ミャンマーで最大最古 マンダレー工業団地訪問
ミャンマー最大都市ヤンゴン(550万人)に次ぐ第2の都市マンダレー(125万人)を数年ぶりに訪問し、ヤンゴンより活気を感じた。しかし、マンダレーでは物価も工業団地の土地代もヤンゴンより高いという問題がある。ミャンマー政府の発表で最高のインフレ率を記録しているのはいつもマンダレー地区だ。
マンダレーには古くから中国むけヒスイ(翡翠)を取引する大きな市場があった。近年は高級住宅の開発が進み、中国人が明らかに増えており、国境でミャンマー国籍を買った中国人も多いとされる。また、4,000メートルというミャンマー最長の滑走路を持つマンダレー国際空港は1999年に中国の援助で開業。首都ネーピードーやヤンゴンともミャンマー唯一の長距離高速道路で結ばれている。また、ベトナムからのアジアハイウエイ(AH)1号線もマンダレーを通過してインドに向かっている。
街中にあるマンダレー工業団地は売り切れて久しい。近郊で開発中のマンダレー・ミョータ工業団地では外資進出の期待が大きい。
スーチー国家顧問がミャンマー政府の「一帯一路実現委員会」の議長に2018年に就任したことを中国は高く評価している。2016年、国家顧問兼外相という国家元首並のポストを確保したスーチー氏はASEAN以外の初の訪問国として中国を選び、その後も頻繁に中国に通っている。17年5月には一帯一路を進める国際会議に出席、北京で習近平国家主席と会談したスーチー氏はインフラや貿易面での協力強化を決めた。
この経済回廊は中国雲南省からムセでミャンマーに入り、マンダレーを通過して中東の原油とミャンマーの天然ガスを中国に送るパイプランの出発地点であるチャウピューを結ぶ。中国はこの経済回廊をミャンマーで最重要の一帯一路と考えている。雲南省とチャウピュー間を鉄道で結ぶ計画もあり、チャウピューでは中国による深海港の建設も始まり、港の完成後にその隣接地を経済特区として開発することも決めている。
ミャンマー企業1,000社以上が操業
現在、ミャンマー最古で最大の工業団地とされ、1,243社が操業するマンダレー工業団地の用地は既に売り切れている。この工業団地に進出しているのはミャンマーローカル企業だけ。マンダレーから60km離れた場所にはもう一つの新しい工業団地の開発が始まっている。官民合同で開発を進めているマンダレー・ミョータ(Myotha)工業団地で、外資を広く受け入れていく方針で既に日系2社が操業中。Myotha Township Concept Master Planをもとに住宅街などを含む1,055平方kmの新都市開発の一環で、現在のマンダレーの倍以上にあたる280万人が住む新たな町(TS=タウンシップ)を造るという壮大な計画となっている。日本がヤンゴン郊外で開発したティラワ工業団地と同じ規模、品質の工業団地も造るという。
マンダレー工業団地は1992年、当時の軍政が主導して創業した。その後この団地に工場進出している企業によりマンダレー工業団地管理委員会(Mandalay Industrial Zone Management Committee=MIMC)が設立され、今日でも自主的な活動を活発に展開している。MIMCに取材を申し込んだところ、予想もしなかった大歓迎が待ち構えていた。キンモンラ(U Khin Maung Hla)会長をはじめ、LWINインダストリーズの経営者でMIMC事務局長を兼務するマウンマウンウー(U Maung Maung Oo)氏(弁護士)や他の理事らがそろって私との会見に応じ、工場見学のアレンジもされていた。進出している日系企業がゼロであるにも関わらず、日本人記者に対して親切にしてくれる工業団地だと感激した。
MIMCは工業団地に進出している全企業で結成されており、団地内に専用の立派な事務所ビルも構えている。現在のMIMCの会長は、マンダレーを代表する菓子工場ZALATWAH(ザラワー)BISCUITS社のオーナー会長、キンモンラ氏(U Khin Maung Hla)。
キンモンラ会長は「2016年に従来の政府や軍主導から民営化して工業団地の活動を活発化させたいと考え、初代は軍人がMIMC会長に就任して経営の民営化を進め始めた。2代目からは選挙でMIMCの役員を選ぶことになり、進出企業の中から58社が立候補して3年任期の役員を選んだ。58社から選ばれた19社の中から、さらに選挙で会長と副会長2人を選出した。私はもう63歳。若手リーダーに育って欲しいから一期で交代する」と説明する
