ネクストノーマル タイの新たな挑戦
長引くコロナ禍により世界経済は今なお困難な状況にある。その一方、コロナ禍は企業のビジネススタイル、ビジネスモデル、人々の社会生活や働き方、購買行動に大きな変化をもたらした。この危機と戦いながら生き残るために、オンラインの世界では様々なイノベーションが起きている。そして、あらゆる産業が消費者の行動変化に即した技術開発を競い、グローバル市場で激しい市場獲得競争を展開している。近い将来、バーチャルとリアルが融合する世界が到来し、ビジネス環境は一変するだろう。FinTechや仮想通貨がもたらすイノベーションは、将来的に世界の金融革命につながる可能性がある。果たしてバーチャルは今日のライフスタイルの限界を切り開き、人々のニーズを満たせるのか。新たなテクノロジーは、人々の利便性と生活の質をどう高めていくのか。本稿ではポストコロナ時代のネクストノーマル(次なる日常)に向けたタイ政府の取組みと、民間企業の動向をお伝えする。
新時代に向けた政府の取組み
産業部門は今や国を動かす原動力となっている。タイ政府も生産レベルの継続的な押し上げ、ビジネスモデルの転換、労働支援計画の策定、製造業の雇用創出と民生部門の所得創出などを進めている。工業省は既存産業を改善して新しい産業につなげ、技術革新を産業に適用するためにタイランド4.0を推進してきた。タイが中所得国の罠を乗り越え、高所得国へとアップグレードするには、世界の潮流に沿って生産と管理の両面を重視し、環境と地域社会に配慮した政策を具体化していく必要がある。
工業省のコプチャイ次官は、昨年12月16日に開催された同省主催のセミナー「OIEフォーラム2021」で、タイのネクストノーマルについて次のように述べた。 「コロナ禍は現在も進行しており、タイも製造、流通、輸出部門で大きな影響を受けている。世界中のすべての人々の生活は、産業部門と同様にネクストノーマル(次なる日常)に向かうだろう。タイでは労働力に代わり生産ラインを自動化し、医療機器産業など一部の産業ではコロナ禍を契機に新たな機会が創出している。また工業省は、食品産業などに対し様々な緊急支援策を実施し、影響の緩和に努めてきた。こうした動きは第13次国家経済社会開発計画の枠組みの方向性に沿ったものだ。同計画では、製造業の方向性を旧来のものから調整しつつ、新しい経済機会を促進することによって、環境にやさしい高付加価値経済を創造するという開発課題を掲げている。
自動車産業は、低炭素社会の実現に向けたイノベーション創出の取組みを加速させている。公害問題、特にPM2.5は世界中の自動車産業にとって喫緊の課題だ。タイでも国家電気自動車政策委員会(NEVPC)が、2030年までにタイで生産される自動車の30%を電気自動車(EV)にする目標を掲げている。EVの利用と生産を促進することでタイを世界のEV生産拠点に押し上げ、将来的にタイを低炭素社会に導く考えだ。2030年の年間EV生産台数の目標は、乗用車・ピックアップが72万5,000台、バイク67万5,000台、バス・トラック3万4,000台となっている。
医療機器産業もタイランド4.0を担うターゲット産業の1つだ。政府は2027年までにタイをASEANにおける医療機器製造の生産ハブとする長期目標を掲げ、そのための施策として共同投資での国内投資促進策、タイの医療機器メーカーへの投資支援、研究・技術開発支援、医療機器の標準インフラ整備、生産能力向上計画、国内外での医療機器市場へのアクセス支援など、医療機器産業の発展を促す環境づくりを進めている。BOI(タイ投資委員会)も医療産業に各種税優遇策を講じている。
政府はロボット産業にも注力している。コロナ禍をきっかけにタイの工業部門ではスマートファクトリー化が急速に進んでいる。そのカギとなるのはIoT、ロボット技術、ビッグデータの活用だ。これらを促進するため工業省はロボット・オートメーション産業開発センター(CoRE)を設立し、工業部門におけるロボット工学と自動化技術の発展を後押ししている。
そのほか、政府はバイオ産業(バイオプラスチック、バイオケミカル、バイオ医薬品)や食品加工産業でもASEANのハブになることを目指している。コロナ禍で停滞した経済を立て直すには、これらの産業の発展が不可欠だ。工業省は、経済、産業、社会、環境の各分野がバランスの取れた方向で発展できるよう、BCG(バイオ・循環型・グリーン)経済モデルのコンセプトを反映した規則や規制、事業所の監督方法などを定め、関連産業を支援している。工業省は、タイの産業が持続可能性をもってネクストノーマルの時代に進むことができるよう、関連機関と協力して取組みを強化していく」 企業のネクストノーマル
