環境激変乗り切るタイの家具製造
このほどタイで中小・中堅の木工メーカー2社を取材する機会があった。両社とも長年続けて来た業態から大転換の真っただ中ということで共通していた。
パトゥムタニ県に工場を構える日系企業の三光開発では、初めて木工用のCNC機を導入し、大手日系工場のラインで使用される加工精度が高い木製部品類の受注に成功した。最近、日系企業の工場から、ラインに組み込まれる商品受け用具や、従来は日本で生産していた型関係などの発注が増えているため、加工精度の向上で新規受注に結び付けたいと考えている。木材と金属、樹脂の複合部品の大量注文も増えてきており、高価なステンレス部材を木材に変えてコスト削減を図ろうとする日系の顧客もあるという。「さらに加工精度を高め、付加価値もつけた新たな仕事を増やしたい」と中條三男社長は張り切っている。
1976年に設立されたタイ企業トップ・ワールド・インダストリーズは、東部チョンブリ県バンセーンの海岸沿いの道路に面して15ライ(24,000平方メートル)の家具工場を構えている。2001年以降は製造した家具のほぼ100%が日本市場向けとなり、ダイニングセット、こたつ椅子などでフル生産だった。同社の直接取引ではないが、ニトリなど日本の有名家具メーカー各社に供給し、福岡県の大川家具の老舗である関家具向けに限っても、トータル1,000コンテナ以上は出したという。
ところが2年前から環境が激変。「日本向けは30~40%、タイ国内向けが60%となり、タイの家具業界は安く売るだけの競争に陥っている。ベトナムによる価格競争の影響とバーツ高によるもの」とスパット・シェバタマノン(Supat Chevathamanon)会長は嘆き、「これまでに日本への輸出で培った高品質家具のタイ市場を拡大させたい。新規国への輸出も始めた」などの対応策を語った。
アジア・ビジネスライター 松田健
タイ製CNC機導入で加工精度向上
三光開発の工場はドンムアン国際空港の北にあるフューチャーパーク・ランシットという大きなショッピングモールの近くにある。住工商混在地域に日本側100%企業で認可されているのは、同社を創業した中條一(なかじょう・はじめ)氏(現会長)が1962年からタイに住み、タイ国籍も保有しているため。夫人は日本人だが、中條三男社長(三男)、次男で開発担当を務める中條和孝(かずたか)氏も属地主義のタイで生まれたため、タイ国籍を取得している。
三光開発は1988年創業。中条一会長は製材工場THAI WOOD PRODUCTIONも1970年から1995年まで経営し、日本市場向けの床柱、花梨、本紫檀といった唐木を使った床材、ベニアの上に貼る突板・単板などの生産をしていた。だが、1988年にタイ政府が資源保護のため木材伐採禁止法を施行し、事業が縮小。1995年に閉鎖している。そして現在の三光開発は精米、製粉、飼料の機械に組み込む木製のふるい(篩)の製造販売が有名で、精米機トップメーカーとして知られるタイのサタケや日系製粉工場の製粉機向け各種ふるい木枠だけで月400枚以上を生産している。インドネシア、ベトナムなどへのふるいの輸出も増えている。
従来の木工加工では、メジャーを使った目視で±1ミリ精度での木工品製造が多かったが、最近導入したミツトヨの大型デジタルノギスは、1メートルまでの加工部材を0.01mm(10ミクロン)精度で測定できる。工場ではタイ人やミャンマー人従業員が初のデジタル表示のノギスを面白がり、競うように使って仕事を進めている。
7月中旬に契約し、8月初旬に工場に据え付けられた三光開発初のCNC(コンピュータ数値制御)の工作機械は、バンコクのCNC機械専門メーカー「CNCBRO.com」が製造したタイ製。「イタリア製や日本製で買いたい機械があったが高すぎたため、この機械に決めました。当面はこの1台だけなので、もし修理する必要が出た場合、部品が在庫されているかどうか、とりわけ重要なスピンドルが在庫されているかどうかも調査した末に『CNCBRO.com』に決めました。導入時の指導もきちんとしてもらえました」と中條三男社長は満足気。4×8フィートの合板、PVCなどに使用できるが、鉄など金属の加工はできない。