同会長によれば同工業団地に進出している企業経営者に対して、MIMCの予算を使って招いた講師による『SMEトレーニング』を実施している。「積極的に参加して何らかの新たな経営のヒントを得てもらいたい。また各企業で援熟練工を増やして製品の品質も高める秘訣も学んで欲しい」と期待している。これまでに3回の『SMEトレーニング』を開催、計238人の経営者に修了証書を交付した。2018年からは、日本のJICA(国際協力機構)の応援を得て、日本式の高品質の生産システムを学ぶセミナーも計4回行われ、191人が参加した。他に鋳造、鍛造に関するセミナーを46人が受けている。キンモンラ会長は「経営者に廃水処理などの公害防止対策についての意識を高めてもらうための活動にも力を入れている」と語る。
インタビュー後、同団地内にあるザラワーBISCUITS社の工場を会長自ら案内してくれた。同社では1990年にビスケット生産を開始。「日本に優れた製造機があるのを知っているが、高すぎて当社のコストでは導入は不可能。そこで中国の雲南省昆明や湖北省武漢で生産された機械をマンダレーにある代理店経由で導入している。これら中国製機械はムセ国境を通じて入れた」とキンモンラ会長は説明した。
おしどり夫婦の機械部品製造
筆者とキンモンラ会長との会見にも同席したMIMCの役員ウエイ・ピー(Wai Phyo)氏は、同団地内で両親が設立したHTAYエンジニアリングサービス社のビジネス・マネジメントを担当している。ウエイ・ピー氏は「MIMCの役員になれば営業を広げられる人脈ができると期待して選挙に立候補して当選した」という。
ウエイ・ピー氏の父親はラングーン・インスティチュート・オブ・テクノロジー(RIT)で機械工学を専攻したテイ・ミン(Htay Myint)氏というイスラム教徒で、母親もヤンゴン・インスティチュート・オブ・テクノロジー(YIT)で機械工学を専攻したソー・ユー・ワイ(Saw Yu Wai)氏という仏教徒。エンジニアの父親は工場でメカニカルを担当、母親は設計を担当し、受注した部品の図面を描いている。
現在も異教徒夫婦のままだが、見るからにおしどり夫婦。息子のウエイ・ピー氏は物心が付いたころに自分の意思で仏教徒になった。ウエイ・ピー氏の兄は留学後も英国でITエンジニアをしているが無宗教、妹は英国留学からミャンマーに帰国して現在は英語教師をしている。ウエイ・ピー氏の家族を見ると、高い教育によってミャンマーに多い宗教問題が乗り切れるかも知れないと感じる。
従業員は約20人。受注している補修部品は「繊維関連の機械などのスペアパーツ製造で1個1,000米ドルのものもあるが、大体は1個が10米ドルから100米ドルまでの部品を中心に作っている」という。使っている材料の鉄は中国製が多いが、「粗悪品が多く、ベトナムやインド製も使っている」とのことだ。
日本製印刷機使う印刷会社
HTEIK TANNという大手印刷会社のティン・セイン(U Tin Sein)社長(65歳)と息子のアウン・ミャット・トゥー氏(U Aung Thu)からも「ぜひ見て欲しい」と工場に招かれた。二人は「1992年からはヤンゴンの学校の教科書も印刷しておりトラックでヤンゴンまで輸送して配達している」と説明した。工場には日本の大手印刷機械メーカーである小森コーポレーションの印刷機14台やシノハラ・ジャパンの印刷機9台などが24時間のフル稼働をしていた。
「日本製の印刷機は世界一です。しかし我々が使っているのはすべて中古機械で、ドイツ製の印刷機、周辺機械も一部使っています」と説明したティン・セイン社長は「一言愚痴を聞いて欲しい」という。それは補修部品を仕入れる時、日本製機械のスペアパーツは香港、台湾、中国の代理店を経由して買わざるを得ないので、配達されるまでに時間が掛かり値段も高いこと。ドイツのスペアパーツはタイの支店に注文すれば「間違いなく3日、4日で配達され値段も安い。たった今も数日前に注文した部品がタイから到着した」とティン・セイン社長はその封筒を見せてくれた。