再生可能エネルギー大手エナジー・アブソルート(EA)創業者でCEOのソムポート・アフナイ氏は次のように述べた。 「危機が起こるたびに、得をする人と損をする人が出てくる。まずは前向きになりたいと思うことで、チャンスが見えてくる。エネルギー業界では再生可能エネルギーがチャンスになる。なぜなら、世界が地球温暖化に目覚めた時期と重なっているからだ。そしてコロナ後は、混雑した都市での働き方に変化が起こる。なぜなら、現代のテクノロジーは、場所と時間を問わない働き方を可能にするからだ。今後、産業の方向性はBCG(バイオ・循環型・グリーン)に沿ったものとなり、起業家はその流れに迅速に適応する必要がある。
タイが力を入れるべきはクリーンエネルギーだ。気候変動の影響が世界で深刻化する中、企業には地球温暖化対策として、温室効果ガスの排出削減が求められている。ASEAN地域におけるエネルギー産業のリーダーであるタイは、他国に先駆けてクリーンエネルギーを普及させ、エネルギー取引市場やカーボンクレジット(温室効果ガスの排出削減効果を取引できるかたちにしたもの)を活発化させ、短中期的な影響を軽減させることに努める必要がある。脱炭素とRE100(事業活動で消費するエネルギーを100%再生可能エネルギーで調達することに取り組んでいる企業が加盟している国際的な企業連合)の市場をつくり、森林環境整備やエネルギー作物(バイオ燃料の原料とすることを目的として栽培する農作物)の栽培を進め、化石燃料への依存を断ち切っていかねばならない。
また、R&D(研究開発)に焦点を当て、独自ブランドを作るべきだ。タイランド・ファースト、タイ・ナショナリズムに力を入れ、タイ製品を使う価値、タイブランドの価値を作る必要がある。いつまでもOEM(相手先ブランドによる生産)に頼るべきではない。
EVシフトにおいては、政府は国内の商用車の電気自動車への切り替えをさらに奨励すべきだ。特に資金元や事業者の元本をサポートし、車の分割払いを少なくする必要がある。なぜなら、車のEV化には高額な資金が必要な場合があるからだ。そのメリットは、輸送コストの削減と国の競争力向上だ。原油価格が上昇している今、燃料の使用量を減らすことにもつながるだろう。政府が大型車・商用車のEV化を推進したことで、充電スタンドや急速充電設備が増設され、国産EVのインフラ整備は大きく前進した。これらの事業は規模が大きく、今後も継続していく。従って、政府にはまず商用車のEV普及にさらに力を入れてもらいたい」
素材最大手サイアム・セメント(SCG)の完全子会社で、化学品の製造・販売を手掛けるSCGケミカルズのスラチャ・ウドムサック最高技術責任者(CTO)は次のように述べた。
「2011年の大洪水以来、我々はいつでも新たな局面に対応できるよう準備をしてきた。そのためコロナ禍でも中断することなく事業を管理できている。ただし、組織の動きに合わせて事業を調整する必要がある。変化に対応するにあたり重要なのは、パートナーを持つことだ。そうすることでミッションがうまく達成できるようになる。タイには幅広い産業があり、そのほとんどはまだ先に進むことができる。問題のある部分は、前に進むために伸ばす方法を考えなければならない。
コロナ禍の2年間で、問題に対処し、迅速に適応する方法を学べたことは大きな教訓となった。コロナ禍はサプライチェーンの混乱など、産業界に重要な問題への対応を迫り、企業にはコスト削減、環境問題への対応、循環型経済の推進、テクノロジーの活用によるテレワークなど、事業環境の再考を促した。
産業界はこれまで、性能やコストだけを見た製品やソリューションを生み出すことに注力してきたが、これからの時代は循環型経済に目を向けなければならない。従ってリーダーとなるべき組織は、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)からなるESGリーダーを目指して努力する必要がある。例えばパッケージング(包装)は、環境負荷の軽減に向け改善できる。以前は樹脂が複層になっていたり複合素材だったりとリサイクルしにくいプラスチック容器が主流であったが、最近はリサイクルしやすい単一素材で構成したパッケージや、環境にやさしいエコ容器(紙製、バイオプラ等)も増え、使い捨てプラスチックを減らせるようになった。こうした取組みは今、どの業界においても、それぞれのバリューチェーンで顧客ニーズを満たすために行われている。