CNC機は主に、15ミリという分厚い耐水性合板の加工と5ミリ厚のPVC(ポリ塩化ビニル)の加工に使われている。厚物合板に関しては1回で15ミリの深さの切削ができないため、6ミリ程度の深さで加工を3回繰り返している。木材の他に注文を請けている部品を作るために必要なPVC部分の切削も同機でこなしている。従来は手にもって作業していたドリルを使う穴あけ作業の時間も、コンピュータ制御の早いスピードで激減させている。
CNC機に付けて木材やPVCを削る工具は、金属加工で使われるエンドミルに似たストレートビット(ルータービット)という超硬の切削工具。「導入してからたった1カ月間で、工具の変更を中心として生産性を倍に高めることができた。現状ではまだ難しいが、他の木材加工などもこの機械を使って合理化できるかもしれない」と中條三男社長は話す。最初の工具は機械メーカーからサービスされた中国製工具だったがすぐに折れてしまった。その後、日本製に変え、現在はタイ製ストレートビットを使用している。
日本向け家具激減で新規事業開拓
トップ・ワールド・インダストリーズはタイのローカル企業としてバンセーンの海岸に平行する道路の反対側に15ライの家具工場を構え、中級から高級クラスまでの家具を生産している。将来の拡張に備え隣接地をさらに4ライを取得、現在は従業員の運動場などとして使っている。家具の生産能力は40フィートコンテナ換算で月45コンテナ。スパット会長によると「タイには輸出品質の家具を作ることができる国内メーカーは約20社あるが、この数年来の海外市場の劇的な縮小は予想できなかった」という。
同社はスパット会長の夫が1976年に創業。1977年には米国向けに寄木のフローリング(床材)製造を開始した。翌年からはIKEAの北米、スカンジナビア諸国、香港、シンガポール、スイス向けにテーブルやイス(子供用)、本棚、カッティングボード、カトラリーなど小物の木製品の製造を始めた。20年程前に夫が糖尿病により53歳の若さで亡くなり、スパット会長が経営を引き継いで急成長させてきた。
日本市場からは近年、ゴムの木よりオーク(主にナラ材)を材料にする希望が増え、「オークを安く輸入できるベトナムに日本の家具メーカーの注文が向かい始めた」とスパット社長は見ている。「ベトナムだけでなく、インドネシア、中国もタイより20%など安い価格で生産できることから、当社にとって厳しい輸出市場になっている。タイから中国へは家具製品や付加価値をつけた完成品に近い加工品として輸出しているのではなく、政府が原料であるゴム製材のまま輸出を認めていることも我々タイの家具業界に国際的な価格競争面で打撃を与えている」とスパット会長。中国がゴム(製材)を大量に買い付けることから、価格が上昇しタイ国内用の原材料確保さえ難しい状況になってきている。「(タイ政府では生ゴムの国際相場の低迷から)ゴムを採取する栽培業者に補助金を出しているが、ゴム材を使用する我々には補助金が出ない現状は不満」とスパット会長。
日本への輸出をこなすだけでフル生産の絶好調が続いていた同社も、輸出が急減し、350人いた従業員もこれまでに250人に減らした。従業員の8割近くがミャンマー人でカンボジア人、ラオス人もいる。
それら新規事業を進めていく上でスパット会長は4人の息子たちに大いに期待している。四男は日本の大学で修士号を取得しており日本語に堪能、次男は韓国に留学しているため韓国語が流暢。また、長男はドイツに留学して博士号を取得後、ドイツを代表する大企業でエンジニアをしている。いつかタイに戻り、トップ・ワールドに入社することをスパット会長と約束している。三男のパタラヴィット氏(Pataravit Chevathamanon)はこのほど社長(MD)に就任し、タイ国内市場の拡大などで指揮している。「開発されるコンドミニアムなどでビルトイン(内製)家具としての一括受注などを進めている」とパタラヴィット社長。地元のバンセンビーチで最も目立つホテルであるヘリテッジ・リゾートにもキャビネットやベッド、ダイニングセットやソファーなどを納入した。タイのホームセンターと組んで移動できるキッチン家具の開発販売も開始した。
「日本の家具以外の大手企業などから創業記念日などに幹部に配るオリジナルデザインの家具を50セット以上といった量をコンテナ単位で発注してもらえるものなら、ぜひ取り組んでみたい」などと、日本びいきのスパット会長は日本市場を諦めたわけではない。