タイから西ミャンマーについても、険しい山岳地帯が交通を遮断した。長く続いた軍事政権下で、交易そのものが伸長する余地もなかった。ひとえに21世紀初頭までインドシナ半島は、険しい自然や血で塗られた近現代史によって、国際物流網が成熟する余地はほとんどなかった。

 

転機となったのは2007年から08年ごろにかけてのことだ。このころ世界貿易機関(WTO)にも正式加盟したベトナムと、外国企業誘致のため経済特区の創設に積極的な政策に転じていた内陸国ラオス。ベトナムからラオスを横断し、中部サワンナケートからタイ側ムクダハーンに至るルート。眼下を流れるメコン川に日本のODA資金によって「第2タイ・ラオス友好橋」が架けられてから(完成は06年12月)、東西経済回廊構想は一気に進むこととなった。

日本からは、住友商事、日本通運、日新、日本ロジテム(日清製粉グループ)などといった企業が相次いで進出した。電気部品や機材、資材などがバンコクからハノイに向けてトラックで運ばれた。もっとも、ハノイからバンコクに戻る荷はまだ少なかった。片荷が常態で、当初は定期便が運行する余地はなかった。それでも机上の構想に過ぎなかった新たな物流網の出現に、現地産業界は大いに沸いた。

12年の初めになると、大洪水の被害から持ち直した日系企業、中でも二輪を中心としたメーカーが、東西ルートに輸送路を求めた。バンコクとハノイを3日で運ぶ日程は、それまでの海上輸送よりも1週間以上も時短を実現した。13年10月からは大手光学機器のニコンがアユタヤにあった生産工程の一部をサワンナケートに移転。この荷を日本ロジテムのトラックが運ぶなど、未だ需要が不十分でありながらも東西回廊は一気に現実性を帯びたのであった。

 

次いで整備が進んだのが南部回廊だった。復興の進むカンボジアとベトナム間で、限定的ながらも相互交通が可能な「相互交通ライセンス」が発行。国境での荷の積み替えが不要となり、輸送の対象に劣化の早い食品や雑貨などが加わるようになった。カンボジア国内では首都とタイ国境ポイペトを結ぶ国道5号線の大規模な改修が始まった。最も大きな転機となったのが、メコン川に架けられた大規模橋「ネアクルン橋(愛称:つばさ橋)」の完成だった(昨年4月)。アプローチ部分も含めた全長5キロ超は日本の協力で10年以上をかけて建設され、はしけで7~8時間も待つことなく国道1号線はホーチミンに通じることになった。

カンボジアと接するタイ東部でも日系企業を中心に物流施設が建設されるようになった。その多くは、プラチンブリ、チョンブリ両県に集中している。いずれもカンボジアまで100数十キロ、この地域最大の貿易港レムチャバンとも近接している。各種資材、部品、化学関連品、食品に至るまであらゆる物資が集中する一大集積地ともなった。ここから一部が船で、一部が陸路で運搬されている。

西方ミャンマー方面も大きく変貌を遂げようとしている。東西回廊を形成するタイ北部ターク県とミャンマー東部カイン州ミャワディを結ぶ一帯はとりわけ道が険しく、交通の難所とされていた。ところが昨年8月にこの間を結ぶバイパスが完成。結果、ヤンゴンとバンコクは従来の半分以下となる3~4日で陸路直結されることになった。道路整備は南部ダウェーも含め今後も継続される見通しで、相互交易にも弾みが付く勢いだ。

 

一方、日通が進めようとしている中国南部・雲南省昆明からラオスを経由し、バンコクに至るとする南北回廊の整備については、中国の政治的な思惑もあって必ずしも明瞭とはなっていない。この区間には、ほぼ平行して中国による高速鉄道計画もあり、習近平政権が掲げる現代版シルクロード「一帯一路」構想の実現と相まって不透明な要素が残ったままだ。

それでも、例えば川崎汽船(”K”LINE)がタイ北部の工業団地とラオスの首都ビエンチャンを結ぶ定期便を運行するなど、新たな物流網開設を模索する動きは広がっている。これらは、ラオス国内を中部まで南下し、ベトナムに通じるという構想とも通じている。

通関手続の簡素化や電子化といった諸問題も課題だ。ラオスでは昨年9月、ベトナムとの一部国境で両国間の手続きを一本化する「シングル・ストップ検査」がインドシナ半島で初めて導入された。これが各地に広がれば、大幅なコストダウンになると企業各社も期待する。クロスボーダー物流はまだ緒に付いたばかり。だが、この地域に確実に、しかも猛烈な勢いで広がっていることだけは確かだ。(つづく)

  • Facebook
  • twitter
  • line

関連記事