その一方、産業界にとって問題なのは、生産工程で使用されるエネルギー(電気と熱)だ。熱利用については、多くの国で一時的な解決策として水素が利用されている。ガスコンロから電気コンロに変えても、すべての状況に適用できるわけではないからだ。タイの課題は、バイオマスがあっても、それを燃料としてグリーン水素に変換できるのかということである。グリーン水素とは、再生可能エネルギーなどを使って、製造工程においてもCO2を排出せずにつくられた水素のことだ。
SCGはタイとASEANで強固な事業基盤を構築し、継続的なイノベーションへの取組みと研究開発支援により、お客様、社会、環境のニーズにお応えしている。国内外の教育機関や研究機関との連携、テクノロジー・ロードマップの作成、タイや世界のスタートアップ企業との協業など、オープンイノベーション・グローバル・パートナーシップの形でさまざまなコラボレーションを支援している。SCGのイノベーションは、現在のニーズを満たすだけでなく、人々のライフスタイルが変化する未来の生活も視野に入れ、その過程で社会環境の持続可能性にも配慮している。
こうした取組みは、将来の新しい産業を支えるためのものだ。当社はプラスチック、セメント、紙包装などの基礎素材メーカーであり、医療ヘルスケアやバッテリーバリューチェーンなどの新しい産業が生まれれば、それらに対応する製品を迅速に開発できる。そして我々の製品が、競合他社よりも優れたカーボンフットプリントや環境フットプリントを備えた工場や原材料から作られているとしたら、それは素晴らしいことだ」
米化学大手ダウ・ケミカルのタイ法人ダウ・タイランド・グループのビジネス・ディレクター、スポット・ケットプラカーン氏は次のように述べた。 「現在のグローバル市場と規制のメカニズムでは、EUのCBAM(炭素国境調整メカニズム)のように、環境に対する反発がより強まることが考えられる。輸出部門がより多くの売上を求めてエネルギーを使用すれば、温室効果ガスの排出量に対する罰金もより増えていく。COP26で各国政府は、自国の温室効果ガスの排出量削減をより厳しくするよう求められたが、タイ政府は先見の明があり、それ以前にBCG(バイオ・循環型・グリーン)経済モデルを採択していた。今後はさらにBCGを推し進め、工業部門では時流に沿った調整が必要となるだろう。
当社はマテリアルサイエンス(材料科学)のリーダーとして、地球温暖化に対する持続可能性の目標を掲げている。プラスチック廃棄物を止めてリサイクルを促進し、循環型経済に沿った天然資源の効率的な利用をサポートする。当社は1995年から環境保全に関する目標を設定し、20年以上にわたって環境問題に取り組んできた。最新の目標は、2030年までに500万トンの炭素を削減し、100万トンのプラスチック廃棄物を除去すること、そして2050年までにカーボンニュートラルを実現することだ。
私たちは、商品や製品に貼付されるカーボンフットプリントを削減することを約束する。再生可能資源をより多く使用することで、自然由来の原材料をより多く工場にリサイクルでき、結果的に化石燃料の使用をより削減できる。CBAMやカーボンフットプリントは今後ますます議論されるようになるだろう。私たちは資源消費量を削減したり、省エネのために生産工程を調整したりして対応していく。
自然エネルギーの利用は、業界に長期的に影響を与える上、調整は簡単ではない。しかし、私たちは今日から始めなければならない。さらに、生産された製品は、消費者に配慮したものでなければならない。当社の製品は、業界の次の生産段階に運ばれる。つまり、当社のカーボンフットプリントが高ければ、お客様のカーボンフットプリントも高くなってしまう。そのことも、私たちがカーボンフットプリントの削減に努める理由の1つとなっている。
当社は輸送システムを調整し、資源消費とカーボンフットプリントを削減するとともに、顧客、社会、経済、環境のニーズを満たす製品を設計している。今後も循環型経済の原則に基づき、使用後の製品を管理するネットワークパートナーを作り、クローズドループ(廃棄された製品や原材料などを新たな資源と捉えて循環させること)のためのアップサイクリング(廃棄物に当初よりも大きな効用を与えるリサイクル技術)のイノベーションを促進していく考えだ」
事業家や産業部門は、現在の世界の限界を超えて新時代へと移行していく。そうした中、政府はさまざまな次元で国の工業化を推進する重要な歯車として、社会や環境に配慮しながら産業開発政策を推進し、ネクストノーマルに沿った変化に対応する必要がある。経済を動かし所得を創出し、国民生活を支えるのが政府の役割である。産業部門が安定性と持続性をもって新時代を切り開いていけば、タイは必ずこの危機を脱し、国家戦略で定めた目標を達成できるだろう。
22年3月4日掲載